Portugal

国連 1989 発行
切手で綴る 冒険大航海(Adventure Voyages)ポルトガル発見者の群像(0-1
ジョアン・ゴンサルヴェス・ザルコ船長
1418
ポルト・サント島・マデイラ島、発見

大航海物語
ポルトガル編

Portugal
ザルコ船長

ポルトガル 1945/1/29 発行
PORTUGAL-MADEIRA
ザルコ船長

マデイラ 1981/7/1 発行



マデイラ島→
マデイラ諸島

マデイラ 1980 発行
ポルト・サント島





PORTUGAL-MADEIRA
探検航海用のカラベル帆船
マデイラ諸島のポルトラノ海図
マデイラ 1981/7/1 発行


GAMBIA
西アフリカの地図
PORTUGAL
カラベル船


ポルトガル 1960/8/4 発行
アゾレス諸島            .
マデイラ諸島 ポルト・サント島
カナリア諸島   .
西サハラ〜ボジャドール岬
オーロ川
西サハラブランコ岬
モーリタニアアルギン
セネガルセネガル川
ヴェルデ岬諸島 ヴェルデ岬
ガンビア川

ギニア
シェラレオーネ




エルミナ
アフリカ大
ガンビア 1992 発行
黒い突起は上から ・ボジャドール岬
・ブランコ岬
・ヴェルデ岬(ダカールのあるヴェルデ岬半島に有)

ジョアン・ゴンサルヴェス・ザルコ船長
 (Joao Goncalves Zarco, 生年没年不詳、1390年頃〜1470年頃?)
ザルコ船長はアルバロ・フェルナンデス船長の叔父でした。ザルコ船長はエンリケ航海王子により、ティシェイラ船長と共に148/12月アフリカ沿岸ギニア方面への探検航海を命じられました。彼らは風に流されて、海鳥とアシカがいるだけのポルト・サント島に着きました。そして其処でザルコ船長は沈み行く太陽の方角にかすかな点を見つけた ので、そこへ航海し、「山が多く、深い森林に覆われた」新しい島を見つけ「イリャ・デ・マデイラ(森の島)」と命名。ポルトガル王・エンリケ王子・キリストの名で正式に領有を宣言して帰国しました。帰国したザルコ船長達はその新しい島々の発見で大歓迎を受けました。

ポルト・サント島はポルトガルのテージョ河々口のリスボン南西約1,0000kmにある大西洋上のポルトガル領マデイラ諸島の島々の一つで、南西約60kmのところに主島のマディラ島があります。ペレストレロ船長がポルト・サント島に最初に上陸した時(1419)に、食用に持ってきた兎の「メス兎」が逃げて野生化し、数年を待たずに全島に大繁殖し、はびこって、植物を食い荒らして最初の殖民は失敗したとも伝えられています。

ザルコ船長はマデイラ島への入植を計画、エンリケ王子の援助(船と物資)を受けて、1421/6月に一族を連れて第1回目の入植のための航海へと出帆しました。 ザルコ船長は1421年にマデイラ島南部で入植地フンシャルを建設しました。そして上陸した一行の焚き火の不始末で大火災が起きて、山火事となり、ルイボ・デ・サンタナ山を焼き尽くしたと伝えられています。 山火事

モントセラト 2005 発行

ところが、生い茂る巨木を焼き払うという結果が、焼け跡の灰が肥料となり、その後の開発のためには大いに貢献し、マデイラ島への植民は大成功を収め、その後の探検航海の原動力ともなって、大西洋航海の補給基地の役割もはたして発展したため、諸外国の海賊の襲撃をたびたび受けるようになりました。 森の島の自然

マデイラ 1981 発行
この探検で、マデイラ諸島は正式にポルトガル領となり、1433年にはエンリケ王子に譲渡され、カピタニアという領主制で本格的に植民がなされました。シチリア(Sicily, Italy)からサトウキビが移植され、15世紀末までにマデイラ島の主産業となり、ヨーロッパの砂糖市場を支配しました。当時のヨーロッパでは甘みは主として蜂蜜から摂られており、 砂糖は貴重品で需要も多く高価でした。 砂糖キビ

オストラリア1969発行
エンリケ王子の提案でクレタ島からマデイラ島に移植されたブドウでマデイラ・ワインが作られヨーロッパ全土へ輸出され大きな利益をもたらしました。

マデイラ諸島は1869年のスエズ運河の開通までは、ケープタウンへの航路の重要な寄港地となっていました。
マデイラ諸島のブドウ

マデイラ 1981 発行

参考地図HP:〜
マデイラ諸島
マデイラ諸島 (黒い所がポルトサント島)
マデイラ諸島の地図
マデイラ諸島の場所地図

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。  令和6年 2024/7/26、追記
スタンプ・メイツ
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