大航海物語
イサベラI世 女王
1474〜1504

参考資料
ESPANA
カスティリャ王国イサベラ1世女王
Isabel la Catolica


1451 イサベラ女王500年記念 1951
スペイン 1951/10/12 発行
イサベラ女王とフェルナンド2世
コロンブスの船出を許可


スペイン 1987 発行

THE GAMBIA
フェルナンド2世とイサベラ女王が
同君連合王国を結成、1479


2000年紀記念のミレニアム切手
ガンビア 1999 発行
CORREOS DE CHILE
イサベラ女王

チリ 1951 発行
PERU
イサベラ女王

ペルー 1953 発行

イサベラ(イサベル)1世 女王
  (Isabel I de Castilla, 1451/4/22〜在位1474〜1504/11/26)
イサベラ女王はトラスタマラ朝のカスティーリャ・イ・レオン王国の王フアン2世と2番目の妻でポルトガル王女(ジョアン1世の息子アヴェイロ公ジョアンの娘)イサベラの長女として生まれました。イサベルという名は母から娘へと受け継がれてきた名前であり、このイサベルですでに7代目。初代は13世紀ポルトガル王妃で聖人に任ぜられた聖イサベル(Elizabeth of Aragon)。イサベルが3才頃に父が他界すると、異母兄のエンリケ4世によって母・弟アルフォンソと共に追放され、不遇な少女時代を送りました。母イサベルはその生活のため精神を患い、親子は苦労を強いられました。その後、子宝に恵まれなかった兄王に女児フアナが生まれましたが、父親が誰かという疑惑が生じ、王位継承問題が発生。一部の家臣らは現国王を見限り、異母弟妹であるイサベルとアルフォンソを次の国王に据えようとしました。1464年にアルフォンソ12世の即位の儀式が行なわれましたが、一国に2人の君主がいる状況は内乱を招きました。しかし、1467年のアルフォンソ12世の死によって終止符が打たれました。アルフォンソの支持者はイサベルを次の国王に据えようとしましたが、イサベルは「兄が生きている間は他の王を戴くべきではない」と、兄の娘かどうか不明なフアナよりは自身の王位継承順が高いことを示す拒否の仕方をしました。イサベル自身もポルトガルに嫁がされようとしていましたが、事前にその危険を察知し、同盟相手として必要なのはポルトガルではなく、結婚相手としてふさわしいのは地中海に領海権を持つアラゴン王国の王子フェルナンドであると結論を下しました。アラゴンとカスティーリャは民族もほぼ同じであり、王朝も同じトラスタマラ家でした。フェルナンドとイサベルは曾祖父が同じため、又従姉弟でした。かくして2人はひそかに会い、結婚し、国内問題に取り組みました。1474年にエンリケ4世が亡くなり、イサベルは晴れて王位に就きました。

まずはカスティーリャの王位継承問題に介入してきたポルトガル王アフォンソ5世と戦い(トロの戦い(Battle of Toro)、1476/3/1)勝利した後、カスティーリャ領内の反イサベル派を北から南へ夫フェルナンドと共に討伐していきました。その中途の1479年、フェルナンドは父の死去に伴いアラゴン王位を継承し、カスティーリャ=アラゴン連合王国、すなわちスペイン王国(イスパニア王国)が誕生しました。1492/1にイベリア半島南部に残っていたイスラム国家グラナダ王国を制圧(グラナダ陥落)し、ついに約800年に渡るレコンキスタを完成させました。この間イサベルは戦場を奔走する夫を信頼し、軍資金や物資の調達に尽力していました。このグラナダ陥落までの3年間(9ヵ月とも)、願懸けとして下着を替えなかったといわれています。これに因んで、イザベル色(茶色がかった灰色)という色が誕生しました。1496年にはローマ法王庁の教皇アレクサンデル6世により、この偉業が讃えられ、フェルナンド(Fernando el Catolico)とイサベル(Isabel la Catolica)は「カトリック両王」(The Catholic Monarchs、ス:Los Reyes Catolicos)の称号を授けられました。

しかしながらこの時点ではまだスペインは一つの国ではなく、君主同士が結婚している状況であったため、イサベルの死後に相続問題が起きる原因になりました。また、イサベルは自分が王妃ではなく女王でもあること、フェルナンドよりも年上であることを常に忘れなかったと言われています。イサベルはクリストファー・コロンブスの新大陸進出に援助を与えました。敬虔なカトリック教徒であったイサベルは、先住民に対する残虐な仕打ちに心を痛めていたといわれています。フェルナンドとの子供達は各国の王族と結婚しますが、多くの子供達は不運な人生を歩みましだ。特に次女フアナの発狂では心を痛めましたが、1504年にイサベラ女王はその波乱の生涯に幕を閉じました。だがイサベル1世が築いた国の基礎はスペインに黄金時代をもたらしました。イサベルとフェルナンドの時代をスペインの黄金時代と定義する場合もあります。それは、コロンブスを始め、たくさんの「冒険家」により「新大陸が発見」され、その土地とそこから産出される様々な品(特に金銀財宝)により国は潤いましたが、それを上手く使って国を豊かに出来る君主が現れなかったという見方でそう定義されます。

1494/6/7にスペインのトルデシリャスで、ヨーロッパから「インドへ向かう海洋」をポルトガルとスペインとの2国間で分割した条約のトルデシリャス条約が調印されました。

フェルナンド2世との間には、一男四女に恵まれました。(以下出生順)
・イサベル(1470-1498)〜
  1490年、ポルトガル王ジョアン2世の息子アフォンソ王太子と結婚、翌年死別し帰国
  1497年マヌエル1世と再婚し、男児(夭折)を出産後死亡
・フアン(1478-1497)〜
  唯一の男子。フィリップ美公の妹マルガリータと結婚後まもなく夭折
・フアナ(1479-1555)〜
  夫フィリップ美公の死後精神を病み、父により幽閉される
  形式上カスティーリャ女王の地位についた
・マリア(1482-1517)〜
  姉イサベルの死後マヌエル1世の王妃となる。
・カタリーナ(キャサリン・オブ・アラゴン)〜
  イングランドのアーサー王太子の妃。
  アーサーの死後、その弟ヘンリー8世と再婚し、
  王妃となるが、後に離縁される。
  メアリー1世の母。
参考HP:〜
1474年頃のスペイン

こちらで
フェルナンド2世 (アラゴン王国)
カルロス1世 (スペイン国王)

世界遺産の
モヘンジョダロ (パキスタン)
サンマリノ (イタリア)
ヌビア遺跡 (エジプト)
ピラミッド (エジプト)
パルテノン神殿 (ギリシャ)
姫路城 (日本)
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。      2018/8/4追記

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