Red Skelton
Pirates of Caribbian

海賊ネッド・ロー船長
1723/6/10
デラウェア湾沖の海戦

大航海物語
 ★カリブ海
CAYMAN ISLANDS
ネッド・ロー海賊船長

ケイマン 1975/7/25 発行 (200%)

Turks & Caicos Islands
商船を襲うカリブの海賊船

タークスカイコス 1971/7/17 発行
Tanzania
海賊船の旗印

タンザニア 1994 発行

BERMUDA
島の守備砲台<
Smiths Pagets Forts

海賊船 島の守り砲台
バーミューダ 1982/11/18 発行
St.VINCENT
アメリカ南部、メキシコ湾、カリブ海の地図

メキシコ湾
大西洋

カリブ海
セントヴィンセント 1980/12/4 発行

イングランド生まれのネッド・ロー船長は18世紀初頭の海賊黄金時代のカリブの海賊で、わずか数年余りの間に百隻以上の船を襲撃し、自ら50人以上を殺し、捕虜を拷問の上に殺して食い、カリブ海と大西洋を荒らしまわった「残虐な殺人鬼」と呼ばれた海賊と伝えられています。が、その末路は嵐で遭難したものかどうか定かではありません。
海賊エドワード・ロー船長 (1690頃〜1724)
 
Pirate Captain Edward Lowe
 別名:海賊ネッド・ロー船長(Pirate Captain Ned Lowe
エドワード・ローは1690年頃にロンドンのウェストミンスター(Westminster, London)のスラム街で生まれ、喧嘩早い騙し屋泥棒ネッド(Ned)と呼ばれていました。スリ(pickpocket)やかっぱらい(thievery)を生業とし、稼いだ金で下院従僕(House of Commons)とイカサマ博打をするのが常でした。ネッド・ローが未だ幼い時に、同じ家業をしていた兄弟の一人が捕えられ、泥棒のかどでタイバーン(Tyburn)で「縛り首の刑」で吊るされました。ネッド・ローは長じて泥棒仲間に加わり、夜盗(burglary)にもはしっていました。

1710年20才頃にネッド・ローは折からのイギリス海外渡航ブームに乗って、一攫千金を夢見て一人で新大陸に渡り、3〜4年してボストン(Boston, Massachusetts)に落ち着きました。1714/8/12にエリザ・マーブル(Eliza Marble)とボストンのファースト教会(First Church of Boston)で結婚しました。最初の男の子は夭逝してしまい、次のエリザベス(Elizabeth)は1719年冬に生まれましたが、妻エリザが出産で亡くなりました。深く悲しんだネッド・ローは、その直後に娘を残して海に出ました。そして海賊になり、その後のネッド・ローは既婚の水兵強制徴募隊員(press-gang)を仲間に加えませんでしたし、海賊稼業で捕えた女性は安全に港へ帰したと、極悪非道の海賊の唯一つの美談として伝えられています。

▼海賊となる (海賊小型スループ船の航海)
1722年にホンジュラス(Honduras)に向かう船(sloop)の12人の仲間に加わり、ホンジュラス(Honduras)で、荷物を集めてボストンで売りさばくための積荷の監督をしている時に、昼食のため船に戻ってくると、船長が「昼飯は後だ!」と止められたので、空腹の腹いせに皆にラム酒(rum)を分けてのみ、酔っぱらったネッド・ローが船長をマスケット火縄銃(musket)で打ったものの外れて、仲間の水夫に当たりました。それでネッド・ローと仲間がボートで逃げました。一日後、後に有名な海賊になったフランシス・スプリッグス(Francis Farrington Spriggs)と11人を率いるボスになり、ロード・アイランド海岸(Rhode Island)で、一人を殺して乗っ取った小型スループ船に乗って海に出て、海賊ネッド・ロー船長になり、船には「黒旗の海賊旗」を旗印に掲げました。ネッド・ロー船長の残虐さは筆舌に尽くせぬくらいで、例えば犠牲者の手をロープで縛り上げて、指の間に燃え盛る木の枝を挟み、指を骨が出るまで焼いたりしました。

