世界遺産(セーシェル)
バレ・ドゥ・メ
Vallee de Mai
巨人の谷
ゴードン将軍

SEYSHELLES
クロインコ
(Black Parrot)

フタゴヤシの木
(Coco de Mer Palm)
フタゴヤシの実と
セイシェルの黒インコ

フタゴヤシ 黒インコ


セイシェル 1968/12/30 発行
セイシェル 1985 発行

プララン島 フタゴヤシの実
Coco de Mer


セイシェル 1985/3/15 発行
プララン島 ←キュリーズ島






セイシェル 1982/4/22 発行

セイシェル諸島の場所地図
インド洋とセイシェル諸島の古地図(ポルトラノ海図
インド洋↓
紅海→

アデン湾→

アフリカの角→
(ソマリア半島)

←インド


←セイロン島

アフリカ
羅針盤
      マダガスカル島↑     ↑セイシェル諸島
セイシェル 1971/4/20 発行

バレ・ドゥ・メ渓谷(巨人の谷)自然保護区
 Vallee de Mai Nature Reserve
  世界遺産:ユネスコの自然遺産(1983, Natural heritage site)
         UNESCO World Heritage Site on the island of Praslin, Seychelles
  正式名称:日:ヴァレ・ド・メ自然保護区(種と生息地管理地域)
         英:Vallee de Mai Nature Reserve
         仏:Reserve naturelle de la vallee de Mai
バレ・ドゥ・メ渓谷(巨人の谷)自然保護区は、面積:0.195kuで一番狭い世界自然遺産です。日本の「屋久島」世界自然遺産は107kuです。

ヴァレ・ド・メ自然保護区は、セーシェルの島々の中で2番目の大きさを持つプララン島(Praslin, 別名:プラスリン島)にある自然保護区で、1979年にセーシェルのプララン国立公園(Praslin National Park)に指定され、1983年にはユネスコ世界遺産の自然遺産に登録されました。自然遺産としては世界一小さな(狭い)遺産です。面積は非情に狭いながらも、樹齢100年以上の木が密生する原生林に、セイシェルのセイシェル・クロオウム(Black Parrot)や、セイシェル固有のフタゴヤシ(Coco de Mer Palm:ココ・ドゥ・メール・パーム)が生育して、その価値は高く評価されています。

プララン島にはフォンド・アゾア山(Fond Azore, 373m)が聳えており、その谷のヴァレ・ド・メ渓谷には、フタゴヤシが4,000〜5,000本自生しており、これは全世界の生育数のおよそ四分の一にもなります。フタゴヤシの樹は高さ30m、実は直径55cmにもなり「ヤシの女王」と呼ばれて、世界最大のヤシの実をつけるココ・デ・メール(フタゴヤシ)が群生する原生林が残っており、珍しい動植物も生育しています。フタゴヤシの実は重さ20kgにまで成長するも、女性の下腹部に似たその独特の形状から、古来様々な俗説を生み出しました。現在、この保護区内でこれを採取することは禁止されているも、不正な採取があとを絶たないといわれて、絶滅が心配されています。この他4種類のヤシと28種の植物の固有種があります。

鳥類はセイシェル・クロオウム(ブラック・パロット:別名クロインコ)の他、セイシェル・キアシヒヨドリ(Seychelles Bulbul)、セイシェル・ルリバト(Seychelles Blue Pigeon)が生息。また、セイシェル虎カメレオン(Seychelles Tiger Chameleon)やアシナシヤモリ、セイシェルブロンズヤモリ(Seychelles bronze gecko:Bonze Eyed Gecko)、セイシェルトカゲ(Seychelles Skink)も生息。この島特有の美しさをイギリス詩人アトール・トーマス(Atholl Thomas)が、その作品「忘れられた楽園」の中で賞賛しているという説有。1881年にイギリスの将軍チャールズ・ゴードン少将がプラスリン島に来島した時、ヴァレ・ドゥ・メを、旧約聖書の創世記に登場する理想郷「エデンの園(Garden of Eden)だ!」と言ったといわれています。

なお、1993/12月に日本の屋久島が島中央部の宮之浦岳を含む屋久杉自生林や西部林道付近など、島の面積の約21%にあたる107.47kuがユネスコの世界自然遺産に登録されました。世界遺産への登録は1993年で、姫路城・法隆寺・白神山地とともに日本初でした。

参考:〜
少将チャールズ・ジョージ・ゴードン将軍
(Major General Charles George Gordon, CB 1833-1885/1/26)
ゴードン将軍は、イギリスのケント州(#1B23)ウールウィッチで代々陸軍々人の家に生まれて軍人になりました。クリミア戦争(Crimean War, 1853/10/16-1856/3/30)に従軍後、中国に派遣されアロー戦争(Arrow War、第二次アヘン戦争: Second Opium War、1856-1860)に従軍しました。その後、中国の清朝(Qing Dynasty, 1636/1644-1912)の時に、洪秀全(1814-在位1851/1/11-1864/6/1)が中心となって独立国家・太平天国(Taiping Heavenly Kingdom, 1851-1864)を樹立して起こした大農民反乱の「太平天国の乱」(1851-1864)が、郷勇などの漢人勢力・外国軍の介入によって滅ぼされました。その外国人がゴードン将軍で、反乱鎮圧に大きく貢献し、「チャイニーズ・ゴードン」というニックネームと、中国皇帝とイギリスから栄誉を授与されました。

そして、名声を上げたゴードン将軍はイギリス帰国後、イギリスの植民地支配に対するアフリカ現地の反乱が厳しくなっていたスーダンの知事、さらにエジプト総督に任命されて赴任。一旦辞職していたが、1881年にアフリカで「マフディーの反乱」(1881-1899)が起きると将軍としてその鎮定にあたることとなり、エジプト軍の救出に向かうもハルツーム包囲戦(1884/3/13-1885/1/26)でマフディー教徒軍との300日にわたる籠城戦の結果、敗れて1885/1/26に戦没しました。イギリス政府の派遣した救援軍が、国民的な人気のあったゴードン将軍の救出に間に合わなかったことから、イギリス国内で批判が高まり、時の第3次グラッドストン内閣(Third Gladstone ministry、1886/2/1-1886/7/20)は総辞職しました。

こちらで世界遺産の
アンコール・ワット (カンボジア)
アンコール・トム (カンボジア)
ピラミッド (エジプト)
日光東照宮(日本)
をお楽しみください。

参考HP:〜
ヴァレ・ド・メの場所地図(日本語)
プララン島の場所地図

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。   2003/9/9、14/4/4、令和8年 2026/2/23

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