切手で綴る 領土の帰属をめぐる紛争
南ヴィエトナム vs 中華人民共和国>
大航海物語 Vietnum

国連 1982 発行
西砂諸島 西砂海戦 パラセル諸島 China

国連 1982 発行
参考資料 地図
西沙諸島の戦い
1974
西砂諸島の地図

VIETNAM
ヴィエトナムの地図切手に西沙諸島・南沙諸島を表示
(諸島の表示はヴィエトナム本土の縮尺とは無関係に拡大して描かれている)

ヴィエトナム
西沙諸島
ヴィエトナム再統一記念の領土地図
ヴィエトナム 1976/6/24 発行 (拡大図)

西沙諸島の戦い (1974/ 1/15〜20)
  Battle of the Paracel Islands、中国軍の完全な勝利
  別名:西沙海戦(1974/1/19)
      ベトナム戦争(1965-1975)末期の戦い
1973/9月、南ベトナム中華人民共和国(中国)と係争中の南沙諸島
       フートイ省へ編入すると発表。
1974/1/11、それに応じる対抗措置で、
        中国は西沙諸島が自国領土であることを改めて主張する声明を発表。

1974/1/15、南ベトナム海軍の哨戒艦リ・トン・キェト号(frigate Ly Thuong Kiet (HQ-16) 李常傑, 旧アメリカ海軍バーネガット級水上機母艦(チンコテーグ号:Barnegat-class seaplane tender Chincoteague (AVP-24) 2,800屯)が、西沙諸島に哨戒で接近すると、永楽群島の甘泉島(ロバーツ島)に中国国旗が掲揚され、沖に中国の大型漁船(armored fishing trawlers)402号と407号が碇泊しているのを発見。リ・トン・キェト号(李常傑)は中国漁船に退去を命じ、陸上の中国々旗を狙って威嚇射撃を行いました。

1/17、中国と南ベトナム双方は増援部隊を現地に派遣。南ベトナム軍は護衛駆逐艦チェン・チン・ユー号(frigate Tran Khanh Du (HQ-4) 陳慶瑜, 旧アメリカ海軍エドサル級護衛(Edsall-class destroyer escort)駆逐艦(Coast Guard service(沿岸警備艦) USS Forster (DE-334) 1,590屯)フォスター号)と哨戒艦チェン・ピン・チョン号(frigate Tran Binh Trong (HQ-5) 陳平仲, 旧アメリカ海軍バーネガット級水上機母艦(Barnegat-class small seaplane tender)キャッスル・ロック(USS Castle Rock (AVP-35) 2,800屯)に歩兵を乗せて派遣、甘泉島と金銀島に展開しました。中国軍も、愉林基地第38002部隊副司令員の魏鳴森を指揮官として、第73駆潜艇大隊(大隊長:王克強)の海南型駆潜艇(Hainan-Class submarine chasers)271号、274号(PLAN corvettes #271, #274, 135屯)に歩兵1個小隊ずつを乗せて送り、普卿島(ドイモン島)・深航島(ダンカン島)・広金島(パーム島)を占領。他にも艦艇や航空機を出動しました。

1/18、南ベトナムは哨戒艇ヌータオ号(corvette, Nhat Tao (HQ-10) 怒涛, 旧アメリカ海軍アドミラブル級掃海艇セレーネ号(USS Serene (AM-300) Admirable-class minesweeper 650屯)を増派し、永楽島付近を警戒させました。中国側は第74駆潜艇大隊の駆潜艇(Kronstad-Class submarine chasers)281号、282号(Shanghai-Class submarine chasers #281 & #282, 400屯)と輸送任務の掃海艇389号、396号(corvettes #389 & #396:陸兵と輸送物件を搭載)を加えて、駆潜艇4隻・掃海艇2隻(実質は高速砲艇の上海型哨戒艇(Type 62 class gunboat 150屯)の態勢となりました。中国側漁船2隻も依然として周辺海域に留って、南ベトナム艦艇と体当たりを繰り返していました。

1/19午前7:40分、南ベトナム軍40人が広金島に上陸を開始し、同島の中国軍と銃撃戦となり、第73駆潜艇大隊と掃海艇2隻の中国艦隊も駆け付け、午前8時頃から両軍艦艇がお互いに進路妨害や体当りを始めました。

1974/1/19午前10:22分、南ベトナム艦隊が発砲し、ついに本格的な交戦状態となり、南ベトナム艦隊はチェン・チン・ユー号(陳慶瑜)とチェン・ピン・チョン号(陳平仲)が隊列を組み、他の2艦はバラバラに行動。ヌータオ号(怒涛)と、中国側掃海艇2隻は激しい接近戦となり、ヌータオ号と中国掃海艇389号がいずれも浸水・炎上。1時間足らずの交戦で南ベトナム艦隊は次々と損傷し、バラバラに戦場離脱。中国側は12時過ぎに第74駆潜艇大隊の2隻(281号、282号)も増援として到着し、ベトナム艦を追撃しました。低速のヌータオ号は逃げ切れず、優速な中国艦隊の集中攻撃を浴び、午後2:52分に西沙諸島西部海域で沈没しました。

午後1:30分、永楽島に中国軍部隊の歩兵3個中隊、偵察1個中隊が上陸して占領。この時に中国艦隊とベトナム艦キーリン号(麒麟)の間でも交戦となりました。

1/20、金銀島など3島にも中国軍が上陸し、航空機の援護の下で占領。地上戦で南ベトナム軍は約100人が死傷しました。

この戦いは中国軍の完全な勝利に終わり、南ベトナム軍は哨戒艇ヌータオ号を撃沈されて、哨戒艦リ・トン・キェト号が大破したほか、残る2隻も損傷しました。人的損害も多数の死傷者が出たほか、49人が捕虜となり、内1人はアメリカ人の軍事顧問でした。中国軍は掃海艇389号が大破した他、駆潜艇274号も損傷。人的損害は中国側によると戦死18人、負傷者67人。
西沙諸島から南ベトナムの勢力は追い払われ、完全に中国の実効支配下に置かれることになりました。漁船を突出させて紛争を引き起こすという、中国の常套手段が成功する形となった訳です。中国軍は永興島に4階建ての建物やヘリポートを整備し、戦車部隊やミサイル艇を駐留させるなど要塞化を進めあした。ベトナム戦争終結後、ベトナム統一を遂げたベトナム社会主義共和国(旧・北ベトナム)は中国に対し、西沙諸島の領有権を主張して「上記の切手を発行」し、外交交渉を求めるも中国は応じませんでした。1988年には2600m級の本格的な滑走路を有する飛行場まで完成させ、南シナ海支配の戦略拠点としました。また、中国軍はベトナム支配下にある南沙諸島にも侵攻しました(南沙諸島の戦い、1988)。

・参考HP:〜
 ・西沙海戦の地図

こちらで、領土の帰属をめぐる紛争地帯の
南沙諸島
西砂諸島
北方四島
竹 島
尖閣諸島
ガ ザ
パレスチナ紛争
マルビナス危機
フォークランド戦争

サウス・ジョージア島の戦い、をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。   平成 H.24/12/13(2012)、令和 R.3/11/12(2021)

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