★ポルトガル
サン・ジョルジョ・ダ・ミナ
1482
ポルトガルがエルミナ城建設

大航海物語
参考資料★
PORTUGAL
アフリカ西岸を南下するポルトガルの航海者 エルミナに停泊するカラヴェル帆船
1482 エルミナ建設500年記念 1982
ポルトガル 1982 発行
S.TOME .PRINCIPE
(St.Thomas & Prince Islands)
サンタレン

サントメ・プリンシペ 1952 発行
GOLD COAST
ガーナの地図

英領ゴールド・コースト 1957/3/6 発行

GHANA
南西アフリカの地図
ケープベルデ諸島
セネガル
ガンビア
ポ領ギニア
ギニア
シエラレオーネ
リベリア

ガーナ
トーゴランド
アフリ
ガーナ共和国 1959 発行


ボジャドール岬→

ブランコ岬→


ヴェルデ岬→

シェラレオーネ
GAMBIA

ガンビア 1992 発行



エルミナ城
奴隷・三角貿易の地図

奴隷解放150年記念
トリニダード・トバゴ 1984/10/22 発行

・サン・ジョルジュ・ダ・ミナ (エル・ミナ)
 Sao Jorge da Mina (Elmina)

ペロ・デ・エスコラールが1469年アフリカ黄金海岸(ガーナ)のエル・ミナへ航海し、ジョアン・デ・サンタレンが1469年にアクスムを越えて、アフリカ黄金海岸(ガーナ)のエル・ミナへ到達しました。それは、アフリカの西海岸を南下して、ガーナ海岸の”アクスム”を越え、ポルトガル・リスボンから約1600kmの航海となり、1470年のギニア湾のサントメ・プリンシペ(セント・トーマス・アンド・プリンス)島を発見する足がかりとなりました。

ポルトガルは、その後1482年ゴールド・コーストに「サン・ジョルジュ・ダ・ミナ」(エル・ミナ)城を築き、ここが金交易・奴隷貿易の拠点となりました。

1469年、ペロ・デ・エスコラールがエル・ミナへ航海
      ジョアン・デ・サンタレンがエル・ミナに到達
1471年、アルヴァロ・エステヴェス船長がエルミナから、
      エスコラール船長に随伴してサントメ・プリンシペ島を発見
1482年、ディオゴ・カン船長が赤道を越えての探検航海の途上に寄港
      ポルトガルが”サン・ジョルジュ・ダ・ミナ”(エル・ミナ)城を建設
1493年、下ギニアのベニンやギニア湾のサントメ島が征服される
1495年、ポルトガルのロポ・ソアレス・デ・アルベリガリア船長が総督となる(〜1499年)
1497年、ポルトガルのバーソロミュー・ディアスヴァスコ・ダ・ガマ船隊の水先案内後に寄航
1519年、ドアルテ・ペレイラ船長が総督となる
1522年、ペレイラ総督が冤罪で告発され本国召還となる

現在の エルミナ(Elmina)はガーナの都市で、人口は約2万人。漁業が盛んな所です。1482年にポルトガルが建設したエルミナ城が街の起源。1637年にオランダ東インド会社に受け継がれ、奴隷貿易の拠点となり、1872年よりイギリスの統治下におかれ、それは後の三角貿易のアフリカ拠点となりました。1957/3/6のガーナ独立にともないエルミナはガーナ共和国の都市となりました。

参考HP〜:
ゴールド・コーストのエルミナ城
エル・ミナ(Elmina)付近の地図
三角貿易
ギニア湾の地図

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。    2009/12/30、11/8/11、08/7/15、2017/2/25

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