★イギリス ジェームス・キング艦長
1779
クラーク艦長のあとを継ぎディスカヴァリー号艦長となる
大航海物語★

AUSTRALIA
キング艦長

オーストラリア 1999 発行(200%)
北極圏の探検地図
北米沿岸からベーリング海峡を越えて北極海へ


1778 北極圏探検航海 200年 1978
  
 ノーフォーク 1978/8/29 発行

SLOMON ISLANDS
ディスカバリー号
六分儀 SEXTANT
ソロモン諸島 1979/6/16 発行

キャップテン・クックの第3回航海に副官として参加し、彼の没後クラーク艦長の下でクックの計画を航海し、1779年クラーク艦長の没後、ディスカバリー号の艦長となり、クック艦隊を率いてイギリスへ帰国しました。
ジェームス・キング艦長 (1750〜1784/11/16)
 Captain James King, FRS

キング艦長はイギリス・ランカシャー(Lancashireのクリスロウ(Clitheroe)でジェームス・キング牧師の子供として生れ、1750/7/13に洗礼を受け、12才までその土地の学校に通いました。1762/11/12に19才のとき親類のノートン(William Norton)の紹介で大英帝国海軍に上等水兵助手として入隊しましたが、下級士官の待遇をしてもらい、間もなくノートンのもとで海軍少尉候補生になりました。そしてジブラルタル、リヴァプール、ガーンジー(Gibraltar、Liverpool,、Guernsey)の各方面への航海に従事しました。1768/3/15には大西洋を横断し新大陸へと航海して、ニューファウンドランド基地でキャップテン・クックの友人で後援者のパリサー司令官(Hugh Palliser 1722-1796)のもとで、チャッド艦長(James Chads)の乗船に乗組んでいました。1767/3/7海軍大尉に昇進しました。1773/5には給料が半分になりましたので一時海軍を離れてパリへ行き、科学研究の勉学に取り組んで1年間を過ごしました。それが契機となって、オックスフォード大学に行くこととなり、英国の天文学者・数学者のホーンスビー教授(Thomas Hornsby 1733-1810)の推薦で、キャップテン・クックの第3回探検航海に参加することとなりました。

キング艦長は1776年に海軍に復帰し、キャップテン・クックの第3回航海に英海軍のスループ型帆船レゾリューション号(HMS Resolution sloop)に副官として乗組み、六分儀を使って天体観測を担当する天文学者としてキャップテン・クックを補佐しました。キャップテン・クックの第3回探検航海(1776〜1779)は、1776/7/12にレゾリューション号(クック司令官、ジェームス・キング副官)と、ディスカバリー号(HMS Discovery 230t)は前2回の探検航海に参加したチャ−ルス・クラーク艦長で編成されていました。両艦は北大西洋と北太平洋を連絡する「北西航路」(Northwest Passage)の探索を目的としてイギリスを出帆しましたが、帆船での北太平洋から北大西洋へ抜ける海路が存在しないことを確認する結果となりました。そして、1779/2/14キャップテン・クックがハワイで戦死すると、ディスカバリー号のクラーク艦長がクック船隊の司令官となって船隊の指揮をとり、キャップテン・クックの計画を追行するべくサンドウィッチ諸島(現ハワイ諸島)の島々を海図に記入し、ロシアのカムチャッカ半島(Kamchatka)ペトロパブロフスク・カムチャツキー(Petropavlovsk-Kamchatsky)に寄航し、ベーリング海峡を抜けて航行しました。その後、1779/8/29にディスカバリー号の艦長を務めていたクラーク艦長が結核(tuberculosis)でカムチャッカで亡くなると、キング艦長がその後のディスカバリー号の艦長となり、クック船隊の司令官となってレゾリューション号(ジョン・ゴア艦長)と共にイギリスへ戻る航海を成し遂げ、喜望峰周りで、1780年8月にイギリスへ帰港しました。

1779年(1784年とも)にキャプテン・クック第3回航海をキャプテン・クック没後に継続中に、ディスカヴァーリー号乗船のジェームス・キング船長が、”ジョン・ゴア船長”(後のレゾリューション号船長)と共に硫黄島を望見し、小笠原諸島の「最初の確実な目撃」例となりました。

帰国後は英仏海峡でクロコダイル号(Crocodile)に乗船して海峡防衛任務に従事しました。1781年の終り頃にはレジスタンス号(HMS Resistance, 40 guns)に乗組み、西インド諸島への大船団のエスコート(船団護衛)航海に従事しました。イギリスへ戻ってからはオックスフォードシャー(Oxfordshire)のウッドストック(Woodstock)でキャップテン・クックの全3回の航海についての執筆活動を続けましたが、結核にかかって健康を著しく損じ、1784/11/16に34才で、英仏海峡にあるガーンジー島で亡くなりました。

・参考:〜
FRS”とは王立ロンドン自然学士院(自然知識改善ロンドン英国王立学士院、The Royal Society of London for the Improvement of Natural Knowledge)は1660年に英国王チャールス2世(King Charles II)の大改革によって設立されました。

参考HP:〜
 ・リヴァプール場所地図
 ・オックスフォードシャー場所地図
 ・ガンジー島の地図
 ・パブロフスク・カムチャツキー場所地図

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。       2007/4/30

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