United Kingdom![]() 国連 1983 発行 |
切手で綴る イギリスの大航海(Great Adventure
Voyage)殖民大航海(IV-14)
サー・ジョージ・カートレット 1664 ニュージャージー命名 ニューヨーク |
大航海物語 イギリス編★ |
NEWFOUNDLAND タラ(鱈) ![]() 英領ニューファウンドランド 明治20年 1887 発行 |
![]() ENGRISH CHANNEL ISLANDS 英仏海峡内のチャネル諸島の場所 ジャージー島はガーンジー島の下の赤色 ジャージー 1988 発行 |
カートレットは1664年にチャールズ2世の弟ヨーク公爵から新大陸アメリカで領地を拝領し、そこをニュー・ジャージーと命名しました。 |
サー・ジョージ・カートレット初代準男爵 Sir George Carteret, 1st Baronet (1610〜ジャージー島総督在任1643-1651〜1680/1/14)
イギリス軍は市民に対して生命と自由と財産を保証。チャールズ2世は自分の味方になる者にはとにかく気前がよかった。弟のヨーク公にニューヨークを与えました。かくして、現地は新しい支配者にちなんで、1664年に「ニューヨーク」と改名されました。なお上記の切手では1653年となっています。メリーランドに次いで北米で2番目の領主植民地の誕生でした。その領域は現在のニューヨーク州よりもはるかに広いものでした。名前のかわった「ニューヨーク」の住民はイギリスから以前通りの生活を保証され、たいした混乱もなく施政の引き継ぎがなされていた。既に土地と財産を手に入れているオランダ人で故国に戻る者はほとんどなく、最後のオランダ総督スタイヴサンドも3年後にはこちらの私有農園に戻ってきて亡くなるまで暮らしました。 ニューヨークの新しい支配者ヨーク公は、自分が貰った広大な領地のかなりの部分を友人のジョージ・カートレット卿とジョン・バークリー卿に与えることにしました(2人の領主による共同統治)。これが「ニュージャージー植民地」の始まりとなりました。”ニュージャージー”とはカートレット卿が本国のジャージー島の出身であったことにちなんで名づけられました。ただし、植民地分割の決定が現地に伝わるより早く、ニューヨーク政庁がニューイングランドのピューリタンに対してニュージャージー地域に移住することを許可しており、喜んで移ってきた彼等数百名は、その後現地に領主代理としてやってきたフィリップ・カートレットによる事後承諾を受ける運びとなった。この地域には早くからオランダ人の入植も進んでおり、1668年には議会も開設されたのであった。総督カートレットの故郷イギリス領ジャージー島を記念して命名後、東西ジャージーに分かれていましたが、1702年統合されイギリスの直轄植民地となりました。その後の発展で、ニューイングランド、ニューヨークに次いでニュージャージーは第3番目のイギリス植民地洲となりました。
・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 令和7年 2025/9/28追記 |