Algeria

国連 1989 発行
 切手で綴るアフリカ大陸一周航海シリーズ No.32
アルジェリア
People's Democratic Republic of Algeria

大航海物語
  地図編

ALGERIE
アルジェリアの地図
アルジェリアの情報通信網



モロッコ



チュニジア



リビア
Telecommunication, Algeria
衛星通信のネットワーク地図

アルジェリア 1995 発行

アルジェリアの地図

アルジェリア独立1年記念
アルジェリア 1963/7/5 発行
石油掘削タワーと
石油パイプラインの地図


アルジェリア 1962 発行

・・・・・領土開放を訴える地図・・・・・
西サハラの開放を叫ぶ!
西サハラポリサリオ)の地図


アルジェリア 1976/3/15 発行
アラブの領土を主張する
パレスチナ(イスラエル)の地図


アルジェリア 1976/7/12 発行

アルジェリア民主人民共和国
 People's Democratic Republic of Algeria

面積:238万ku(内:砂漠地帯約200万ku、日本の約6.3倍、アフリカ第1位:世界第10位)、
人口:3,542万人で国土の7%内に集中(2010)、首都:アルジェ(Algiers)、民族人種:アラブ人(80%)、ベルベル人(19%)、その他(1%)、言語:アラビア語(国語、公用語)、ベルベル語(国語)、フランス語(国民の間で広く用いられている)、宗教:イスラム教(スンニ派)、主要産業:石油・天然ガス関連産業、第二次産業、GDP:名目1,596億ドル、:一人当6,698ドル(2008、日本5兆9,840億ドル:一人当36,179ドル:2012)、経済成長率:2.4%(2010)、.消費者物価上昇率:5.7%(2010)、失業率:10.0%(2010、アルジェリア国家情報統計センター)、1番切手:1924年フランス切手に"ALGERIE"加刷で発行、独立して1962/7/2に仏切手に"EA"加刷で発行。

アフリカ世界と地中海世界とアラブ世界の一員で、アフリカ連合(改組2002:Arab Union(OAU:Organization of African Unity、加盟国54ヵ国:本部エチオピアのアディスアベバ)とアラブ連盟(1945/3/22創設:Arab Leage(League of Arab States)、加盟は22、本部:カイロ)と地中海連合(2008/7/13:フランスのサルコジ大統領が全てのEU加盟国と地中海沿岸諸国で設立:Union for the Mediterranean (UfM) 43ヵ国)とアラブ・マグレブ連合(モロッコ・マラケシュ条約で1989/2/17創設(Arab Maghreb Union: AMU)、北アフリカの通称マグリブと呼ばれる5ヵ国(北アフリカ北西部にあるアラブ諸国:モロッコ、アルジェリア、チュニジア、(西サハラ)、リビアモーリタニア)が同じ歴史、文化を共有した背景から連帯・進歩・諸権利の保護を目的にする経済協力機構で本部:モロッコのラバト)に加盟。

・古代アルジェリア
・アルジェリアのイスラム化(サラセン帝国期、8世紀-)
・サラセン帝国ザイヤーン朝時代(1236-1550)
・オスマン帝国属領時代(1550-1830)
・フランス領時代(1830-1962)、アルジェリア戦争(1954-1962)
・独立後のアルジェリア(1962-)

・古代アルジェリア、新石器時代の住人のタッシリ・ナジェール遺跡が有
紀元前、内陸部にベルベル人が存在
      沿岸部にカルタゴの植民都市が存在
BC204年、ローマ軍がカルタゴ攻めで北アフリカに上陸
BC202年、ベルベル人のヌミディア王国(BC202-BC46)起る
BC146年、ポエニ戦争(前264-前146、3次有)でカルタゴ滅亡
BC111年、ユグルタ戦争(BC111 -BC104)共和政ローマとヌミディア王ユグルタ間で戦争が勃発
BC46年、シーザー(Julius Caesar BC100-BC44)の征服でローマ共和国の属州となる
439年、ゲルマン系ヴァンダル族(王国:439-534)が征服
533年、東ローマ帝国(395-1453)が征服

