Portugal

国連 1989 発行
切手で綴る 冒険大航海(Adventure Voyages)ポルトガル発見者の群像(2-1
ペロ・デ・エスコラール船長
1469、ガーナのエル・ミナへ航海
1470、サントメ・プリンシペ島発見


大航海物語
ポルトガル編

S.TOME .PRINCIPE
(St.Thomas & Prince Islands)
四分儀を持つエスコラール船長

ポルトガル領サントメ・プリンシペ 1952 発行
Mozambique
15世紀ポルトガル・カラベル船

モザンビーク 1963/12/1 発行

S.TOME .PRINCIPE
(St.Thomas & Prince Islands)
GHANA
エスコラール船長




サントメ島


プリンシペ島




サンタレン船長
. 南西アフリカの地図
     ギニア湾

ガーナ共和国 1959 発行



ビオコ島
←プリンシペ島
←サントメ島
アンノボン島
ポルトガル領サントメプリンシペ 1970/1/25 発行

ペロ・デ・エスコラール船長
 Pero de Escolar (生没年不詳)
エスコラール船長はポルトガルアフォンソソ5世(Afonso V, 1432〜在位:1438〜1481)時代のポルトガル船長の一人として、宮廷に出仕していました。
そしてエスコラール船長は
・フェルマオ・ゴメス船長(Fernao Gomes、1471年エル・ミナ到達)の船隊で、
ジョアン・デ・サンタレン船長(1469年エルミナ到達)
ロポ・ゴンサルヴェス船長(1473年ガボンロペズ岬到達)
・ペドロ・デ・シントラ船長(Pedro de Sintra、1460年シェラレオーネ到達)
フェルナンド・ポー船長(1469年ビオコ島発見)
らと共にギニア湾岸貿易に従事していました。

エスコラール船長が1469年アフリカ黄金海岸(ガーナ)のエル・ミナへ航海し、それは1470年のサントメ・プリンシペ(セント・トーマス・アンド・プリンス)島発見の足がかりとなりました。1470年にエスコラール船長はサントメ・プリンシペ島を発見し、その日が使徒トマスの日である12月21日だったため、それにちなんでサントメ(ポルトガル語で聖トマスの意)と名づけました。1471年にガーナのエル・ミナ海岸(Costa da Mina)から、アルヴァロ・エステヴェス船長とサントメ・プリンシペ島(Sao Tome e Principe)へ航海しました。

1485年にエスコラール船長はディオゴ・カン船長と共にコンゴ河の河口まで航海しました。
1486年には、ディオゴ・カンの再度の探検航海に同行し、アンゴラサンタ・マリア岬から南下してナミビアクロス岬に到達しました。

エスコラール船長は、1497/7/8にヴァスコ・ダ・ガマの船隊にパイロット(水先案内人)として乗組み、テージョ川河々口のリスボンを出帆して、1498/5/18インド・カリカットに到達しました。

1500年にはペドロ・カブラルの船隊にパイロット(水先案内人)として乗組み、ブラジル到達して、インドのコーチンとカナノールに赴き、1501年に帰国しました。

なお、1493年にアルヴァロ・カミニャのポルトガル人入植者達が無人島だったサントメ島に入植し、ポルトガル人はアフリカ大陸から奴隷を購入し、砂糖やココアの農場で働かせました。
19世紀に奴隷制度は廃止されました。

サントメ・プリンシペは1975/7/12にポルトガルから独立して、 サントメ・プリンシペ民主共和国(Democratic Republic of Sao Tome and Principe)となりました。

参考:〜
 ・サントメ・プリンシペの地図
 ・ギニア湾の地図

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。平成20年 2008/7/15追記、令和6年 2024/5/24
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