Portugal

国連 1989 発行
PORTUGAL (I)
切手で綴る ポルトガル人の大航海 (Discovery Voyage)
大航海時代の幕開き
ポルトガル人のアフリカ西海岸探検航海


大航海物語
 ポルトガル編

地中海沿岸と
イベリア半島からアフリカの地図
イベリア半島→  六分儀
アフリカ西海岸
セント・ヴィンセント発行の偉大なる航海者達
”Great Explorers” 小型切手シート

セント・ヴィンセント 1988/1/11 発行

大航海時代の到来
Portugal
ポルトガルより15〜16世紀の航海者達として 1945/1/29 発行されました
エアネス

$10
ザルコ

$30
ヴェルホ

2$00
8種の内のエンリケ航海王子時代の人物



ルナン
ド王
Cabo Verde
エン

ケ航海王
ポ領ヴェルデ岬諸島 1952/2/24 発行
ANGOLA
アフリカ西部の古地図 1540

ポルトガル領インド 1960/6/25 発行
それはポルトガル人のアフリカ西海岸の探検航海で始った。
15世紀になるとイベリヤ半島ではキリスト教国はポルトガル王国・カスティリア王国・アラゴン王国の3ヵ国に集約され、 ヨーロッパ最後のイスラム教国グラナダ王国は南スペインのアンダルシア地方で安定した農業生産と活発な交易活動により、 なお命脈を保っていました。しかしイスラム教国に対する”レコンキスタ”という「キリスト教徒によるイベリア半島回復を目指す運動」が強まって、しだいにその領土を縮小してゆきました。

おりしも、ポルトガルは、1383年フェルナンド王(1345生・在位1367〜1383)の没後、アビス修道会長だった ジョアン1世が王位継承問題の内乱を収拾して王位につきアヴィス朝を創始し、カスティリャ王国との戦争にも勝利して、その混乱期を終わらせポルトガルの独立を固めようとしていました。打ち続く戦争の結果、貴族階級は大勢の戦死者を出し経済的にも困窮しており、 王家の財政も非情に弱体化していたので、「富」と「土地」と「征服の名誉」をもたらす新しい世界を求めて外国に目を向け始めていました。

セウタ攻略
Ceuta、1415

Republica Portuguesa
セウタの戦い

ポルトガル 大正13年 1924/11/11 発行
Portugal
ムーア人の降伏


ポルトガル 昭和22年 1947/10/13 発行
Portugal
アルカルヴェのムーア人追放


ポルトガル 1999/9/3 発行
”セウタの戦い”切手は1524年の ”ルイス・デ・カモンイス” 生誕400年記念として、
”ムーア人の降伏”切手は1147年ムーア人の町リスボン征服800年記念として、
”アルカルヴェのムーア人の追放”切手は1249年
ムーア人の港町アルカルヴェ征服750年記念として、ポルトガルより発行されました。

ルイス・デ・カモンイス(Luis Vaz de Camones)はリスボン生まれの詩人で、ポルトガル詩聖の1人。ジョアン3世に仕え、1547年セウタへ行き、ムーア人との戦争に従軍し右目を失明しました。上記の切手はその戦闘が描かれています。代表作に叙事詩”ウス・ルジ−アダス”(1572)があります。リスボンには”カモンイス広場”が有ります。

リスボンはフェニキアの植民市を起源としローマ、西ゴートと続き、8世紀初めから400年以上イスラムの西方拠点として繁栄。1147年に支援の十字軍艦隊によるテージョ河口封鎖で、3ヵ月後アフォンソ1世のサンタレン包囲奇襲作戦で一夜にして落城、ムーア人が降伏しました。15世紀中頃、首府がコインブラからリスボンへ移されました。
ジョアン1世は北西アフリカのムーア人の要都セウタ (アフリカ北岸の港町でジブラルタルの対岸に有り、イスラム教徒の商人や海賊の基地で地中海の要衝として知られていました )を攻略するべく準備を始め、3人の王子にそれぞれ役割を与え、王自身は外交と艦隊の練成に専念しました。 ドゥアルテ王子(在位1433〜1438年)はポルトガルの財政処理と司法をつかさどる事。ペドロ王子はリスボンを基地として国の南部から乗組員を集めて艦隊を建造・組織する事。エンリケ王子にはオポルトを基地として国の北部から乗組員を集めて艦隊を建造・組織する事。1415年7月北アフリカ・イスラム勢力に内戦が始まると、それに乗じて同年8月14日ジョアン1世は3人の王子と共に200隻の軍艦でセウタ攻略を開始。即日セウタ港のイスラム艦隊を全滅させました。翌15日上陸、激戦のすえ占領しました。

ジョアン1世が3人の息子の騎士叙任(成人式)に伴う儀式の武芸国際トーナメントにかえて、セウタ攻略をおこなったと言う説も有りますが、十字軍的精神に負うところも大きかった事でしょう。エンリケ王子もセウタ攻略戦に21才で出征し、武勲をたてて2人の兄弟と共に華やかにナイト(騎士)に叙せられました。そしてセウタ滞在中に耳にしたアフリカの内陸部に君臨するというプレスター・ジョン大王の話や、黄金の国「レックス・メリ(Rex Melli)」から黄金を運ぶというキャラバン隊、あるいはアフリカ西海岸に延びる海岸線の話などに、いたく刺激されました。当時、南西アフリカには14世紀中頃に隆盛を極めた黒人帝国「マリ帝国」が実際に有って、イスラム商人による交易が行われていました。サハラを越えて黄金を交易する隊商の話などは、その後の西アフリカ海岸の探検航海を推進させる原動力ともなりました。

