Mauritania

国連 1986 発行
 切手で綴るアフリカ大陸一周航海シリーズ No.2
モーリタニア・イスラム共和国
Republique Islamique de Mauritanie

大航海物語
  地図編

REPUBLIQUE ISLAMIQUE DE MAURITANIE
モーリタニアの地図
機械化農業 自然農業
1960 独立2周年記念 1962
モーリタニア・イスラム共和国 1962/11/28 発行

Afrique Occidentale Francaise
MAURITANIE
ルネ・カイエ

フランス領西アフリカ・モーリタニア 1939/4/5 発行
Republique Islamique de Mauritanie

モーリタニア・イスラム共和国 1963/9/7 発行

  Repablique de Guinee
モーリタニア()の場所地図






モーリタニア(
)→
セネガル
)→
マリ
)→
ギニア
)→









マダガスカル
セネガル川開発機構 (OMVS) 会議記念
(セネガル川に接する4国の代表者会議)

ギニア1970/2/3 発行 (200%)

モーリタニア・イスラム共和国
 Republique Islamique de Mauritanie

 (英:Islamic Republic of Mauritania)
 旧称:フランス領オートボルタ (French Upper Volta)
 面積:103万ku(日本の約2.7倍)、人口:320万人(2008)
 首都:ヌアクショット、民族:モール人、アフリカ系、GDP:157億ドル(2014)
 言語:アラビア語(公用語)、フランス語、プラール語、ソニンケ語、ウォロフ語、(いずれも国語)
 宗教:イスラム教(国教)他、1番切手:仏領1906年、独立して1960/1/20発行。

アフリカ世界とアラブ世界の一員で、アフリカ連合とアラブ連盟に加盟し、アラブ・マグレブ連合にも加盟しており、広義のマグリブ諸国に含まれます。マグリブ(Maghreb)はアラビア語で「日が没する所」という意味で、モロッコアルジェリアチュニジア、西サハラの北アフリカ北西部にあるアラブ諸国を指し、時にはリビアやモーリタニアも含められます。また、ムスリム(イスラム教徒)の一日五回の礼拝(サラート)の内の一つの「日没時の礼拝」を指す言葉でもあります。なお、逆はマシュリク(Mashriq)で「日の昇る所、東方」。

・モーリタニアの略史:〜
8世紀(一説によると4世紀)頃から、国土の南東部に残されたクンビ・サレー(Koumbi Saleh, east Mauritania)を王都として、ガーナ王国(Ghana Empire, 8世紀(700)頃〜13世紀(1240)頃)が繁栄し、セネガル川上流のバンブク周辺から産出される金とサハラ砂漠の岩塩から採取される塩、北方からの銅製品や衣服、装身具などの各種手工業製品の交易路を押さえ、その中継貿易の利益で繁栄。このようなサハラ越えの隊商交易の利益を押さえようとしたモロッコのムラービト朝(Almoravid dynasty, 1040-1147)に1077年に滅ぼされるまでその繁栄は続いた。世界遺産にもなっているシンゲッティ、ウワダン、ウワラタ、ティシットの隊商都市はガーナ王国と並行して発展し、ガーナ王国が滅亡した11〜12世紀にも繁栄を続けました。シンゲッティは、モーリタニア北西部にあり、古くからシンゲッティ王国の王都であるも、12世紀頃になるとメッカの巡礼地の出発点となり、イスラム学者、学生、修道士などが集まる文化都市となりました。シンゲッティ北東約100kmにあるウワダンは、マリ帝国で産出する金や北西約200kmにあるイジルの岩塩から採取される塩の取り引きのための中継地にあたるため、その交易の利で12世紀ころから数百年にわたって繁栄しました。内陸部のティシットもムラービト朝やムワッヒド朝(Almohad Caliphate, 1121-1269)の外周都市としてやはりイジルの岩塩で繁栄。ティシットは16世紀にオウド・ベラ族に要塞都市に造り替えられました。その後、交易路が変わったために衰退。ガーナ王国滅亡後、500年以上にわたってベルベル人の支配が続き、黒人からなる地元勢力が抵抗するも、打倒できませんでした。最後の大規模な抵抗はシャルブバ戦争(Char Bouba war、1644-1674)で地元ベルベル人勢力の敗北に終わりました。

