Haiti

国連 1982 発行
切手で綴る カリブ海の島国シリーズ No.7 (Island Nations)
ハイチ共和国
Republic of Haiti
大航海物語
   地図編

REPUBLIQUE D'HAITI
ハイチ

ハイチ 1995 発行
REPUBLICA DOMONICANA
←トルトゥーガ島
  (現トルチュ島)
←ハイチ
 (イスパニョーラ島西部)
←ゴナーブ島
イスパニョーラ島


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ドミニカ(黄色の部分)
ハイチ(緑色の部分)
左の島がキューバ
です。
ドミニカ共和国 1946 発行

REPUBLIQUE D'HAITI
トルトゥーガ島
Tortuga Island

ハイチ 1961 発行
TRINIDAD & TOBAGO
ル-ヴェルチュ-ル

奴隷解放150年記念
トリニダード・トバゴ 1984 発行

ハイチ共和国
 Republic of Haiti (Republique d'Haiti)

 面積:27,750ku(日本の四国と九州の中間程度)
 人口:約8,590千人(2004)10,033千人(2008)11,439千人(2018)
 首都:ポルトープランス(市域 1,082,800人、都市圏 1,728,100人、2007)
 人種:アフリカ系90%、混血10%など
 なお、ハイチ女性は一生涯に平均7人の子供を出産するといわれています
 言語:フランス語、クレオール語など
 宗教:カトリック、ブードゥー、プロテスタントなど
 GDP:GDP:(国内総生産)約$19.98億(2017)PPP:購買力平価説
    1人当約$1,819(国際比較はこちらを参照)但しMER:通常交換説約$7.9億
 国連:1945/10/24年加入、1番切手:1804年独立で"1881"年発行。

1492年にクリストファー・コロンブスがイスパニョーラ島を「発見」したとき、この島にはアラワク族(タイノ人)が住んでいたが、それから四半世紀のうちにスペインの入植者によって絶滅させられた。金鉱山が発見され、先住民のカリブ族が奴隷として使役され、疫病と過酷な労働で次々と死んでいった。その後、スペインは主に西アフリカ黒人奴隷を使って主に島の東部を中心に植民地経営をした。島の西部をフランスが1659年以降徐々に占領していったが、衰退の一途を辿るスペインにはそれを追い払う余力はなく、1697年のライスワイク条約で島の西側3分の1はフランス領とされた。この部分が現在のハイチの国土となる。フランスはここを、フランス領サン・ドマング (Sant-Domingue) とした。この植民地は、多くのアフリカ人奴隷を酷使し、主に林業とサトウキビコーヒー栽培によって巨万の富を産みだした。

1492、コロンブスがエスパニョーラ島を発見
1606、スペインが海賊の襲撃に備えて、東部のサントドミンゴ周辺に入植者を移転
1625、トルトゥーガ島に海賊が入植地を建設
1653、フランス海賊ロロノア船長がトルトゥーガ島に根拠地を建設
1659、フランスがトルトゥーガ島を占領、公式に植民地とする
1664、フランス西インド会社が植民地経営を始める
1697、イスパニョーラ島の西側3分の1がフランス領となる
1770、カプ・フランソワからポルトー・プランスに首都が移転
1790、海賊ジャン・ラフィットがフランスから渡来
1801/1/24、トゥーサン・ルーヴェルチュールが全イスパニョーラ島の奴隷を解放
1801、フランスのハイチ攻略軍にスペインのグラヴィナ提督が支援艦隊を派遣
1804、アフリカ人奴隷の反乱が成功(ハイチ革命)してフランスから独立
1915-34、米国が軍事占領
1945/10/24、国連加入
1957/9、F.デュバリエ政権誕生(1964年以降終身大統領)
1971/4、J.C.デュバリエ(F.デュバリエの子息)大統領就任
1986/2、J.C.デュバリエ大統領ハイチ出国
1987/4、民主憲法発布
1991/2、アリスティッド政権成立
1991/9、軍事クーデター、アリスティッド大統領国外脱出
1993/7、アリスティッド大統領の帰国に向け合意成立
1991/2、アリスティッド政権成立
2007、中国産の練り歯磨きに毒物のジエチレングリコールが混入していた事件発生
2010/1/13、早朝にマグニチュード7.5の大地震が発生
      首都はポルトープランス(Port-au-Prince)が壊滅した模様
ラテンアメリカ2番目の独立国家で、世界初の黒人による共和制国家、その後も政情不安が続いている。

