Netherland

国連 1989 発行
切手で綴る 冒険大航海 (Adventure Voyage)
ル・マール船長
1615、ルマール海峡発見
1616、フツナ島を発見


大航海物語
 オランダ編

WALLIS et FUTUNA
ウォリス・フツナ諸島     ホールン号


フツナ島



アロフィ島→

・マ|ル船長
1616 ホーン島発見370年記念 1986
ウォリス・フツナ 1986/6/19 発行

ウォリス・フツナ諸島

・マ|ル船長
フツナ島


←アロフィ島
ウォリス・フツナ 2002 発行


FIJI
太平洋  世界地図

フィジー 1977/4/12 発行
CORREOS de CHILE
ホーン岬はフェゴ島の下方に有



←マゼラン海峡

←フェゴ島

ルマール海峡
ホーン岬
←ドレーク海峡
マゼラン海峡占領100年記念
チリ 1944/3/2 発行

ル・マール船長は香料諸島への新航路の発見のため、オランダからホーン岬を回って太平洋へ出る時に、ル・マール海峡を発見しました。太平洋ではウォリス・フツナ諸島のフツナ島を発見し、オランダ東インド会社本部のあるテルナテ島に到着後、ジャカルタで新航路発見を報告しましたが、受け入れられず、本国へ帰る途中で49才で亡くなりました。
ヤコブ・ル・マール船長 (1565〜1616/12/22)
 Jacob Le Maire
(アントワープ(Antwerp)生、マダガスカル島付近没)
ル・マールはベルギーのアントワープでかなり有名な商人の父アイザック(Isaac Le Maire 1558-1624)と母マナ(Maria van Walraven)の22人の子供の一人として生まれました。10才の時にアントワープを離れて、オランダのアムステルダムに移住して父が成功し、オランダ東インド会社(VOC)の設立者の一人となりました。しかし、1605年にVOCが東インド貿易を独占する前にやめ、1615年にオーストラリア会社 (the Australian Company) を設立し、ホールン号(Hoorn)とエンドラチェット号(Eendracht)との2隻の帆船を、東インドのスパイス(香料)諸島への新航路発見に向けて準備しました。

1615/6/15にル・マールはホールン号の船長となり、エンドラチェット号はウィレム・スハウテンが船長となって、北オランダのテキセル港(Texel)を出帆しました。ル・マール船長はアルゼンチンのティエラ・デル・フェゴ(Tierra del Fuego、フェゴ島)とスタテン島(Staten)の間のルマール海峡(Le Maire Strait)を発見しました。1616/1/29に南米の最南端にあるホーン岬を望見して、スハウテン船長の故郷の「オランダのホーン」に因んで「ホーン岬」と命名して回航し太平洋へ出ました。これは、ホーン岬を1578年に世界最初に回航して「ドレーク海峡」を発見したドレーク船長に次いでのことでした。

3月初めにチリの沖合いにあるファン・フェルナンデス諸島に寄航してから太平洋を西へと横断しました。

1616/4/21〜4/24の間に南太平洋にある現フランス領ポリネシアトゥアモトゥ諸島にヨーロッパ人として最初に帰航。それはココス島(Cocos Island)と呼んだ現トンガ諸島の、小島の現タファヒ島 (Tafahi Island)、トレイタース島(Traitors Island)と呼んだ現ニウアトプタプ島(Niuatoputapu Island)、グッドホ−プ島(Island of Good Hope)と呼んだトンガ諸島最北の現ニウアフォ島(Niuafo'ou Island)などでした。4/28にウォリスフツナ諸島の現ホールン諸島(Hoorn Islands)の現フツナ島(Futuna Island)と、アロフィ島(Alofi Islands)に寄港して、5/12まで滞在。そしてニューアイルランド島(New Ireland and New Guinea)の北方から、ニューギニア島北岸に沿って航海して隣接する島々に寄港し、7/24には現在スハウテン諸島(Schouten Islands)とかビアク諸島と呼ばれている島々に寄港ました。

8月にモルッカ島の北方に到達し、1616/9/12にテルナテ島にあったVOCに到達して大歓迎を受けました。両船の乗組員84人をエンドラチェット号に乗船させてジャワ島へと出帆し、10/28にジャカルタに到着しました。ところが、彼らが新航路を発見したにもかかわらず、VOCの反対にあい逮捕されエンドラチェット号は没収されました。解放後に彼らは、オランダ私掠船のスピルバージェン船長(Joris van Spilbergen、1568 - 1620)がマゼラン海峡を越えて太平洋岸のスペイン領からカルフォルニア海岸を荒らしての帰りのアムテルダム号(Amsterdam)で、オランダへ帰港しました。

ル・マール船長はアムステルダム号の船長となっての本国への帰路、マダガスカル島付近にて49才で亡くなりました。死に目に立ち会ったヴァン・スピルバージェン(Van Spilbergen)が彼の日記(Mirror of the East and West Indies )を父アイザックに渡し、父はそれを出版してVOCに没収されましたが、抗議して6,400ポンドを得て、その上に新ルートによる航海を許可されました。

参考:〜:
ファン・フェルナンデス諸島(群島)
 Juan Fernandez Islands
ファン・フェルナンデス諸島は1574年か1563年頃ににスペインの航海者、ファン・フェルナンデスによって発見されたチリの沖合い約670Kmの太平洋上のロビンソン・クルーソー島(旧名マサティエラ島)、セルカーク島、サンタ・クララ島の3つの島から成り、岩肌がむき出した地形の火山性の諸島。

参考HP:〜
ルマール船長の航海地図(1615-1616)
フェゴ島の場所地図
ルマール海峡の場所地図
トンガ諸島の場所地図
スハウテン諸島の地図(ビアク諸島)
ウォリスフツナ諸島の地図
ホールン諸島の地図(フツナ島と、アロフィ島)
ニウアフォ島の地図(グッドホープ島)

こちらで世界遺産の
ヘンダーソン島 (ピトケーン諸島)
ヌビア遺跡保存 (エジプト)
パルテノン神殿 (ギリシャ)
奈良の法隆寺 (日本)
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。   08/1/25、12/5/30
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