15世紀、アラブ系民族による支配
1443年、ポルトガルのヌーノ・トリスタンがアルギン島に到達
1445年、ポルトガルのランサローテが大船隊を率いてアルギン湾付近で奴隷狩りをする
1644年、ベルベル人と黒人アラブ部族のシャルブバ戦争が勃発
1674年、シャルブバ戦争、ベルベル人敗北
1816年、仏のルネ・カイエトンブクトゥへの途中でブラクナ州のムーア人の所で8ヵ月過ごす
1816/7/2、仏艦メドーサ号が海岸から50km沖のアルギン湾暗礁で座礁、メドーサ号の筏が漂流
1902年、フランスによる支配の開始
1904年、フランス領西アフリカの一部となる
1945年、フランス連合植民地
1957年、ほとんど人口のない大西洋岸の漁港を人口1万5千人に増やす計画が始る(現ヌアクショット)
1958年、フランス共同体が発足、 自治宣言
1960/11/28、フランスより独立、初代ダッダ大統領、国旗が決定(2017変更)
1961年、憲法を制定
1965年、憲法改正、一党独裁、社会主義政権の方針が規定される
1975年、ダッダ政権はモロッコと共に西サハラの領有権を主張、
     南部を占領してポリサリオ戦線と対立

国連 1986 発行
1976/6月、ヌアクショット市内にポリサリオ戦線が攻め入りポリサリオ戦線側が死傷者多数で撤退
1978/7月、ポリサリオ戦線との戦いによる負担は重く和平を望んだ軍部のクーデターでダッダは失脚
     特別軍事政権成立
1979年、ポリサリオ戦線との和平協定が締結
1980年、公式に奴隷制を廃止、世界奴隷制消滅宣言
1984年、クーデター、タヤ参謀総長が政権掌握
1992年、タヤ大統領選出
1997年、タヤ大統領再選
2003年、人身売買を禁止する法律を公布
2003/06月、クーデター未遂事件
2003/10月、西アフリカでサバクバッタが大量発生(-2005/5月)
    11月、タヤ大統領三選
2005/08月、タヤ大統領不在時に軍事クーデター、軍部暫定政権発足
2007/03月、アブダライ大統領選出
2008/08月、クーデター、軍事政権発足、アブデル・アジズ将軍が政権掌握
2009/07月、大統領選挙、アブデル・アジズ大統領選出
2017年、憲法改正で国旗のデザインが変更され、
    上院を廃止する憲法改正国民投票が行われて可決されたため、一院制となる。

ベルベル人とアラブ人の混血であるイスラム教徒のムーア人(モール人)が社会の上層を占め、ムーア人と黒人が対立する構図は、独立後も続いている。独立後も奴隷制が続いていたが、1980年に公式には奴隷制が廃止された(公式には世界奴隷制消滅宣言)。ただし、その後も実態として虐待を伴う奴隷制は続き、若干の賃金が与えられているだけとの指摘もある。2003年には再び人身売買を禁止する法律が公布された。少女を強制的に肥満化する風習があった。砂糖を加えたラクダの乳や雑穀のかゆ、クスクスなどを大量に飲み食いを強制され、飲み食いを拒否すれば万力でつま先をつぶされるなどの罰を受けるということが伝統的に行われてきた(ガバージュと呼ばれる)。モーリタニア政府が2001年から行ってきた調査によると、少女時代に「ガバージュ」(強制肥満化)を受けた女性は5人に1人である。政府は独立以来ガバージュを撲滅するキャンペーンを続けてきた。