・アルジェリアのイスラム化(サラセン(イスラム)帝国期)
8世紀、サラセン帝国ウマイヤ朝(Banu Umayyad 、661-750)
     アラブ人イスラム勢力が侵入してイスラム化する
11世紀、アラブ・ベドウィンの部族バヌーヒラル族(Banu Hilal)が侵入して農村部がアラブ化
1056年、ムラービト朝(al-Murabitun、1040-1147)が支配
1130年、ムワッヒド朝(al-Muwahhidun、1130-1269)が支配
1236年、ザイヤーン朝(al-Zayyaniyun 1236-1550)が成立、首都トレムセン(Tlemcen)

・オスマン帝国属領時代(1550-1830)
16世紀、東からはオスマン帝国の、西からはスペインの進出が進み、
1533年、アルジェを根拠地の海賊バルバロッサがオスマン帝国の宗主権を受け入れる
1550年、オスマン帝国がザイヤーン朝を滅ぼし、トルコ人による支配体制が築かれる、
      アルジェのバルバリア海賊が沿岸のキリスト教国の船舶を襲撃
1801年、第1次バーバリ戦争(トリポリ戦争-1805)アメリカがオスマン帝国のトリポリ州と交戦
      オスマン帝国の独立州、リビアのトリポリ、チュニジアのチュニス、アルジェリアのアル
      ジェの三地域のバーバリ諸国が自前の武装組織としてバルバリア海賊を持って、オス
      マン帝国の保護下で地中海を通過する商船の船籍国から通行料の上納金を徴収し
      た他、商船を襲ってキリスト教徒の捕虜を人質にし、その国籍国と交渉して身代金
     得るも、 強力な海軍を持つイギリス、フランス、オランダなどは護衛艦隊を随伴して通
      行料を納めず、互いにバルバリア海賊へ資金提供して互いの商船を襲わせるという
      状況下にあった。ところが、1783年に独立した米国はイギリスの商船旗を掲げずバ
      ルバリア海賊の餌食になり襲われ続けていたので、アメリカが艦隊を地中海へ派遣
1805年、(ダーネの戦いで米国が勝利)
 6/10、トリポリ港海戦の乗組員の身代金6万ドルと引き換えに安全な航海を保証という
     米国の要求を承諾した講和条約が締結されて第一次バーバリ戦争が終る
1815年、第2次バーバリ戦争(ガタ岬沖の海戦で米国が勝利)
 5/20、ステファン・ディケーター代将が米国艦隊10隻・旗艦フリゲート艦グゥアリエール号で
     ニューヨーク港を地中海へと出帆
 6/14、艦隊がジブラルタルに到着
 6/17、ガタ岬沖の海戦(Battle off Cape Gata)で米国のディケーター代将がアルジェの旗艦
     マショウダ号(Mashouda 46gans)を捕獲後、アメリカ人奴隷の解放と通行料支払いの
      停止をバーバリ諸国のアルジェに要求する砲艦外交を使用し協定が成立、米国勝利
1816年、(早期)英国が艦隊をバルバリア諸国へ派遣して海賊を中止する様に要求するも、
     アルジェだけが拒否して抵抗
 8/27、英国艦隊がアルジェを艦砲射撃で砲撃
 9/24、米国が身代金を支払ってキリスト教徒の奴隷1,083人と英国の領事が自由の身となる

