主な航海用具
15〜16世紀

Portugal
クロススタッフ

Cross Staff
コードラント(四分儀)

Quadrant
アストロラーベ

Astrolabe
ポルトガル 1992/5/9 発行

コンパス(羅針盤)

Compass
アワーグラス(砂時計)

Hourglass
ノクターラーベ

Nocturlabe
ポルトガル 1992/5/9 発行  ポルトガル 1993/4/6 発行

St. Vincent
カマル

Kamal
バックスタッフ

Backstaff
コロンブス使用(1451-1506)
砂時計


羅針盤
ポルトガル 1993/4/6 発行 セントヴィンセント 発行

Bequia〜Granadenes of St.Vincent
ベアリング・ダイアル
エリクソ

日時計
コードラント(四分儀)
カボッ

四分儀
15世紀の地球儀
マゼラ 地球儀
セントヴィンセントグレナディン 1992 発行

羅針盤 (コンパス)
  Compass

11世紀の中国に指南針と呼ばれる方位磁針があって、24方位でしたが、後に現在と同じ32方位に改められました。西アジア及びヨーロッパには、双方と交易を行っていたペルシャ人によって伝えられたと考えられています。

方位磁針の改良によって航海術は著しく発達し、大航海時代が始まりました。実用的な方位磁針として最初に出現したのは、容器に入れた水の上に磁針を浮かせることで自由な回転と水平面の確保を同時に実現する方法(指南針)でした。この方位磁石の欠点は、激しく揺れる船上で正確に方位
羅針盤
を知るのが難しい点でしたが、幾多の改良が加えられて、宙吊り式羅針盤が開発され、揺れる船上で方位を知る装置として普及してゆきました。方位磁針は磁石を自由に回転できるようにしたもので、磁石は地磁気に反応してN極が北(磁北)を、S極が南(磁南)を向きます。最も単純なものは、非常に軽く作った磁石を針の上に乗せたり、磁石を水に浮かべるだけで実現しますが、その原理からも判るように、方位磁針は厳密に見れば真北を指しているわけではないのです。真北と、方位磁針が示している北、それら2つの差は「コンパス誤差」などと呼ばれています。中世のアラブ人は32方位羅針図を航海に使っていました。羅針図(上の画像)またはコンパスローズ(compass rose、コンパス図とも呼びポルトラノ海図に記入)とは、地図や海図に東西南北の方位を示すために置かれる図形です。また、古い方位磁針(羅針盤)の文字盤の目盛付きの模様も意味します。標準的な羅針図を描いた最初の人物はペドロ・レイニ(Pedro Reinel 1504)といわれています。トラバースボード(航行記録盤)の上部にも羅針図が描かれていました。

アワーグラス (砂時計)
  Hourglass

砂時計の起源は古代ギリシャ、ローマとも中国ともいわれていますが定かでありません。11世紀頃には、航海用の時計として使われました。14世紀になるとその絵が描かれて、この頃からは確認できるようになりました。中国語では「沙漏」、「沙鐘」と表記されました。

航海での具体例は地球一周を果たしたマゼラン戦隊が、18個の砂時計を船に積み航海術(ナビゲーション)に使用したとの記録が残されています。時刻の補正は、正午に太陽が天頂にくることを利用していました。経度を知るには時計が必要なのです。
砂時計

Hourglass
ポルトガル 1993/4/6 発行

クロス・スタッフ (ヤコブの杖)
  Cross Staff

クロス・スタッフはヤコブの杖(Jacob's staff)と呼ばれて「十字型の杖」を、天体の高度角を測る道具に使用しました。西洋では14世紀ころから使用され始め、航海術、測量術、または天文観測で北極星(北斗七星)や太陽の高度角を測ることによって緯度を知るために用いられました。名前の由来は当時の星座(オリオン座の内、「帯」の三つ星とリゲル、ベテルギウスはヤコブの杖と呼ばれた)からとも言われています。クロス・スタッフは目盛りの刻まれた長い棒と、それに直角に取り付けられて自由に動かせる短い棒(クロスピース、
クロススタッフ