近年、国土の砂漠化が著しく、首都周辺の住宅地も砂漠に飲み込まれ、放棄されている。

モーリタニアは12の州と首都ヌアクショットに分かれている。
 1)アドラル州 (Adrar)〜名前はアドラル高原に由来する。州都はアタール
 2)アサバ州 (Assaba)〜州都はキファ。南部ではマリ共和国と国境を接している
 3)ブラクナ州 (Brakna)〜ルネ・カイエトンブクトゥへの途中でムーア人の所で8ヵ月過ごす
 4)ダフレト・ヌアジブ州 (Dakhlet Nouadhibou)〜
   ・ブランコ岬(Cape Blanco)ヌアディブ半島南突端
   ・アルギン湾(Arguin Bay)ヌアディブ半島南の湾・アルギン島(Arguin Island)
 5)ゴルゴル州 (Gorgol)
 6)ギディマカ州 (Guidimaka)
 7)ホズ・エッシャルギ州 (Hodh Ech Chargui)
 8)ホズ・エルガルビ州 (Hodh El Gharbi)
 9)インシリ州 (Inchiri)
10)ヌアクショット(Nouakchott)〜
    1962年以降首都でサハラ砂漠最大の都市、人口:881千人(1999)
   年平均降水量は130 mmで、1970年代以降は北のサハラ砂漠から、職を求めて
   ヌアクショットに移住する遊牧民者が相次ぎ人口爆発が進行中(スラム化が激しい)
11)タガント州 (Tagant)
12)ティリス・ゼムール州 (Tiris Zemmour)〜最北の州、州都はズエラット
   州全域が砂漠で、州内のフデリックで鉄鉱石を産出しモーリタニア経済の柱
13)トラルザ州 (Trarza)〜南西部にある州、州都はロッソ。

<モーリタニアの世界遺産>
・ウアダン、シンゲッティ、ティシット、ウアラタの古いクスール
 (Ancient Ksour of Ouadane, Chinguetti, Tichitt and Oualata)、文化遺産
・バン・ダルガン国立公園 (アルガン礁国立公園)、自然遺産
 (Banc d'Arguin National Park)
バン・ダルガン国立公園は、ヌアクショットとヌアディブーの間にあるモーリタニア西岸の国立公園で1976年に設定されました。1982年には公園のうち、11730kuがラムサール条約の登録地となり、1989年には世界遺産。ティミリス岬を中心とする12000kuの国立公園で、面積のおよそ半分は海域。沖合いには暖流と寒流がぶつかる潮目があるため、魚が多く集まり、それを目当てとする鳥類や海棲哺乳類も多く集合。とりわけ、公園内のティドラ島、ニルミ島、ナイル島、キジ島、アルガン島などを含む砂州は、渡り鳥の楽園です。こうした鳥類と海洋生物の多彩さが評価され、ユネスコの世界自然遺産に登録されました。

参考HP:〜
モーリタニアの地図
モーリタニアの州区分地図
ガーナ王国とサハラ越えの交易路の地図
モーリタニアの地図(南部国境にセネガル川有)
アルギン湾の地図(ブランコ岬、アルギン島有、拡大付)
バン・ダルガン国立公園の場所地図 (世界自然遺産)
ウアダン、シンゲッティ、ティシット、ウアラタの古いクスールの場所地図
 (世界文化遺産、4ヵ所)
アルギン湾の場所地図(Arguin Bay:モーリタニア西部タマンラセット川河口)
タマンラセット川の場所地図(アフリカの地図)

こちらで
スパイス (香辛料)
ヌビア遺跡 (エジプト)世界遺産
パルテノン神殿 (ギリシャ)世界遺産
法隆寺 (日本)世界遺産
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。有難う御座いました。   09/12/30、2019/1/5
スタンプ・メイツ
Copyright(C):Kosyo
無断転載禁止