・フランス領時代(1830-1962)
1830年、フランスが進出してアルジェを占領、仏の征服にアブド・アルカーディルが抵抗する
1847年、仏が全アルジェリアを支配。アルジェリア北岸に
      アルジェ県
      オラン県
      コンスタンティーヌ県が置かれる
      これら三県はフランス本土と同等の扱いを受け、多くのヨーロッパ人入植
1939/9/1、第二次世界大戦が勃発(-1945/9/2)
1940年
 6/21、首相フィリップ・ペタン元帥の政府がドイツとイタリアに対し休戦を申し入れる
 6/22、独仏休戦協定が締結され仏が独に敗北(フランス降伏)
 7/01、フランス政府の首都がボルドーからヴィシーに移転、ヴィシー政権誕生(-1944/8/25)
 7/03、英仏海軍がアルジェリアのメルセルケビール海戦で交戦、仏は戦艦1隻撃沈されるも
     他はツゥーロンへ退避、英軍は艦載機5機の損害
 9/23、英海軍支援でドゴール将軍の自由フランス軍がダカールへ上陸を試みるも撃退される
1941/11/8、ターミナル作戦でアルジェ港占領のため直接港へ米軍戦闘団622人が上陸、占領
1942年、
      フランス領アフリカには20万人のヴィシー・フランス軍が駐留
 11/08、連合軍が北アフリカに向かうトーチ作戦(-11/16)を開始して全てが上陸
     ・西方任務部隊はモロッコの商業金融の中心地カサブランカ(35,000人)
     ・中央任務部隊はアルジェリア北西部オラン(39,000人)
     ・東方任務部隊はアルジェリアの首都アルジェの港湾
      を目標の3つに分かれ、アルジェを目指すアメリカ軍の
      ライダー少将率いる東方任務部隊はイギリス軍中心に33,000人
1943/5/13、北アフリカの枢軸国軍が降伏、以降は反ヴィシー政権の拠点となり、シャルル・ド・ゴール将軍首班のフランス共和国臨時政府(自由フランス軍)がアルジェで結成され、第二次世界大戦が終ると、第一次世界大戦後から高まっていた独立運動が激化

・アルジェリア戦争(1954/11/1-1962)
1954年、アルジェリア戦争が勃発、
      現地人(アンディジェーヌ)と入植者(コロン)の対立で100万人に及ぶ死者を出す
1957/1月、フランスがレユニオン島ニューカレドニー諸島クリッパートン島で研究の結果、
      1960年上期にサハラ砂漠で原爆実験実施を発表
1960/2/13、サハラ砂漠のレガーヌ(Reggane)で仏が初の原爆実験
      世界で4番目、青いトビネズミ(Gerboise bleue)計画
1968/8/24、サハラ砂漠でフランス初の水爆実験
      サハラ砂漠で核実験を17回実施(1960-1996)
1962/7/5、フランスからアルジェリア民主人民共和国として独立(当時の人口:1千万人)

・独立後のアルジェリア(1962-)
1962/8/4、ベン・ベラ大統領(1918-2012/4/11:在任-1963/9/20)が社会主義政策を採り
       キューバ革命後のキューバと共に非同盟運動と世界革命路線を推進
       第1次トゥアレグ抵抗運動 (1962-1964)が勃発、マリ軍とトゥアレグ族が交戦
       独立後トゥアレグ族居住地はマリ共和国・アルジェリア・ニジェールに分割されて、
       アガデス州のアーリット鉱山とアクータ鉱山から産出するウランを巡ってマリで反乱
1963/10月、砂戦争(Sand War)が勃発、モロッコが「砂の壁」を建設
       西サハラ国境(ティンドゥフ県、ベシャール県を巡ってモロッコと交戦
1965/6月、ウアリ・ブーメディエン(1932-1978/12/27)が軍事クーデターで政権を握り、
       ベン・ベラを幽閉して現実的な国造りを進める
1976年、第1次アマガラ戦(First Battle of Amgala)でモロッコと交戦して退却するも、
      西サハラ戦争(1975-1991)に参戦
1978年、ブーメディエン大統領が没する迄、社会主義政策に基づいて経済成長を達成
1979年、ブーメディエン大統領の没後、シャドリ大佐が大統領(1979/2/9-1992/1/11)に就任
1980年代、FLNの一党制や、アラブ人主導の国造りへのベルベル人からの反発が高まり、
       経済危機が進行
1989/2月、憲法が改正され、複数政党制が認められる
1991年、選挙でイスラム原理主義政党のイスラム救国戦線(FIS)が圧勝
1992/1月、世俗主義を標榜した軍部クーデターで、選挙結果は事実上無効になり、
       シャドリ大統領が辞任、国家最高委員会が設立される