▼海賊ネッド・ロー船長の「海賊の掟
英国海軍の掟(Royal Navy's own Articles of War)に準じて定める。
 1)分け前(Shares)の掟
   ・船長(Captain)は2杯
   ・操舵長(Quarter Master)は1杯半
   ・船医(Doctor)、航海士(Mate)、砲手(Gunner)、
    掌帆長(Boatswain)は1杯と1/4
 2)禁止武器を持込むことなかれ
 3)臆病者になることなかれ
 4)戦利品を出し惜しむことなかれ
 5)イカサマ博打をすることなかれ
 6)遅れることなかれ
 7)酔っ払いになることなかれ
などの10ヵ条の「海賊の掟」を定め、背いた者は死刑や「孤島置き去りの刑」などで処罰しました。

▼海賊の旗印
海賊ネッド・ロー船長は、当初は海賊黒ひげこと海賊ティーチ船長と同じ海賊旗「砂時計をモチーフにした黒地の海賊旗」を使っていましたが、後の1723/7月には自分の旗の「黒地に赤い骸骨」旗(レッド・スケルトン・フィギャー:red skeletal figure on black background)を掲げて、悪名を高めました。戦隊の集合時には「緑のラッパ手」(Green Trumpeter)と呼ばれた「絹の緑地に黄色のラッパを吹く姿」を後牆の縦帆マスト頂上(mizzen peak)に掲げさせました。その後、ロー船長は黒旗に赤の髑髏旗で名を上げていきました。

海賊ネッド・ロー船長は18世紀初頭の海賊黄金時代(Golden Age of Piracy)のカリブの海賊になり、ほんの3年という短い海賊活動の中で少なくとも百隻の船を襲い、大部分を焼き捨てました。その悪逆非道ぶりは評判をとりました。その犠牲者を殺す前に、拷問にかけたことで知られています。かの有名な作家コナン・ドイル
レッド・スケルトン

タンザニア 1994 発行
卿(Sir Arthur Conan Doyle)からは「野蛮で絶望的に残虐非道な殺人鬼」と酷評されています。新大陸ニューイングランド海岸(New England)から、アゾレス諸島(Azores)、カリブ海(Caribbean Sea)を荒し回る3〜4隻の海賊船隊を率いました。

▼海賊ジョージ・ローサー船長の仲間となる (海賊船レベッカ号とリヴェンジ号の航海)
海賊ネッド・ロー船長はボストンとニューヨーク(New York)間航路の商船を狙って活動しました。ロード・アイランド沖で1隻のスループ船を捕縛して略奪し、その数日後に港への警告が届かない間に、ローズマリー港(Port Rosemary)近海で多くの非武装の商船を襲撃して略奪しました。それから、海賊ネッド・ロー船長は南に向かい、グランドケイマン島(Grand Caymans)海域に入って、海賊ジョージ・ローサー船長(George Lowther)の仲間になり、海賊戦隊の副首領になりました。ホンジュラス湾(Bay of Honduras)で、ネッド・ロー船長の小型船が沈没したので、ロー 海賊船
サー船長の大型船リヴェンジ号に乗り移りました。100屯のロードアイランド武装スループ船(100t Rhode Island sloop)ハッピー・デリヴェリー号(Happy Delivery、8 cannon 10 swivel guns)を捕獲して船長になりましたが、ケイマン諸島のタイノ島(Taino)で現地人の襲撃で破壊されましたので、武装スループ船レーンジャー号(sloop-of-war Ranger)に乗り移りました。

1722/5/28に、多数の襲撃に成功した海賊船隊の首領ローサー船長が、乗っ取ったブリガンティン船レベッカ号(large 6-gun brigantine Rebecca)を、ネッド・ロー船長に与え、44人の野郎どもと乗り込み、ローサー船長のリヴェンジ号に随伴しました。その後、ローサー船長の仲間は順調に増加しました。そこからカリブ海を恐怖で席巻する海賊船隊の本格的な海賊活動が始まりました。1722/6月に有名な襲撃をしました。ローサー船隊は海賊旗ジョリー・ロジャー旗(Jolly Roger)を掲げて、抵抗すれば情け容赦はしないと言い放ちながら、ローズウェイ港(Port Roseway)、シェルバーン(Shelburne)、ノヴァスコシア(Nova Scotia)に停泊していた13隻のニューイングラン小型船舶(New England fishing vessels)を攻撃しました。船団が拿捕され、海賊ローサー船隊は全ての船から奪い、船は沈めました。1722/7/9付ボストンニューズレター新聞(Boston News Letter)に、海賊ローサー船隊の捕縛船リストが掲載されました。フィリップ・アシュトン(Philip Ashton)ほか数多くの漁民がローサー船隊に囚われました。アシュトンはホンジュラスのベイ諸島(Bay Islands of Honduras)のロータン島(Roatan Island)で、1723/5月に脱出して故郷に帰りました。彼が語るところによると、「捕まって海賊仲間になる契約書に署名(Sign)しないと、鎖につながれ、鞭打たれ、何度も殺すぞと脅された」と話ました。また海賊ローサー船隊の戦法については、「まず偽の旗印を掲げて商船に忍び寄る」ことだとも語りました。