なお、スペインはかつてイスパニョーラ島全土を支配しサント・ドミンゴと呼び、先住民や黒人奴隷を酷使して金鉱などを開発していたが、より豊かな金鉱・銀鉱が南アメリカやメキシコに発見された1520年代以降関心が薄れつつあった。海賊の襲撃が相次ぐため、1606年スペイン王はイスパニョーラ島の植民者に対し、島の東の拠点都市サントドミンゴ周辺に移転するよう命令を出した。島の北や西には、イギリスやフランス、オランダなどの海賊が代わって拠点を置くようになった。 未開であった島の西北部では、フランス人やイギリス人の海賊たちが1625年に沖合の島トルトゥーガ島(トルチュ島)に初の根拠地を置き、スペイン船などを襲いながら海賊同士の交易を行い野獣を狩って生活した。スペイン軍はしばしばトルトゥーガ島を掃討したが、ロロノア船長などの海賊たちが獣や新鮮な水を求めて戻ってくることを止められなかった。1659年、フランス王ルイ14世はトルトゥーガ島を公式に植民地とし、新設されたフランス西インド会社が1664年に植民地経営を引き継ぎ、公式にイスパニョーラ島本土の西部の領有を宣言した。1670年には島北部に本土初の入植地カプ・フランソワ(Cap-Francais、現在のカパイシャン Cap-Haitien)を築いた。衰退しつつあったスペインにはそれを追い払う余力はなく、1697年のライスワイク条約で正式に島の西側3分の1がフランス領となった。フランスは新植民地を「サン・ドマング」と名づけた。その首都は1770年に、カプ・フランソワから島西部のゴナーブ湾に面したポルトープランスに移っている。東側はひきつづきスペインのサント・ドミンゴ植民地だったが、現在では「ドミニカ共和国」として独立している。

ハイチは10の県 (depatmen) で、2003年以降の県名と県庁所在地:〜
(1)アルティボニット県(Artibonite)〜ゴナイーヴ(Gonaives)
(2)中央県(Centre、ハイチ語:Sant, サント)〜アンシュ(Hinche)
(3)グランダンス県(Grand'Anse)〜ジェレミー(Jeremie)
(4)ニップ県(Nippes)〜ミラゴアーヌ(Miragoane)
(5)北 県(Nord)〜カパイシャン(Kap Ayisyen)
(6)北東県(Nord-Est)〜フォールリベルテ(Fort-Liberte)
(7)北西県(Nord-Ouest)〜ポールドペ(Port-de-Paix)
(8)西 県(Ouest )〜ポルトープランス(Port-au-Prince)
(9)南東県(Sud-Est)〜ジャクメル(Jacmel)
(10)南 県(Sud)〜レカイ(Les Cayes、ハイチ語:Okay, オカイ)。

<ハイチ唯一の世界遺産>
・文化遺産
 ・シタデル、サン=スーシ城、ラミエール国立歴史公園 (1982)
  (National History Park - Citadel, Sans Souci, Ramiers)
登録理由は、黒人奴隷が最初に勝ち得た独立であるハイチにおいて、建国当初の姿を伝える貴重な史跡群であることなどが評価された。
  ・シタデル・ラフェリエール
   (Citadelle Laferriere)
   ハイチ北部のラ・フェリエール山の頂に築かれた巨大な要塞
  ・サン=スーシ城
   (Palais Sans-Souci, サン=スーシ宮)
   アンリ・クリストフ(Henry Christophe, 1767-1820)の居城、北県ミロー (Milot) 有
   建設は1807〜1813年に完成、サン=スーシは仏語で「憂いなし」の意味
  ・国立歴史公園
   ラミエールの丘にはラテンアメリカで初の独立国となったハイチの、独立当初の建造物群が多く残って、シタデルやサン=スーシ城はその代表的なもので、ラミエールの丘とその周辺は1978年に国立歴史公園に指定。

参考HP:〜
 ・ハイチの地図(日本語)
 ・ハイチの地図(詳細地図)
 ・ハイチの県区分地図

こちらで世界遺産
富士山日本
パルテノン神殿ギリシャ
ピラミッドエジプト
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。   08/10/3,10/1/14追加, 令和 R.3/4/20(2021)
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