1992年以降、イスラム原理主義過激派(武装イスラム集団など)によるテロが活発化し、国内情
      勢は不安定となり、2000年代初頭まで軍とイスラム原理主義組織の内戦により10万人
      以上の犠牲者が出る。一時、国情が沈静化しつつあったものの、北部や東部ではイス
      ラム・マグリブ地域のアルカイダ組織によるテロが頻発し、犠牲者が多数出る

1994/01月、移行期間の大統領としてゼルーアル大統領就任
1995/12月、複数政党制下初の大統領選挙、ゼルーアル大統領が選出
1996/09月、フランスが国連総会で採択された包括的核実験禁止条約に調印
1996/11月、憲法改正国民投票の実施、多数の支持により憲法改正案が承認
1997/06月、国民議会(下院)選挙が実施され下院が設立。 同国史上初めて複数政党で
       構成される国民議会が開会
1997/12月、国民評議会(上院)選挙が実施され、上院が設立
1999/04月、大統領選挙、ブーテフリカ大統領が選出
2002/05月、国民議会(下院)選挙を実施
2002/10月、統一地方選挙を実施
2003/05月、ブメルデス県を震源地とする大規模地震が発生
2004/04月、大統領選挙、ブーテフリカ大統領が再選
2004年、トランス・サハラにおける不朽の自由作戦に加わる
2006年、テロは沈静化し、ブーテフリカ大統領は先進国との協調政策により、
      テロのイメージをなくす努力をG8諸国などに対して積極的に実施
2007/05月、国民議会(下院)選挙を実施
2007/11月、統一地方選挙を実施
2008/11月、憲法改正
2009/04月、大統領選挙、ブーテフリカ大統領が3選
2009/12月、国民評議会(上院)選挙が実施される
2013年、<アルジェリアの日本人々質事件>
    アルジェリア南東部イリジ県イナメナス(In Amenas Illizi Province)にある
    天然ガス開発プラントで、人質テロ事件(In Amenas hostage crisis)発生
01/16、テロリストが宿舎からガスプラント行き従業員バス2台を攻撃、人質となる
01/17、(12:00)アルジェリア部隊(Algerian forces)が攻撃を開始して、
     人質16人、武装勢力21人が死亡
日章旗

国連 1987 発行
01/19、最後の突撃で人質7人、武装勢力11人が死亡
     3日間の戦いで人質23人、武装勢力32人が死亡
     アルジェリア内務省は外国人を含む人質23人と犯行グループ32人の計55人が死亡
     アルジェリア人685人、外国人労働者107人が解放されたと発表、テロリストはアル
     ジェリア人3人を含む多国籍の32人が全員死亡。テロリストの機関銃・ロケット・ラン
     チャー・ミサイル・自殺ベルト装着の手投げ弾などを押収
01/21、(深夜)安倍晋三首相(1954/9/21-2022/7/8)が
     首相官邸のアルジェリア人質事件の政府対策本部で、
     邦人7人の死亡確認を発表、12人は無事で、3人は消息不明
01/24、駐在員3人の死亡が確認され、日本人の犠牲者は合計10人となる。