ニューファウンドランドのセント・ジョーンズ沖(St John's, Newfoundland)で、海賊ローサー船隊が完全武装の船を漁船と見誤って襲撃に失敗しましたが、やっとの思いで逃れ、コンセプション湾(Conception Bay)に移動しました。

▼海賊ローサー船長と別れる
ニューファウンドランドのグランド・バンクス(Grand Banks)近海で多数の船(boats)を襲撃、捕縛しました。1722年秋頃にネッド・ロー船長は、仲間には気前の良さから従う者が多く、彼を頭目に押しましたので、サウス・カロライナ沖(South Carolinas)でローサー船長と別れて、カリブ海(Caribbean)に戻って荒し回りました。そして、さらに大西洋を横断して、アゾレス諸島にまで遠征しました。そこでフランス船かポルトガル船か定かではない狭隘船尾の旧式武装(narrow-sterned former man of war)の船ピンク号(Pink)を捕獲して、完全武装に再武装後、ローズ・ピンク号(Rose Pink)と改名して、若い船長チャールス・ハリス(Charles Harris 169?-1723)に与えました。他に2人のポルトガル人乗客を乗せたイギリス船を捕獲し、ポルトガル人を舷側から吊り下げて、何度も海中に落して殺害しました。アゾレス諸島を恐怖のどん底に突き落としたので、当局からネッド・ロー海賊船隊討伐の特別告示を受け、海賊狩りが起こりました。その後、カナリア諸島(Canaries)、ケープ・ヴェルデ諸島(Cape Verde)を荒し回り、大西洋を再横断して、ブラジル海岸(Brazil)へ戻りましたが、悪天候に遭遇したので豪華な商船を襲うのを諦めて、カリブ海に向かいました。ネッド・ロー海賊船隊はカリブ海に着くと、多くの船舶の襲撃に成功して、その悪名は益々高まりました。

レベッカ号とチャールス・ハリス船長のローズ・ピンク号に海藻(seaweed)とホシ貝(barnacles)が付着して、傾船修理(careening)の必要性が生じましたが、海賊には浮きドック(Dry-dock)が無いので、修理のためスリナム(Surinam)の東220kmで投錨、修理に取り掛かりました。未だ経験の浅いネッド・ロー船長でしたが、大勢の野郎どもを叱咤激励して、修理のために働かせました。ところが、ローズ・ピンク号が遠くへ流されて転覆し、舷窓が開いたままだったので、浸水し始め、ついに沈没して2人の仲間を失いました。

▼海賊船レベッカ号とレーンジャー号の航海
食料輸送船スクーナー船のピンク号(schooner Pink)とスクィレル号(schooner Squirrel)を乗っ取り、ハリス船長がピンク号の船長になりました。飲料水不足が起こり、一日当り1ピント(pint:約275ml)を厳密に配給しました。1723年初旬に、順風に乗って最初の目的地のトバゴ島(Tobago)に向かうも、強い潮流で船隊はフランス領グレナダ島(Grenada)に到着。乗組員を下甲板に隠して、飲料水を探しに数人を上陸させました。翌日、フランス軍艦スループ船レーンジャー号(sloop Ranger)が検問に来ましたが、逆に下甲板に隠れていた野郎どもが乗り移って捕獲しました。レーンジャー号をハリス船長に与え、ピンク号は放棄し、スクィレル号を操舵長のフランシス・スプリッグス(quartermaster Francis Farrington Spriggs)に与え、真夜中にグレナダ島を出帆しました。

