パナマ
Republica de Panama

CANAL ZONE POSTAGE
パナマ付近の地図

1914 パナマ運河開通25周年記念 1939
1939/7/15 発行
VENEZUELA
パナマ・エクアドル・コロンビア・ヴェネズエラに跨る
グラン(大)コロンビアの地図

1819 大コロンビア150年記念 1969
ヴェネズエラ 1969/12/16 発行

REPUBLICA de PANAMA
パナマ運河地帯の地図

パナマ 1948 発行
中央アメリカの地図

1948 米州機構50年記念 1998
ベリーズ 1998/7/22 発行







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パナマ共和国
 Republica de Panama

面積:75,517ku(北海道よりやや小さい)、人口:3,454,000人 (2008)、首都:パナマ市、通貨:バルボア。人種:混血70%、アフリカ系14%、ヨーロッパ系9%、先住民7% 。言語:スペイン語、宗教:カトリック。1番切手:1878年発行。

1501年、スペインの家ロドリーゴ・デ・バスティーダスがパナマ地峡発見し、
      カリブ海側ダリエン湾のポルト・ベーロに上陸
1502年、クリストファー・コロンブスがモスキートス湾沿岸を探検
1508年、カスティーリャ王フェルナンド5世が、パナマをスペインのディエゴ・デ・ニクエサに与える
1513年、バスコ・ヌーニェス・デ・バルボアが太平洋側に到達・太平洋の発見
1514年、総督としてペドロ・アリアス・デ・アビラ(Pedro Arias de Avila)が派遣され到着
1519/8/15、ペドロ・アリアス・デ・アビラがパナマ市を建設
1530年代、バルボアの下で経験を積んだフランシスコ・ピサロはパナマを拠点にインカを征服。
ペルー及び近隣植民地からスペイン本国への輸送ルートは、ほとんどがパナマを経由。ポトシ銀山の銀は海路で太平洋側のパナマ市まで輸送された後、陸路でカリブ海側のポルトベロまで運ばれ、そこから再び海路でスペインに送られるなど、16世紀はじめにスペインはパナマ周辺地域の支配権を確立。後にパナマはペルー副王領の一部となり、
1718年、ヌエバ・グラナダ副王領に編入
16世紀から17世紀、フランシス・ドレークをはじめとする英国の海賊が輸送拠点を
      襲撃したり、搬送物を略奪する等の行為を繰り返した
1667年、フランス海賊ロロノア船長がダリエン湾沿岸を襲撃
1671/1/28、イギリス海賊モーガン船長の焼き討ちにあい繁栄を極めたパナマ市滅ぶ
1673年、パナマ市は全て約11q西南のカスコ・ビエホ(Casco Viejo) に移転して再建
1821/11/28、大コロンビアの一州としてスペインより独立
1847年、パナマ鉄道会社が設立
1848年、カリフォルニアで金が発見され、パナマ地峡を渡りアメリカ西海岸へ行く人々が増加
1903/11/3、コロンビアより分離独立
1914年、米国がパナマ運河を完成
1968年、トリホス将軍、クーデターにより実権掌握
1978年、ロヨ大統領就任、民政移管
1983年、ノリエガ将軍が国軍最高司令官に就任
1989年、米国の軍事侵攻、ノリエガ将軍逮捕、エンダラ政権発足
1999年、モスコソ大統領就任、パナマ運河返還、米軍完全撤退
2004年、トリホス大統領就任(故トリホス将軍の実息)

パナマは9つの区分、県制(provincia)を1903年から用いている:〜
 1.ボカス・デル・トーロ(Bocas del Toro)〜ボカス・デル・トーロ市(Bocas del Toro)
 2.チリキ(Chiriqui)〜ダビッド市(David)
 3.コクレ(Cocle)〜ペノノメ市(Penonome)
 4.コロン(Colon)〜コロン市、1850年地峡横断鉄道設置が町の始まり、クリストバル
 5.ダリエン(Darien)〜ラ・パルマ市(La Palma)
 6.エレーラ(Herrera)〜チトレ市(Chitre)
 7.ロス・サントス(Los Santos)〜ラス・タブラス市(Las Tablas)
 8.パナマ(Panama)〜パナマ市(Panama City、ラ・シウダ・デ・パナマ(Ciudad de Panama)
 9.ベラグアス(Veraguas)〜サンティアゴ ・デ・ベラグアス市(Santiago de Veraguas)
この他にコマルカ(Comarca)という先住民族の自治区が4ヶ所
参考HP:〜パナマの行政区分地図

参考地図HP:〜パナマパナマの行政区    09/6/28
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