大航海物語
結 核
1882、コッホ、病原菌を発見
1895、レントゲン、X線を発見

参考資料
Republique de Cote d'Ivoire
結核菌
コッホ 顕微鏡
1882 結核菌(TB Bacillius)発見100年記念 1982
コートジボアール 1982/6/5 発行
GRENADA
肺と血管

グレナダ  発行
Brazil
結核・捍菌(TB Bacillus)

顕微鏡(Microscope)肺(Lung)丸薬(Pills)
ブラジル 1982/3/24 発行

Free Stadt Danzig
ロベルト・コッホ
Robert Koch


ダンチッヒ 昭和13年 1939 発行
Free Stadt Danzig
ヴィルヘルム・コンラート・レントゲン
Wilhelm Conrad Rontgen


ダンチッヒ 昭和13年 1939 発行

コッホ(1843/12/11〜1910/5/27)は、ドイツ・クラウシュタール生まれの医師で、細菌学者で、炭疽菌(1876年に炭疽菌の純粋培養に成功し炭疽の病原体であることを証明)、結核菌(1890年にツベルクリン(結核菌ワクチン)を創製)、コレラ菌(1883年にインドで発見)の発見者であり「近代細菌学の開祖」といわれています。

レントゲン(1843/12/11〜1910/5/27)は、ドイツの物理学者。1895年にX線の発見を報告し、この功績により、1901年に第1回ノーベル物理学賞を受賞しました。
結 核 マイコバクテリウム・ツベルクローシス(英:テュバキュローシス)
 Mycobacterium Tuberculosis

結核はドイツ語読みで「テーベー」とも言い、Mycobacterium tuberculosisの読みは、日本細菌学会編の「微生物学用語集」には「マイコバクテリウム・ツベルクローシス」と記載されている。

症状は、当初は全身倦怠感、食欲不振、体重減少、37℃前後の微熱が長期間にわたって続く、就寝中に大量の汗をかく等非特異的であり、咳嗽(痰は伴うことも伴わないこともあり、また血痰を伴うことがある)が疾患の進行にしたがって発症してくる。昔は「不治の病」「難病」と呼ばれていた。レントゲンが1895年にX線を発見して以来、医療分野では、肺の病変を描き出す画像診断として積極的に利用されて肺結核などの早期発見に貢献した。

▼結核の歴史:〜
欧州では有史以前(7000 BC)の人間の骨から結核の痕跡が見つかっており、中国では4千年前の人骨から結核の痕跡が確認されている。また、朝鮮半島の紀元前100年から紀元頃の人骨からも結核の痕跡が確認されている。中国の春秋戦国時代の頃、大量の難民が戦乱を避け、人口の大移動(変動)が起こり、その結果として結核も東アジア諸国に拡大していったものと考えられている。

▼日本での事情:〜
日本では鳥取県の紀元前200〜後200年頃(弥生時代)の遺跡から出土した人骨から確認できる。縄文時代の日本の人骨からは結核の痕跡は見られず、一例も確認されていない、従って、原住民であった縄文人からすると未知の病原体であった。日本の結核の歴史は紀元前2世紀前後から海外から持ち込まれたことから始まる。

結核、特に肺結核は労咳と呼ばれ、古くから日本に多く見られる病気のひとつであった。特に明治期には国民病といわれるまでに罹患者の多い疾病であったため、近代以降の文化史に強い影響を与えている。当時はほとんど打つ手のない死病であり、この病によって若くして命を落とす人が少なくなかったこと、また喀血症状が古くからの「血を吐くまで(恋や悩みに)苦しむ」という言いまわしに重ね合わされて捉えられたことなどから、小説や映画の中では薄倖の才子佳人に特有の病気として悲劇的に描かれることが多かった。

集団生活が基本であり、集団感染の危険が高い陸海軍でもこの病気には非常に気を使い、徴兵検査では特に厳重な胸部検査をし、さらに陸軍士官学校などでは度々ツベルクリン反応検査をしたり寝台は頭と足の向きを交互にするなどして対応していた。また兵役中に結核を発症した場合、「軍隊で結核にかかった」などの悪評が広がる事を防ぐため、肺浸潤や肋膜炎などのぼかした表現が使用された。 死亡率が高かった頃は、病名「結核」はあまりにも直接的で人々の口に出しづらかった。このため学名の tuberculosis から、医師らはカルテに "TB" と記すことが多く、またドイツ語読みが原則であったため「テーベー」と言い習わした。ここから出発して一般人も「テーベー」と呼ぶことが多かった。現在でも医者同士の会話などでは「テーベー」は普通に使われているし、略号としての "TB" もしばしば使われた。

なお、結核で亡くなった人は:〜
・中国の曹操:後漢末の武将(155-220)
・日本の武田信玄:戦国時代の武将(1521-1573)
・イギリスの探検航海家:1779年にディスカバリー号艦長クラーク艦長がカムチャッカで没
・イギリスの探検航海家:1784年に故郷のガーンジー島ジェームス・キング艦長(1750-1784)没
・フランスの探検航海家:1803年にモーリシャス島バウダン船長(1754-1803)没
・ポーランド出身のショパン:19世紀前半の作曲家(1810-1849)
・フランスのナポレオン2世:ローマ王(1811-1832)
・イギリスの第3代NSW総督:1808年にフィリップ・ギドリー・キング大尉がロンドンで没
・1861年のバーク・ウィルズ探検隊々員ジョン・キングが11年後に没
・1881年にドイツのワイプレヒト船長が無くなる
・高杉晋作:幕末の志士(1839-1867)
・沖田総司:幕末の新撰組隊士(1844-1868)
・陸奥宗光:明治時代、下関条約締結時の日本全権(1844-1897)
・国木田独歩:明治時代の作家(1871-1908)
・樋口一葉:明治時代の作家(1872-1896)
・滝廉太郎:明治時代の作曲家(1879-1903)
・石川啄木:明治時代の歌人・詩人(1886-1912)
・その他にも多数あり。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。       09/4/20、 10/2/15追記

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