切手で綴る 南極探検


SUID AFRIKA  SOUTH AFRICA


南アの地図と南極航路と南極風景


南アフリカのケープタウンから南極探検に出発

南ア連邦 1959 発行

ケープタウンから南極への地図











アメリカ(USA)
「バード」の南極探検

US POSTAGE

BYRD ANTARCTIC EXPEDITION II
アメリカ 1933.10.9 発行

バードは1929年11月28-29日ロス氷原のリトル・アメリカ基地から南極点までの往復飛行に成功しました。

リチャード・イーヴリン・バード
(Richard Evelyn Byrd 1888-1957)
アメリカの飛行家、探検家で、初の南北両極の探検飛行に成功し、米国の国民的英雄となり南極の地学・地球物理学的研究を行いました。1939年には海軍少将で米国政府の南極探検隊長となり、全5たび南極探検の指揮をとり、69才でボストンにて亡くなりました。

ハイジャンプ作戦 (Operation Highjump 1946-1947) は、
リチャード・バード少将

USA 1988 発行
バード少将が指揮を執った、アメリカ海軍の大規模な南極観測プロジェクトでした。


ルーズベルト大統領がデザインしたといわれている切手はこちら




ノールウェイ
「アムンゼン」の南極探検



NORGE


  

ノールウエイ 1961/11/10 発行

アムンゼンは1911年12月24日南極点の到達に成功。

ロアル・アムンゼン(Roald Amundsen1872-1928)はノールウエイの探検家で、南極点の初到達者であり、飛行船での北極横断などをも成し遂げましたが、1928年、北極横断時の同行者「ノビレ」の捜索に水上飛行機で出発して消息を絶ち、56才で不帰の客となりました。






ノールウェイ
「ナンセン」の幻の南極探検

NORGE


FRIDTJOF NANSEN 1861-1961
ノールウエイ 1961/10/10 発行

ナンセンはフラム号で12人の乗員と共に北極のチェスリュスキン岬の北東・北緯77度43分の海上で氷原に閉じ込められ、スキーで北極点を目指しましたが1895年4月8日に北緯86度14分に達したところで氷原の状態が悪く引き返しました。
ノールウエイに帰ってから南極探検の計画を立てましたが、第1次大戦の余波のため実現には至りませんでした。ノールウエイはアメリカからの食料輸入に依存していましたので、1917年・アメリカが大戦に参戦し、食料の禁輸を宣言した事で、食糧危機に直面しました。ナンセンは食料輸出の再開を求める使節団長として米国に派遣され、1918年5月の協定でその目的を果たしました。

フリチョフ・ナンセン(Friditjof Nansen1861-1930)は国際連盟で平和追求と難民救済に努め「難民の父」と呼ばれ、1922年度ノーベル平和賞を受賞、
ノールウェイの自宅で69才で亡くなりました





イギリス
「クック船長」の南極探検

BRITISH ANTARCTIC TERRYTORY
1773/1/17
世界最初の南極圏一周航海


クック船長とレゾリューション号
イギリス領南極地域 発行

クック船長は第2回(1772〜1775)は、翌1772年 7月13日に,レゾリューション号とアドベンチャー号を率いて出港。当時その存在を信じられていた南方大陸「テラ・アウストラリス」の探索を使命として、南極圏を徹底的に探索、南氷洋をも航海し、ケルグレン諸島を発見。ニューヘブリデス諸島やニュ−カレド二ア島などの太平洋の島々を発見、又は再発見し地図上に正確に記録しました。3度にわたり南極圏を航海して南緯71度10分に到達。想像上の南方大陸テラ・アウストラリスの存在を否定しました。そして太平洋の島々を訪れて,1773年9月2日にはトンガ島に到達し、東回りに世界周航して、1775年7月30日に帰国しました。




イギリス
「シャックルトン」と「スコット」の南極探検

ROSS DEPENDENCY

Shackleton & Scott
ニュージランド・ロス海属領 発行

アーネスト・ヘンリー・シャックルトン
 Ernest Henry Shackleton
 1874-1922

アイルランド生まれのシャックルトンは4度の南極探検を試みました。第1回目は1901年のスコット隊に加わって南緯82度16分33秒の地点に到達、2回目は自費で1909年1月9日南緯88度23分に到達、帰国後ナイトに叙せられました。3回目は政府の許可と庇護のもと1916年8月30日サウス・ジョージア島に到達しました。最後の4回目の途上1922年1月5日44才で狭心症により急死しました。墓はサウス・ジョージア島で南極を向いて建てられています。

ロバート・ファルコン・スコット
 Roberto・Falcon・Scott
 1868-1912

イギリスのデヴォンポート生まれの海軍軍人(大佐)のスコットは近代装備をもって南極点到達を企て、1912年1月4日に極点に達して、そこにノールウェイの国旗とテントが残されていて、アムンンゼンが1911年12月14日に南極点到達に成功していたことを知ることとなりました。帰途についたスコットは近代装備が役立たず失意と疲労のうちに南緯79度40分の地点で最後のテントを張り、そこで亡くなりました。44才でした。8ヵ月後に救援隊がテントと遺体を発見しました。





日 本
南極探検


日 本
NIPPON


<地球観測年
昭和32年(1957.7.1)

地球・ペンギン

日本の南極探検50年
昭和35年(1960・11.29)
 
白瀬中尉と南極地図
大和雪原の標識
日本の南極観測再開
昭和40年(1965.11.20)

オーロラと南極地図
観測船のシルエット


南極観測船しらせ
昭和58年(1983.11.10)

オーロラ、しらせ、ペンギン








「白瀬中尉の南極探検」



REPUBLIQUE CENTRAFRICAINE


白瀬中尉南極探検80年記念」 小型シート

南緯80度05分西経156度37分大和雪原

白瀬中尉とYAMATO・YUKIHARA地図
開 南 丸

白瀬中尉の乗船 KAINMAN MARU
中央アフリカ共和国 1992 発行

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。        2019/9/20追記
スタンプ・メイツ
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