★アルゼンチン
 VS アメリカ
マルビナス 危 機 フォークランド 大航海物語
参考資料★
マルビナス危機
1829
マルビナス諸島とルイス・ヴェルネト

REPUBLICA ARGENTINA
マルビナス、南ジョージア、南サンドウィッチ、各諸島を示す地図 ドン・ルイス・ヴェルネト
1829 マルビナス危機153年記念 1962
アルゼンチン 1982/6/12  発行

マルビナス諸島の場所地図
南アメリカの地図

アルゼンチン 1935 発行
アルゼンチン

マルビナス(フォークランド)諸島
サウスジョージア諸島
サウスサンドウィッチ諸島
サウスオークニー諸島

南極半島と南極
アルゼンチン 1964 発行

マルビナス危機
  Marbinus Crisis
、アメリカの介入、1829
フォークランド諸島(ス:マルビナス諸島)は、1690年にジョン・ストロング船長(Captain John Strong)がウェルフェアー号(Welfare)に乗船し、西フォークランド島ポート・ハワード(Port Howard)に初上陸をなし、東西の島を分けるフォークランド海峡(Falkland Channel現Falkland Sound)を発見、航海の援助者の海軍アンソニー・フォークランド子爵(Anthony Falkland, 1659-1694)にちなんで「フォークランド島」と命名しました。

1764年にフランスのブーゲンビル船長がポート・セント・ルイス(Port Saint Louis, East Falkland)に居住地を250人で建設。1765年にバイロン艦長がドルフィン号とタマール号(Tamar)で西フォークランドのソーンダース島(Saunders Island)に到達、諸島全体をフォークランド諸島、そして港をポート・エグモント(Port Egmont)と名付け諸島のイギリス領有を主張しましたが、東フォークランドのフランス居住地ポート・セント・ルイスには気付きませんでした。1766/1/8にマックブライド艦長がフリゲート艦ジェイソン号(Jason)、スループのカルカス号(Carcass)と補給船を率いて到達、ポート・エグモントにイギリスの居住地を建設。1766年にフランスがスペインに譲渡しました。

・スペインの撤退
1811年には南アメリカでの独立運動とイギリスの圧力を受け、スペインの移民もフォークランド諸島(ス:マルビナス諸島)から撤退するも、スペインも領有権の主張は維持。スペインが撤退した後はアメリカとイギリスの軍艦や捕鯨船が悪天候時の避難港として頻繁に島を利用していました。

・アルゼンチンの介入
1820年にアメリカで私掠船の船長をしていたデイビッド・ジューエットの指揮下でリオ・デ・ラ・プラタ連合州(後のアルゼンチン)のフリゲート艦エロイナ号 (Heroina) がマルビナス諸島のソレダードに到着し、アルゼンチンは諸島の領有と主権を宣言。諸島は旧スペイン植民地だったため、旧スペイン植民地の四つの副王領のうち、パタゴニアに最も近かったので、旧リオ・デ・ラ・プラタ副王領の一部として独立に際して主権も受け継いだと、ポルテーニョ達には考えられたからでした。連合州当局は諸島周辺のイギリスおよびアメリカ合衆国のアシカ漁船に対して警告を発するも無視されました。1823年にラ・プラタ連合州がホルヘ・パチェコ (Jorge Pacheco) とルイス・ベルネト (Luis Vernet 1791-1871) に漁業権を与えました。翌年に2人はフォークランド諸島に向かうも、探検は失敗を重ね、パチェコは諦めてしまいました。1828年に植民地の樹立に成功することを条件に、東フォークランドとその資源がベルネトへ与えられました。当時アルゼンチンに中央政府は存在しなかったため、ブエノスアイレス州知事フアン・マヌエル・デ・ロサスが基本法に基づいて外交権(と事実上の全土の行政権)を行使していました。

・アメリカの介入
1829年にマルビナス危機が勃発。1829年にはアルゼンチン当局は島の知事にベルネトを任命し、アザラシの狩猟権も与えました。これに対して駐ブエノスアイレス英国領事が抗議しました。ロサス知事は諸島周辺で操業していた捕鯨業者に、船籍を問わず鯨1トンごとに一律5ペソの税金を課することを決定。しかし、アメリカ船3隻がこの支払いを拒否し、この漁業権紛争で、アルゼンチン当局がアメリカ船舶の船長を逮捕。駐ブエノスアイレス合衆国領事は本国に報復を訴え、アメリカはサイラス・ダンカンをスループ船レキシントン号の艦長にして、海兵隊をフォークランド諸島に派遣。レキシントン号はソレダードを襲撃して住民を連行し、植民地の状態が良好ではないことを報告。その代償で、合衆国ブエノスアイレス領事がロサス知事に追放されました。アンドリュー・ジャクソン合衆国大統領はこの措置に対してさらに報復を行うことも考えるも、結局この問題に対してこれ以上深入りするのを避けることにして、マルビナス危機は回避されました。

ビーグル号での航海の最中にフォークランド諸島を訪れたチャールズ・ダーウィンも植民地の悲惨な状態を報告していますが、それがレキシントン号の攻撃が原因である可能性についても言及しました。

1833年からイギリスが実効支配中。

参考:〜
フォークランド諸島の地図(日本語)
南極周辺の島々の地図(日本語)

こちらで、領土の帰属をめぐる紛争地帯の
南砂諸島
西砂諸島
北方四島
竹 島
ガ ザ
パレスチナ紛争
フォークランド戦争

サウス・ジョージア島の戦い、をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。     12/12/14

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