United States![]() 国連 1981 発行 |
切手で綴る アメリカの大航海(USA Great Voyages) (III-1)
イングラハム船長 1791 ポリネシアのワシントン島を発見 |
大航海物語 アメリカ編★ |
| Polynesie Francaise ワシントン島を発見
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アメリカのイングラハム船長はアメリカ独立革命の時には虜囚の憂き目にあい、その後にアメリカ海軍の士官になりました。独立後はボストン毛皮貿易船の船長となって航海中に、太平洋ポリネシア・マルケサス諸島の島々を発見しました。 |
| ジョセフ・イングラハム船長 Captain Joseph Ingraham (1762〜1800) 生地:ボストン生 (Boston, Suffolk, Massachusetts, USA) 没地:西インド諸島交易で出帆しカリブ海方面の何処かにて遭難、38才没 (Shipwrecked somewhere, Caribbean sea!) イングラハム船長は米国マサチューセッツ州北東部サフォーク郡ボストン(Boston, Suffolk County, northeastern Massachusetts)で誕生し、米国の独立革命戦争の時に、イギリスの捕虜となり囚人船オールド・ジャージー号(prison ship Old Jersey)に投獄されましたが、その後の戦時中は、アメリカ海軍の捕虜船に乗組んでいましたが、一時期は貿易船に乗組みました。擬似戦争(Quasi-War:1798-1800)が開戦すると、合衆国海軍に復帰して従軍。1799/6/14の海軍大尉という最期の記録が残っています。 1787年に25才で熟練の船乗りになっていたイングラハムは、45才のケンドリック船長(John Kendrick 1740-1794)の毛皮取引帆船(fur trade ship)コロンビア・レディヴィバ号(Columbia Rediviva 、213 tons、25m ship)に航海長(1等航海士)で乗組みました。そこには、クック船長の第3回航海のレゾリューション号に乗組んでいた老いたるウッドラフ(Simeon Woodruff)と、19才のハスウェル(Robert Haswell、1768-1801)など50人が居ました。僚船は32才のグレイ船長(Robert Gray 1755-1806)のスループ船レディ・ワシントン号(sloop Lady Washington, 90t, 18m)でした。 イングラハム船長の大航海:第1回:1787〜1790年:コロンビア号
1787/10/1にボストンを出帆。11/9ケープ・ヴェルデ着、ここでウッドラフがケンドリック船長と対立して下船。スペインの計らいでマデイラへ送ってもらい、そこから便船でアメリカへ戻り、コネチカット(Connecticut)で余生を送ったと伝えられています。 ケンドリック船長は12/21に航海を続け、1788/2/16にフォークランドのブレッツ港(Brett's Harbor)に到着。2/28に出帆、マゼラン海峡の代わりに遠回りのホーン岬周りへと航海、4/1に両船は嵐で離れ離れになりました。太平洋に出てからは北上し、チリ領ファンフェルナンデス島に着き、2人が死亡、その他に壊血病の患者が出ました。コロンビア号は航海を続け、ヴァンクーヴァー島西岸ヌトカ北方のマルビナス湾に到着。レディ・ワシントン号のグレイ船長とマルビナス湾で再会しました。ここでケンドリック船長と衝突していたハスウェルが、グレイ船長の取り計らいでレディ・ワシントン号へ乗換えとなりケープ・ヴェルデで下船(11/9)しました。1788/10/1から冬期間中は滞在しました。 グレイ船長は1789/5月に毛皮取引に出帆。ケンドリック船長は1789/6/24に出帆。6月の終わりにヴァンクーヴァー島から、クィーン・シャーロッテ島(カナダ、ブリティッシュコロンビア州(#BC)の太平洋岸沖)へ行き、北部のハイダ族酋長コヤー(Haida a chief, Coyah)と毛皮取引をしました。ところが数着の衣服が船から無くなり、それがもとで酋長と対立し、銃火を交える騒ぎとなりました。ケンドリック船長が2年後にそこに行った時には、さらにひどくなり、砲撃までしての戦いとなりました。 ・コロンビア・レディヴィバ号の装備:〜 Columbia Rediviva、1787
太平洋北西部への海洋毛皮交易の遠征で最もよく知られています。1787年の再建時に「Rediviva」(ラテン語で「復活した」)が名前に加えられました。コロンビア・レディヴィバ号は私有であったため、「USS」という接頭辞の指定は付けられていませんでした。 参考HP:〜 ・マサチューセッツ州の場所地図(サフォーク(Suffolk)Massachusetts) ・海洋毛皮交易の場所地図 (1790-1840年頃) ・イングラハム船長の航海地図 (1790-1793) 遠征の航海地図(最初は赤、次は青) 1.ボストン、2.カーボベルデ諸島、3.フォークランド諸島、4.フアン・フェルナンデス諸島、 5.マルケサス諸島、6.ハワイ諸島、7.クイーンシャーロット諸島、バンクーバー島、8.マカオ |