Cross Staff
ポルトガル 1992/5/9 発行
十文字片)から成り、長い棒を目の前に構え、その上下に目標の天体と水平線が来るようにクロスピースを動かして、クロスピースの位置を目盛りで読んで使用しました。15世紀には既に定着していて、アストロラーベや四分儀(コードラント)も緯度を知るための道具でしたが、ゆれる船上では重く使用しにくいものでしたので、クロス・スタッフが用いられるようになりました。

ゲンマ・フリシウス(Gemma Frisius 1508-1555)はフリースランド(現オランダ)の数学者、地図製作者、天文観測機器製作者で、地球儀の製作や天文観測機器の改良によって知られ、地球儀や天体観測機器をつくる工房を作り、その製作する機器の精度はチコ・ブラーエらに賞賛され、1529年にペトラス・アピアヌス(w:Peter Apianus, 1495-1552)の地理書Cosmographiaの改訂版を出版。1533年にCosmographia増補版を出版しその中に三角測量の方法を記述。天体観測機器として太陽高度を観測するクロススタッフやアストロラーベ、アストロノミカル・リングなどを改良。1530年には正確な時計を使えば経度が求まることを示すも、この方法を実用化するための正確な時計が得られるのは200年後のジョン・ハリソンによってでした。

・バックタッフ (デイヴィスの四分儀)
  Backstaff

バックスタッフはクロス・スタッフの改良された物で、イギリスのデイヴィス船長が1594年にクロス・スタッフの一種の「デイヴィスの四分儀」(Davis quadrant)と呼ばれるバックスタッフ(backstaff、航海用天体観測器具)を考案しました。それは1730年にジョン・ハドリー(John Hadley 1682-1744)開発の八分儀(Octant)が導入されるまで、航海に長く使用されました。
バックスタッフ

四分儀 (コードラント)
  Quadrant

四分儀(シブンギ)は象限儀(ショウゲンギ)ともいい、測量機器のひとつです。円の4分の1の扇形をしていることから四分儀とも称されます。測量のほか航海などに使われ、円の4分の1の扇形をした目盛りのついた定規に望遠鏡がつき、天体を観測しながら現在地の緯度を割りだすのに利用されました。(ティコの四分儀
コードラント

ノクターラーベ
  Nocturlabe

ノクターラーベはスペインの天文学(Cosmography)者のマーチン・コルテス・デ・アルバカ(Martin Cortes de Albaca 1510-1582)の著作「オルト・デ・ナヴィガール」(Arte de Navegar, 1551)に紹介されています。
ノクターラーベ

カマル (アラビア人航海者のクロス・スタッフ)
  Kamel

インド洋の航海者だったアラビア人たちは、アル・ケマル(Al Kamal)と呼ばれる器具を使用していましたそれはヤコブの杖と同じ原理で、目盛りの付いた棒の代わりに結び目のある紐を、クロスピースの代わりに板を使ったものでした。

中国では11世紀の学者、沈括の「夢渓筆談」にこのような道具の記述があります。ヤコブの杖が西洋の文献に登場するのは14世紀の
カマル
ユダヤ人の数学者レビ・ベン・ゲルソンによるもので、16世紀のオランダのアドリアーンスゾーン・メチウスやゲンマ・フリシウスが改良を加えました。

