★スペイン モンテシーノス神父
1511
スペイン人の原住民に対する残虐行為を告発
大航海物語★

Republica Domonicana
スペイン人に説教するモンテシノース神父

ドミニカ 1992 発行
ESPANA
新大陸からスペインへお宝を運んだ
スパニッシュ・キャラック船
Spanish Carrack


スペインから新大陸へは人と物資を輸送
スペイン 1964/7/16 発行
REPUBLICA DOMONICANA
イスパニョーラ島

現在のドミニカ(右側の部分)
現在のハイチ(左側の部分)

ドミニカ共和国 1900 発行

モンテシーノス神父は、「新大陸」におけるスペイン人の先住民に対する残虐行為を告発して、インディアスに於けるスペイン支配の不当性を訴えた最初の人です。

フレイ・アントニオ・ド・モンテシーノス
 Fray Antonio de Montesinos (?〜1540)

モンテシノース神父は16世紀スペイン出身のカトリック宣教師で、ドミニコ会員でした。

1511年12月、イスパニョーラ島サント・ドミンゴで生活していたドミニコ会員アントニオ・ド・モンテシーノスが、スペイン人のインディオに対する不当な扱いを初めて非難しました。モンテシーノス神父は、当時スペインが国家をあげて植民・征服事業を進めていた「新大陸」(中南米)におけるスペイン人の数々の不正行為と先住民(インディオ)に対する残虐行為を告発して、インディアスに於けるスペイン支配の不当性を訴え続けました。

これがラス・カサス神父の運命を変えた最初の出来事となりました。

この運動は、やがてスペイン王室も動かし、フェルナンド2世(在位1479−1516)のもとにインディアス政策を検討するブルゴス会議が開かれ、1512年ブルゴス法(最初の植民地法)が制定されました。

その後も活動を続け、エンコミエンダ制のもとではブルゴス法の実効が上らなかったので、1515年インディアスでエンコミンダ制の不当性を訴えていたドミニコ会員たちと相談の上、王室に状況の改善を訴えようとモンテノーシス神父はラス・カサス神父と共にスペインへ向かいました。しかし、フェルナンド2世はまもなく逝去したため、摂政として実権を握っていたフランシスコ・ヒメネス・ド・シスネロス枢機卿およびアドリアン枢機卿(後のハドリアヌス6世、ローマ教皇・在位,1522-23)に謁見して植民地の実情を訴えました。

インディアス・プエルトリコ島へ戻ってから、原住民の保護と布教活動を続け、同地で亡くなったと伝えられています。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。        2007/2/20

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