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イングラハム船長の大航海 1790/9/16〜1793 第2回航海でワシントン諸島を発見 |
| Polynesie Francaise ワシントン島
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| FIJI 太平洋と世界地図 ![]() フィジー 1977/4/12 発行 |
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イングラハム船長の大航海:第2回:1790〜1793年:ブリッグ船ホープ号
1791/9/16にイングラハム船長は、ボストンの冒険事業主パーキンス(George Perkins)氏の投機事業船ブリッグ型ホープ号(Brig Hope)に乗船し、毛皮取引のためボストン港を出帆しました。1791/1/26にホーン岬を回航して、4/14にマルケサス諸島のマドレ・デ・ディオス港(Port Madre de Dios)到着。1791/4/19に海図に載っていない島々を赤道の南で発見して、大統領(George Washington, 1732-1799)に因んで主島をワシントン島(Washington Island)、副大統領(John Adams 1735-1826)に因んでアダムス島(Adams Island)、そしてフェデラル島(Federal Island)、フランクリン(Benjamin Franklin 1706-1790)でフランクリン島(Franklin Island)、マサチュセッツ州知事(John Hancock 1737-1793、Massachusetts)でハンコック島(Hancock Island)、ボストン出身で最初の合衆国陸軍長官ノックス(Henry Knox 1750-1806)でノックス島(Knox Island)、リンカーン(Benjamin Lincoln 1733-1810)でリンカーン島(Lincoln Island)と次々にと名付けました。これらの島々を以下の記録通りに海図に記録しました。キロス船長、クック船長、ブーゲンビル船長の海図に無かった島が見えた場所の、詳細な記録:〜
そしてハワイ諸島(Sandwich Islands)北方から、北米海岸のクィーン・シャーロッテ島へと航海を続けました。到着すると原住民と毛皮取引(加工していない鞣革、fur pelts)を夏期の間中取引しましたが大した利益にはなりませんでした。その後、1792/9/26に以前に乗組んでいたコロンビア号が小型の僚船アドヴェンチャー号(Adventure)を随伴してきました。コロンビア号にはかつて乗組み船の船長ロバート・グレイ船長で、アドヴェンチャー号はロバート・ハスウェルが船長をしており、共々に再会を喜びました。そこへ、ヴァンクーヴァー島西岸のヌトカ砂州からスペイン船プリンセサ号(Princesa)とアクティヴァ号(Activa)がきました。スペイン船隊はボデガ・イ・クァドラ司令官が指揮しており、小型の僚船アドヴェンチャー号はそのクァドラ司令官に売却されました。
擬似戦争(Quasi-War:1798-1800私掠船戦争、またはアメリカ合衆国と大革命後のフランスとの宣戦布告なき戦争:Undeclared War with France、海賊戦争:The Pirate Wars)の期間中はフランス私掠船とアメリカ海軍艦船に乗船して、1799/6/14まで従軍して戦いました。 イングラハム船長の最期は、合衆国第2代陸軍長官ピッカリング(Timothy Pickering 1745-1829)に因んで名付けられたトップ・スクーナー(Topsail Schooner)型の2本マスト帆船ピッカリング号(USS Pickering 1798)が、1800/9/10にボストン港を西インド諸島交易で出帆し、1800/9/20にデラウェア州にニューカッスル港(Newcastle, Delaware)を出帆したのを最期に、消息不明となり、かの有名な「9月の嵐」(a gale September)で遭難して、船と運命を共にしたんだろうと伝えられています。 北部マルケサス諸島の ・エイアオ島 (Eiao、南緯8:西経140.7)〜1791年に米のイングラハム船長が発見 ・ウアフカ島 (Ua Huka、南緯8.54:西経139.33)〜1791年イングラハム船長が発見、ワシントン諸島と命名。 考HP:〜 ・ハワイ諸島 ・クィーン・シャーロッテ島 ・仏領ポリネシア諸島 上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 08/12/12、令和8年 2026/3/4 |