▼反乱、1723年上旬 (海賊船フォーチュン号とレーンジャー号の航海)
新船隊は多くの船(sloops)を捕獲し、内1隻をフォーチュン号(sloop Fortune)と名づけ、ネッド・ロー船長が乗り移り、レベッカ号は捨てました。1723/1/10に反乱(trial)が勃発。数多くの手下の内の一人ジョン・ウェランド(John Welland)がフォーチュン号に乗り込んできて、「ネッド・ロー船長が黄金£150ポンドを自分のボートに隠して独り占めにしている」とて反乱を起こしたので戦いとなりましたが、捕えて鞭打ち、サトウキビ収穫用そり身の短剣「カットラス」(cutlass)で片耳を切り取り、ボートに追放しました。

1723/1/25に海賊ネッド・ロー船長の船隊はポルトガル船ノストラ・シグニオラ・デ・ヴィクトリア号(Nostra Signiora de Victoria)を捕獲。ヴィクトリア号の船長が捕獲される前に、袋詰めの£15,000ポンド相当の金塊(gold moidores)11,000個を海中に投棄しました。激怒したネッド・ロー船長はヴィクトリア号船長の唇をカットラスで削ぎ取ってボイルして、未だ熱い内に食わしました。それから、残りの乗組員を皆殺しにしました。その残虐ぶりは、仲間に「マニアックな獣」(maniac & brute)と言わしめました。また、その残虐ぶりは、フランス人コックを生きたまま焼いて、「脂がのった上等のフライだ」(greasy fellow)と言い、またある時にはカットラスで53人のスペイン人捕虜を虐殺したと語り継がれています。

▼海賊ローサー船長と船隊を再結成するも別れる(海賊船フォーチュン号とメリー・クリスマス号の航海)
1723/7月に海賊ローサー船長の船と3隻の船隊を再結成しました。1723年遅くに南米ギニア(Guinea)沖で海賊ローサー戦隊がデライト号(Delight)を捕獲。14門で武装してスプリッグス船長(Spriggs)に与え、スクィレル号は放棄して船隊は4隻になりましたが、その2日後にローサー船長とスプリッグス船長は、フォーチュン号のネッド・ロー船長を見捨てて行ってしまいました。ネッド・ロー船長はフォーチュン号とレーンジャー号の2隻になりましたが、34門で武装したメリー・クリスマス号(Merry Christmas 34 guns)を捕獲して3隻になりました。ネッド・ロー船長はその当時の他の海賊のように、殺したり拷問したりするぞと脅して降伏させようとしました。相手の船の乗組員は船を守るために士官を隠しましたが、報復を恐れました。ある時、拷問中の仲間の野郎どもが間違ってネッド・ロー船長の口をカットラスで切ってしまいました。船医が口を縫ったものの、醜い傷が残りました。ユニティー号(Unity)が船隊に加わり、補給船(Tender)に使用しましたが、間もなく武装船マーメイド号(Mermaid)にその役割を移して、ユニティー号は放棄しました。(断片的な伝承で、日付の違いは定かではありません)

▼海賊船ファンシー号の航海
1723年夏、ネッド・ロー船長は捕獲した最大の80屯スクーナー船ファンシー号(Fancy 80t schooner)と名付け、大砲10門(10 guns)を据え付けて旗艦として44人と乗船し、1723年初旬にグレナダ島沖で捕獲したフランスのスループ船チャールス・ハリス船長の武装船レーンジャー号(sloop-of-war Ranger)を随伴して、大西洋を荒し回りました。イギリス船キング・サガモア号(King Sagamore)の航海士ジョージ・ロバート(George Roberts)がネッド・ロー船長のファンシー号に乗り込んできて、ネッド・ロー船隊に捕獲されても、指揮官として振る舞いましました。カリブの海賊の跳梁に手を焼いたイギリス当局は、数隻の軍艦を急派して海賊狩りのカウンター・パトロール(counter-piracy patrols)を実施させましました。

デラウェアー沖の海戦 (1723/6/10、海賊船隊が敗北)
ネッド・ロー船長とハリス船長の船隊はアゾレス諸島を去り、北米のカロライナ(Carolinas)に向かいました。1723/6/10に海賊船狩りに急派されてきたピーター・ソルガート艦長(Peter Solgard)の重武装イギリス軍艦(man of war)グレイハウンド号(HMS Greyhound)との海戦で、徹底的な敗北を喫しました。ロー船長は後ろにハリス船長のレーンジャー号を残して、ファンシー号に死傷の仲間と£150,000ポンドの財宝を積んで、アゾレス諸島に向かって脱出・逃走しました。

