★スペイン ヘルナンド・ド・ソト
1539
フロリダ上陸、ミシシッピ河発見
大航海物語★

ESPANA

フロリダ」400年記念
スペイン 1960/10/12 発行
ESPANA
新大陸からスペインへお宝を運んだ
スパニッシュ・キャラック船
Spanish Carrack


スペインから新大陸へは人と物資を輸送
スペイン 1964/7/16 発行
フロリダ半島

エヴェーグレード国立公園
アメリカ 1947/12/5 発行
U S A
5大湖と

ミシシッピ河流域の地図
アメリカ 1966/10/21 発行

ヘルナン・ド・ソトは富と名声を求めて新大陸へ渡ったスペインの探検家でコンキスタドール。生涯に3回の大西洋横断航海をなし1539年にはミシシッピ河の発見者となり、同地で亡くなりました。

ヘルナンド・ド・ソト (1497〜1542/5/21)
 Hernando de Soto

ヘルナンド・ド・ソトはスペインの下級貴族の次男として、エストレドゥーラ地方のヘレ・ド・ロス・カバジェロスで生まれました。1514年パナマ総督へドラリアス・タビラスに仕えて、新大陸へ渡りました。中央アメリカの探検と征服に力をふるい、ニカラガの有力者となりました。1531年、旧知のフランシスコ・ピサロの企てるインカ征服に参加して、騎馬の名手として戦功を挙げましたが、常にピサロ兄弟の目下に置かれるのが不満で、1535年、本国へ帰りました。

しかし、立身出世の夢は捨てがたく、1537年フロリダ征服の権利を獲得して、1538年キューバへ向かい、1539/5/25にフロリダに上陸し、内陸部の探検を行いました。黄金の地”エル・ドラード”を捜し求めて、現在のアメリカ合衆国の領地へ最初のヨーロッパ人の遠征隊を率いて、現在のジョージア州やアラバマ州を放浪し、飢えやインデイアンとの戦いに苦闘しながらも、ミシシッピ河に到達し発見者になりました。そして、現:アーカンソー州レイクヴィレッジのミシシッピ河畔で亡くなりました。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。       
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