地球儀
  Globe

地球儀は、地球を球体で表現した模型で、平面に描かれた地図では方位・角度・距離・面積の全てを同時には正しく示せませんが、地球儀は地球と同じ球体なので、そのいずれにおいても狂いがほとんどなく、地球儀の縮尺は様々で、縮尺とサイズを独立に決められる平面の地図とは異なり、地球儀は縮尺を決めると球体のサイズも決まります。なお、地球儀と同じような製法で天球儀・日球儀・月球儀・火星儀なども作られています。紀元前150年前後にキリキア地方(現在のトルコ)のマルスで(キュニコス派の哲学者クラテス (Crates of Mallus) によって作られた地球儀が、最古のものとされています。中世にはイスラム世界で地球儀が製作されました。
15世紀の地球儀
地球儀として作られて現存している最古のものは1492年にドイツのニュルンベルクでマルティン・ベハイムが製作したものです。1700年頃にオランダのファルクが作成した地球儀が世界中で用いられ、日本の平戸藩主松浦静山が入手した実物が現在も松浦史料博物館に保管されています。日本では1606年に林羅山がキリスト教徒が唱える地球々形説を論難してハビアンと議論した際に登場した「円模の地図」が地球儀であったとされています。その後、渋川春海や司馬江漢が西欧のものを真似て地球儀を作成し、本木良永も地球々形説を支持しました。

ベアリング・ダイアル (方位図板=ヴァイキングの羅針盤)
  Bearing Dial
(Bearing Compass)ヴァイキングの航海術
ベアリング・ダイアルはベアリング・コンパスとも呼ばれ、日時計(サン・ダイアル Sundial)から進化した方位磁針のことで、11世紀のヴァイキングのレイフ・エリクソン(右の切手図)はすでに使用していたと伝えられています。船上から太陽や星を観測し、近くの海岸を観察して自船の位置を知ることに利用しました。夜間は北極星(North Star)を活用し、曇っている時はアイスランドやノールウェイ(Norway)で知られている太陽を指し示すサン・ストーン(Sun Stone)を利用したといわれています。ヴァイキングは北極星をポ−ルスター(Polestar)として、北極を差し示していることを知っていました。それを利用して水平線(horizon)とポ−ルスターから緯度(latitude)を知って出帆港へ帰りました。赤道(equator)を越えると
ベアリングダイアル

フェロー諸島 2002 発行
北極星が見えなくなって、自分の場所が解らなくなりましたので、色々の道具を考案しました。その一つがベアリング・ダイアルで、太陽が正午には真上に来ることを知っていましたが、それ以外はベアリング・ダイアルを使用して、中央の垂直のピン(pin)の影(shadows)と、船の進行方向を示すポインター(pointer)で、自船の位置を割り出しました。正午にはサン・シャドー・ボード(Sun Shadow Board)で自船の位置を割り出して、ダブル・チェックして、誤差を修正していました。なお、日時計(Sun Dial)は影を利用して視太陽時を計測する装置で、起源は古代メソポタミア(Mesopotamia:3500-3200BC)から、紀元前3000年の古代エジプト(Ancient Egypt 3000BC-(Early Dynastic Period:エジプト初期王朝時代(第1,2王朝)-2686BC)で使われていたとされていますが、古代ギリシア(Ancient Greece 2600BC-338BC)及び古代ローマ(Roma antiqua 753BC-480AD)で改良され完全なものができたといわれています。これがアラビアに伝えられて、アラビアの天文学ではノーモン(gnomon)と呼ばれました。

アストロラーベ (現代の星座早見盤の原型)
  Astrolabe

アストロラーベは平面アストロラーベとも呼ばれ、古代の天文学者や占星術者が用いた天体観測用の機器でした。用途は多岐にわたり、太陽、月、惑星、恒星の位置測定および予測、ある経度と現地時刻の変換、測量、三角測量に使われ、イスラムとヨーロッパの天文学では天宮図を作成するのに用いられるアナログコンピュータでした。アストロラーベの発明者は不明ですが、18世紀に六分儀が発明されるまでは航海における主要な測定機器の役割を担ってきました。アストロラーベの発明者としてヒッパルコス(Hipparchus 紀元前190頃- 紀元
アストロラーペ
前120頃)やヒュパティア(Hypatia 370頃-415、古代エジプト女性の数学者・天文学者・新プラトン主義哲学者で、キリスト教徒が異教徒として虐殺)とする説もあるも、定かではありません。