参考HP〜
 ・BBC NEWS AFRICA

現在アルジェリアは、48のウィラーヤ(Wilaya:県:Province)、553のダイラ(Dairas:郡:Districts)と1,541のバラディヤ(Baladiyahs:自治体:Municipalities)に分けられています。
各々の県名は各県の最大の都市名と同じ。
01 アドラール県(Adrar)
02 アインデフラ県(Ain Defla)
03 アイン・ティムシェント県(Ain Temouchent)
04 アルジェ県(Algiers)
05 アンナバ県(Annaba)
06 バトナ県(Batna)
07 ベシャール県(Bechar)
08 ベジャイヤ県(Bejaia)
09 ビスクラ県(Biskra)
10 ブリダ県(Blida)
11 ボルジブーアレリッジ県(Bordj Bou Arreridj)
12 ブイラ県(Bouira)
13 ブメルデス県(Boumerdes)
14 シュレフ県(Chlef)
15 コンスタンティーヌ県(Constantine)
16 ジェルファ県(Djelfa)
17 エル=バヤード県(El Bayadh)
18 エル=ウェッド県(El Oued)
19 エル=タルフ県(El Taref)
20 ガルダイヤ県(Ghardaia)
21 グエルマ県(Guelma)
22 イリジ県(Illizi)
23 ジジェル県(Jijel)
24 ケンシュラ県(Khenchela)
25 ラグアット県(Laghouat)
28 メデア県(Medea)
26 ミーラ県(Mila)
27 モスタガーネム県(Mostaganem)
29 ムシーラ県(M'Sila)
30 ムアスカル県(Mascara)
31 ナーマ県(Naama)
32 オラン県(Oran)
33 ウアルグラ県(Ouargla)
34 ウンム・エル=ブアーギ県(Oum El Bouaghi)
35 レリザーヌ県(Relizane)
36 サイダ県(Saida)
37 セティフ県(Setif)
38 シディベルアベス県(Sidi Bel Abbes)
39 スキクダ県(Skikda)
40 スーク・アフラース県(Souk Ahras)
41 タマンラセット県(Tamanrasset)
42 テベサ県(Tebessa)
43 ティアレット県(Tiaret)
44 ティンドゥフ県(Tindouf)
45 ティパザ県(Tipaza)
46 ティセムシールト県(Tissemsilt)
47 ティジウズ県(Tizi Ouzou)
48 トレムセン (Tlemcen)。

参考地図HP〜
 ・アルジェリアの県区分地図

・第2次バーバリ戦争(1815)の米国艦隊10隻の編成:〜
  艦隊司令官ステファン・ディケーター代将
   (Commodore Stephen Decatur, Jr, 1779-1820)
 ・旗艦フリゲート艦グゥアリエール号
   frigate USS Guerriere, the flag ship, 44guns,, 1,500tns
   艦長ウィリアム・ルイス Captain William Lewis;
 ・フリゲート艦号コンステレーション号
   frigate Constellation, 36gns
   艦長チャールス・ゴードン Captain Charles Gordon

ィケ|タ|
サラトガ号

USA 1937 発行
マクドノ|
 ・フリゲート艦マケドニアン号、艦長ジェーコブ・ジョーンズ
    frigate Macedonia, 38gns, Captain Jacob Jones
 ・スループ艦エペリィエ号、艦長ジョン・ドーン
   sloops-of-war Eperyie, Captain John Downes
 ・スループ艦オンタリオ号、艦長ジェッシー・エリオット
   sloops-of-war Ontario, 16gns, Captain Jesse D. Elliott
 ・ブリッグ艦フィアリィ号、艦長ジョージ・コジャース
   brig Firefly, 14gns, Lieutenants George W. Kodgers
 ・ブリッグ艦フラムボゥ号、艦長ジョン・ニコルソン
   brig Flambeau, 14gns, Thomas Gamble, John B. Nicholson
 ・ブリッグ艦エパーヴィアー号、艦長ジョン・ドーン
   brig Epervier, 18gns, Master Commandant John Downes
 ・スクーナー艦トーチ号、艦長ウォルコット・チャウンシー
   schooners Torch, 12gns, Lieutenants Wolcott Chauncey
 ・スクーナー艦スピッツファイアー号、艦長アレクサンダー・ダラス
   schooners Spitfire, 12gns, Alexander J. Dallas。

こちらで
第1次バーバリ戦争
をお楽しみください。

参考地図HP〜
 ・アルジェリアの地図(日本語)
 ・アルジェリアの地図(場所地図と詳細地図)
 ・サラセン帝国の大版図の場所地図(ウマイア朝期:622-750)
 ・バーバリ諸国地方の場所地図(アルジェ(Algiers)、チュニス(Tunis)、トリポリ(Tripoli)
 ・トゥアレグ族居住地の場所地図(第1次トゥアレグ抵抗運動)
 ・モロッコ国境地帯の場所地図(砂の壁)
 ・砂の壁地帯の場所地図(ポリサリオ戦線の支配地域)

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。        2013/1/31
スタンプ・メイツ
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