6/10〜12の戦いのレーンジャー号捕虜24人と船医をソルガート艦長がロードアイランドのニューポート(Newport, Rhode Island)に運び、海賊(piracy)、強盗(robbery)の重罪(felony)のかどで、1723/7/19に絞首刑に処されました。海賊ハリス船長はイングランドに送られて、ロンドン郊外のワッピング(Wapping)で、絞首
海賊船
刑に処されました。ソルガート艦長はニューヨークに戻り、街に安全宣言を発し、記念に海賊の「金の嗅ぎ煙草入れ」(gold snuffbox)を寄付しました。

デラウェア湾沖の海戦:〜海賊狩り作戦
  Battle of off Delaware Bay, Atlantic Ocean

イギリスのピーター・ソルガード艦長(Peter Solgard)の勝利
戦場 デラウェア湾沖(off Delaware Bay, Atlantic Ocean)
期間 1723/6/10〜12
対戦 イギリス海軍 海賊船隊 
6等戦列艦グレイハウンド号
(6rate post ship HMS Greyhound、20guns)
武装スクーナー船ファンシー号(45人)
(80ton schooner Fancy、10guns)
武装スループ船レーンジャー号(25人)
(sloop-of-war Ranger) 
指揮官 ピーター・ソルガード艦長(勅任艦長)
(海軍大佐:Post-Captain Peter Solgard)
ネッド・ロー船長(Ned Lowe)
チャールス・ハリス船長(Charles Harris.) 
戦 力 120人 45人+25人 
損 害 損害多数なるも、勝利 ファンシー号:大破、逃亡
レーンジャー号:降伏
合計:捕虜43人 
結 果 イギリス軍艦の勝利 海賊船隊の敗戦 
・海賊船は3隻の説も有。

別説では、ネッド・ロー船長はスクーナー船ファンシー号に乗船していた時に、ピーター・ソルガード勅任艦長(Post-Captain Peter Solgard)のイギリス20門艦6等戦列艦グレイハウンド号(6rate post ship HMS Greyhound、20guns)120人乗組の襲撃を受けました。ネッド・ロー船長はアゾレス諸島方面に脱出・逃亡し、グレイハウンド号が捜索している間に、イギリス領の北アメリカを襲撃しました。ところがデラウェア湾口(Delaware Bay)を航海している時にイギリス軍艦を見誤って、捕鯨船を望見したと思って追跡。ジョリー・ロジャー旗とレッド・スケルトン旗を掲げて、イギリス捕鯨船を餌食にしょうと接近した、まさにその時にグレイハウンド号が舷側を接舷。ネッド・ロー船長のスクーナー船は大破しながら、反撃の砲撃を開始。ハリス船長のレンジャー号は砲撃位置に巧みに移動し、数分後には砲撃の火ぶたを切り、砲撃戦は数時間続きました。ファンシー号は砲撃でマストをへし折られましたが、逃げきりました。レーンジャー号は破壊され、フォーチュン号も風向きが悪かったので、オールを漕いでイギリス軍艦から脱出・逃亡しょうとしました。レーンジャー号はオールを漕いでは、早いイギリス戦艦から逃げ切れず追いつかれ、戦艦グレイハウンド号から投げられた「四つ爪アンカー」(Grappling hooks)のフックが掛けられて、イギリス兵士が乗り移ってきました。まず2人が小型兵器で小競り合いを始め、数時間の猛烈な接近戦闘の後に、海賊船が降伏し、生き残りの海賊たちは捕虜になりました。ネッド・ロー船長のファンシー号(schooner Fancy)は£150,000ポンドの金塊を積んでいたと伝えられています。白人37人と黒人6人が捕えられました。1723/6/19にイギリス領ロードアイランドのニューポート(Newport, Rhode Island)で、24人と船医が絞首刑で吊るされました。グレイハウンド号のソルガード艦長はニューヨークとイングランドで有名な英雄となり、最期にはイギリス海軍で提督に昇進しました。

また、海賊狩りを逃れた海賊チャーリス・ハリス船長は北アフリカでバーバリー海賊(Barbary pirates)に加わり、イスラムに改宗(Muslim)してムーア人の海賊船(Moorish ship)の船長になりましたが、アイルランド沖(Ireland)でイギリス軍艦に捕えられて、絞首刑となりロンドン郊外のワッピングで吊るされたとも伝えられています。