ポルトガルの北アフリカ介入失敗(1437年セウタ近くのタンジール征服戦がイスラム軍に完敗)は、エンリケ王子の弟フェルナンド王子(上記”Cabo Verde ”切手の左の人物)を失う結果となりました。

セウタに豊富な物資があるのを見たり、捕虜のイスラム教徒の話を聞いて帰ったエンリケ王子は新航路発見を一生の仕事と考え、これについてあらゆる努力をしました。 帰国後、船でアフリカ西海岸沿いにギニア方面へ行くことを思い立ち、1419年ポルトガル・アルガルヴェ州総督になると南部のサグレスのサン・ヴィセンテ岬に住んで、 航海学校を建設(航海のための研究所を作り多くのイスラム人やユダヤ人を含む学者を集め、地図製作(ヴェネチア人マエストロ・ハイメという観測器具・地図製作者もいた) して船乗りを養成すると共に造船についての研究が続けられました。そしてアフリカ西海岸を南下する航海事業を推し進め、自らは航海はしていませんが、次々と船乗り達を 探検航海に派遣しました。

15世紀の
航海方法と航海用道具

1460 エンリケ航海王子没後500年記念 1960
羅針盤(コンパス)

サントメ・プリンシペ 1960 発行
アストロラーペ

ギニヤ 1960 発行

カシオペア座
天文台・四分儀


アセンション
1971/2/15 発行
砂時計

パキスタン 1951/4/14
南十字星
北極星(北斗七星
日本 1952/2/19 発行
左の切手はアセンションより「天文学の発達と宇宙開発」として発行された14種の内の1種で
”Tycho Brahe”の天文台と大型の「四分儀」と、1572年に彼が発見したという星が描かれています。

ティコ・ブラーエ(Tycho Brahe)はデンマーク・ヘルシングルポル城主の長男で、望遠鏡が発明される前の天文学者、肉眼による最大の天体観測者です。1572年にカシオペア座の超新星”ティコの星”を発見。1578年国王がティコのためにペーン島にウラニボル天文台を設立。ティコは半径3mの四分儀(子午線儀の原型)などを考案設置。1588年地動説と天動説の折衷案を主張。1596年ドイツへ亡命。ケプラーと出会って1年半後亡くなりましたが、ティコの20年間にわたる火星観測記録がケプラーによる整理研究で”惑星公転の三法則”発見の基礎資料となりました。
この当時、羅針盤(コンパス)は有りましたが位置による「磁石の偏差」は知られていなかったので方向を誤っての遭難があり、航法は砂時計による「推測航法」が主体で、目で天体を観測して船の位置を知ッたと伝えられています。天文観測用アストロラーペ(astrolabe、16世紀に六分儀が発明されるまでは航海における主要な測定機器でした)や、四分儀(コードラントQuadrant)はすでに発明されていたので、船上では「改良された小型の四分儀」を使用して船の位置(緯度)を知ることはできましたが、やはり北極星南十字星の観察が重要でした。

探検航海が進むにつれて新しい地図情報が伝えられ書き加えられました(ポルトラノ海図)。それは無限とも思われる財宝のありかを示す地図でも有りましたので、まさに秘中の秘として極秘に取り扱われました。

なお、太陽を使って緯度を測る技術(四分儀)は1474年ポルトガル人(ディオゴ・ゴメス)が実用化したといわれています。

1460年11月13日エンリケ航海王子がサグレスで、66才で他界する時点では大西洋上の島々やシェラレオーネまでのアフリカ西海岸が探検されるに至りました。そして、彼こそが大航海時代の先駆けを飾る人物であり、航海術・地理学をポルトガルに蓄積させ、ほとんど半世紀の間、ポルトガルが探検航海の核心でありました。と同時に、コロンブスなどの後の探検航海者達もポルトガルで学んだように、僅か一世紀の間に地球の半ばを越えた海洋探検というものについてはエンリケ王子に負うところが大きいのであり、それ故に航海王子と呼ばれるようになり、その探検と航海の精神は彼の没後も多くの航海者によって引き継がれ、また彼の事業そのものはポルトガルのジョアン2世(在位1481〜1495)そしてマヌエル1世(1469生・在位1495〜1521)によって引き継がれ南西アフリカの探検航海を推し進め、さらに東回りインドへの探検航海を推進することとなりました。

15〜16世紀の主な航海用具こちらでお楽しみください。

こちらで
(0)序章(ポルトガル (香料を求めて!)
(I)大航海時代の幕開き (ポルトガル人のアフリカ西海岸探検航海)
大航海時代の到来
 ・セウタ(攻略)
 ・ティコ・ブラーエ
エンリケ航海王子
 ・カラベル船(帆船の改良・発達)
(II)ボジャドール岬を越えて (エンリケ航海王子の船長たち)
(III)シェラレオーネから喜望峰へ (大西洋ギニア湾を南下)
(IV)喜望峰を越えて (インド洋へ)
(V)ポルトガル人のインド洋支配 (ポルトガル人のインド遠征)
(※)インドから東洋へ
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。   令和 R.2/12/11(2020)追記

スタンプ・メイツ
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