Portugal

国連 1989 発行
切手で綴る ポルトガルの大航海 (Discovery Voyage)
エンリケ航海王子の船長たち (No.1
V. ディアス
ポルトガル人最初
ギニア到達
G. シントラ
1444
ブランコ岬到達


大航海物語
 ポルトガル編

Cabo Velde
(左) VICENTE DIAS

(右) GOMCALO DE CINTRA
カーボヴェルデ(ヴェルデ岬諸島) 1952 発行

GAMBIA
西アフリカの地図
RSA
カラベル船

Caravela Latina

南アフリカ(RSA) 1988 発行
アゾレス諸島            .
マデイラ諸島 ポルト・サント島
カナリア諸島   .
西サハラ〜ボジャドール岬
オーロ川
西サハラブランコ岬
モーリタニアアルギン
セネガルセネガル川
ヴェルデ岬諸島 ヴェルデ岬
ガンビア川

ギニア
シェラレオーネ




エルミナ
アフリカ大
ガンビア 1992 発行
黒い突起は上から ・ボジャドール岬
・ブランコ岬
・ヴェルデ岬(ダカールのあるヴェルデ岬半島に有)


ヴィセンテ・ディアス船長
 Vicente Dias (生年没年不詳)
ヴィセンテ・ディアスはエンリケ王子の命でポルトガル人としてギニアの地に最初に到達。それはアフォンソ5世のカラベル船隊6隻のゴメス・ピレス(Gomez Pirez)司令官で、
西サハラの地を通り過ぎ、ディニス・ディアスが以前に見つけた2本のヤシの木を見て、黒人の地の始まりであることを理解してから、セネガル河々口に近づき、投錨。ディアス船長の乗組員8人がボートで上陸。黒人奴隷を獲得して、ヴェルデ岬諸島に向かいました。
1445年、ギニアに来航して黒人奴隷を獲得し、
マデイラ島に直行し、そこからポルトガルテージョ川河々口のリスボンへ向かいました。
1446年、ポルトガルがギニア地域一帯の領有を宣言。
参考:〜
ヴェルデ岬諸島の南部地域ソタヴェント諸島のフォゴ島(Fogo Island)に”
Vicente Dias”という町が有。
ゴンサロ・デ・シントラ船長
 Goncalo de Cintra (生年不詳〜1444年頃)

ゴンサロ・デ・シントラはエンリケ王子と一緒に育った幼馴染でした。

1441年、王子の命で、ブランコ岬の発見のため、アンタン・ゴンサルヴェスと共に出帆し、西サハラのリオ・デ・オーロ(黄金河)まで航海しました。

1444年、王子の命で、ブランコ岬の発見のため1隻のカラヴェル船で再び出帆し、アフリカ西海岸を南下して、
ブランコ岬到達に成功しました。そこで他の船乗りと同じく奴隷狩りの誘惑にかられて岬の近くに上陸し、奴隷狩りの最中に現地人の反撃にあって、シントラ船長と7人のポルトガル人が殺されてしまいました。

・発見者の群像 ボジャドール岬を超えて

ジル・エアネス船長
・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。   令和 R.2/12/4(2020) 追記
スタンプ・メイツ
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