イスラム世界での天文学の発達とアストロラーベの関係については、アッバース朝初期にマンスールなどの歴代カリフたちが主導したことで、ギリシア語文献を中心としてシリア語、パフラヴィー語など諸文献をアラビア語へ相互に翻訳する一種の「翻訳運動」が隆盛して、この時期に天文学関係の諸分野の研究も活発化し、アストロラーベについてもその用途などに応じて様々な研究や作成が行われました。真鍮製のアストロラーベはイスラム世界の各地で発達し、主に用途としては天体や地上の目標物の高度を測定したり、時刻の算出、占星術に必要な特定の天球上の星座配置の再現などに利用されました。四分儀と並ぶ携帯用の天体観測儀として普及し、このため航海中の時刻や位置測定、イスラム信徒が祈る方向のキブラ(Qibla)を見付けるためなどに広く使われました。15世紀後半に作成されたもので、大変珍しい球体状のアストロラーベなどもありました。

西ヨーロッパ世界へのアストロラーベの伝播と普及は11世紀、後ウマイヤ朝などのイスラム政権治下のスペインや、ノルマン王朝やホーエンシュタウフェン朝時代のシチリア王国を経由してイスラム教徒やユダヤ教徒、キリスト教徒の知識人たちがアラビア語文献のラテン語、ヘブライ語などへの翻訳活動が活発化していた時期に導入されて利用されました。ヨーロッパの最初の金属製アストロラーベは15世紀にリスボンのアブラハム・ザクート(Abraham Zacuto)が制作しました。金属製アストロラーベは木製のものに比べ、より高い正確さを持ち、15世紀には、フランスの測定機器技師ジャン・フソリス(Jean Fusoris 、1365頃−1436)が、パリの彼の店で日時計や他の科学機械などと共にアストロラーベの販売を開始。16世紀にヨハネス・シュテッフラー(Johannes Stoffler )がアストロラーベの製作法と使用法の解説書である Elucidatio fabricae ususque astrolabii を出版。2006年にドーハで開かれたアジア大会では、開会式でアストロラーベを模した聖火台に点火されました。

アストロラーベの構造は、メーター(mater )と呼ばれる中空の円盤と、その中にはめ込まれた1個以上のティンパン(tympans )又はクライメータ(climates )と呼ばれる平らな板からなり、ティンパンは特定の緯度ごとに作られ、天球の一部分を表すための方位角と高さの投影法による線が等間隔で刻まれています。これが地平線の上に置かれて、メーターのふちには、一般的に時間または弧の角度、もしくはその両方が刻まれています。メーターとティンパンの上にリート(rete)と呼ばれる、黄道の投影線と星の位置を示す幾つかの指針を持った枠が付いており、リートの上で回転。赤緯の目盛りが付いた細いルーラ(rule)を持つアストロラーベも有。リートが回転するのに従って、星と黄道がティンパン上の空座標の投影図上を動いていき、1周は1日に対応し、従ってアストロラーベは現代における星座早見盤の原型といわれています。メーターの裏にはアストロラーベの多岐にわたる応用に役立つ比率などの数値が刻まれていることが多く、それらの数値は製作者によって異なるが、時間を換算するための曲線、特定の月の日にちを黄道上の太陽の位置に変換するカレンダー、三角法の比、裏面を1周する360度の目盛りなどが見られます。裏面にはアリデード(alidade)と呼ばれるもう1つのルーラが取り付けられていて、アストロラーベを垂直に持ったとき、アリデードが回転し、その長さに従って星に照準が合わされ、アストロラーベの縁の目盛りから星の高度が得られる(取る)。星(astro)を取る(labe)のでアストロラーベ(astrolabe)となります。等々が、15〜16世紀に登場して、船上で使用されました。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。     11/10/11

スタンプ・メイツ
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