▼海賊船ファンシー号のその後の航海
海賊ネッド・ロー船長はファンシー号で北へと航海。沖合130kmで捕鯨船グレイハウンド号(Greyhound)に遭遇、追撃して、右腕の無いハリス(Harris)が船長を拷問にかけて頭を撃ちました。捕鯨船の食料を取り上げて、乗組員が餓死すようにしてから捕鯨船を放しました。ところが捕鯨船は幸運にも苦しい航海の後に、マサチューセッツ州ケープ・コッドの南約48.3km(30マイル)にある島ナンタケット島(Nantucket)に着くことが出来て、海賊船長の話を当局に知らせました。ネッド・ロー船長は北米での活動を続け、ブロック島(Block Island)近くで小型船舶(fishing boat)を捕獲、ネッド・ロー船長が船主の首を刎ね、乗組員は岸へ追いやりました。ロードアイランド(Rhode Island)近くで2隻の小型船舶を捕獲した時に、漁民を拷問にかけるように命じられてできなかった者へ、ひどい仕打ちをしました。再度、南へと向かい、22門艦フランス船(22-gun French ship)を捕獲。1723/6月遅くに大きなヴァージニア船メリー・クリスマス号(Merry Christmas)を捕獲しました。ネッド・ロー船長はイギリス軍艦グレイハウンド号との「負け戦」後は、イギリス船に対して特に残酷になりました。

▼海賊の末路
海賊ネッド・ロー船長は、イギリス軍艦との敗戦後も海賊を続けて、武装フランス船(22-gun French man-of-war)を含む多くの船を襲撃し、特にイギリス船の捕虜にはもっとひどい仕打ちをしました。海賊ネッド・ロー船長の末路は定かではありませんが、1724年に最期を迎えたものと思われています。

ネッド・ロー船長の最期についての報告が、作家ダニエル・デフォー(Daniel Defoe 1660-1731)の作品「海賊の歴史」(A General History of the Pyrates 1724)に登場。それによるとネッド・ロー船長とファンシー号がカナリア諸島近くとアフリカのギニア沖で目撃されたのを最後に、1724年以降は見つかっていません。また、噂話として、ブラジル近くを航行中に、嵐に遭遇して船もろとも全員が沈んだ話が伝わっています。その他に、メリー・クリスマス号で反乱が起こってネッド・ロー船長が殺されたとか、フランス軍艦に捕まって、 1724年にマルチニーク島(Martinique)で裁判にかけられて、絞首刑で吊るされたとかの話も有りますが、定かではありません。

・参考:〜
  海賊ネッド・ロー船長の「海賊の掟」の原文とされているもの
(1)The Captain is to have two full Shares; the Quarter Master is to have one Share and one Half; The Doctor, Mate, Gunner and Boatswain, one Share and one Quarter.
(2)He that shall be found guilty of taking up any Unlawfull Weapon on Board the Privateer or any other prize by us taken, so as to Strike or Abuse one another in any regard, shall suffer what Punishment the Captain and the Majority of the Company shall see fit.
(3)He that shall be found Guilty of Cowardice in the time of Ingagements, shall suffer what Punishment the Captain and the Majority of the Company shall think fit.
(4)If any Gold, Jewels, Silver, &c. be found on Board of any Prize or Prizes to the value of a Piece of Eight, & the finder do not deliver it to the Quarter Master in the space of 24 hours he shall suffer what Punishment the Captain and the Majority of the Company shall think fit.
(5)He that is found Guilty of Gaming, or Defrauding one another to the value of a Royal of Plate, shall suffer what Punishment the Captain and the Majority of the Company shall think fit.
(6)He that shall have the Misfortune to loose a Limb in time of Engagement, shall have the Sum of Six hundred pieces of Eight, and remain aboard as long as he shall think fit.
(7)Good Quarters to be given when Craved.
(8)He that sees a Sail first, shall have the best Pistol or Small Arm aboard of her.
(9)He that shall be guilty of Drunkenness in time of Engagement shall suffer what Punishment the Captain and Majority of the Company shall think fit.
(10)No Snaping of Guns in the Hould

ディズニーランドのテーマパークにパイレーツ・オブ・カリビアンのネッド・ロー(Ned Low)があります。

参考HP:〜
カリブ海の地図
ホンジュラス湾
セント・ジョーンズ湾(コンセプション湾は半島の反対岸に有)
ナンタケット島の場所地図(日本語)
海賊旗・赤い骸骨旗
デラウェア湾の場所地図

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。       11/9/11、12/7/28、12/8/2
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