★ポルトガル ジョルジョ・アルヴァレス
1513
珠江デルタのリンチン島に上陸
大航海物語★

MACAU
ジョルジョ・アルヴァレス

マカオ 1951/827 発行
GRENADA
ジャンク船

グレナダ 1998/4/26 発行

MOCAMBIQUE
ポルトガルのマスケット火縄銃を担う
ポルトガル兵士


モザンビーク1967/1/12発行
SULTANATE of OMAN
インド洋の地図

オマーン 1981/11/23 発行

ポルトガル生まれのジョルジョ・アルヴァレスはマラッカからジャンク船隊で出帆し、1513年に中国の広東省の珠江デルタのリンチン島にヨーロッパ人として最初の中国本土上陸を果たしました。そして、それはポルトガルのマカオ進出の先駆けとなりました。
ジョルジョ・アルヴァレス (生年不詳〜1521/7/8)
 Jorge Alvares

1513/5月にアルヴァレスはビルマのペグー(Pegu、現バゴー Bago)から、パタリム船長(Rui de Brito Patalim、マラッカ総督 1512-1514)の6隻のジャンク船隊で、ポルトガル航海士の2人と共にポルトガルが占領していたマラッカへ出帆しました。

そして同月にマラッカを出帆したアルヴァレスは中国の広東省(Guangdong)珠江三角江(デルタ)のリンチン島(Nei Lingding Island)にヨーロッパ人として最初の中国本土上陸を果たしました。そしてポルトガル国王の名においてパドラ(Padrao)を建立して、ポルトガルの領土であると宣言して、現地の中国人と通商の話し合いをしました。

1513年の遅くにポルトガルのインド副王(Viceroy of the Estado da India)アルプケルケ将軍がマラッカにいたコロンブスの従弟のペレストレロ(Rafael Perestrello)を通商使節(1514-1517)として送りこんできました。
アルヴァレスは1513年から1514年にかけて、香港(Hong Kong)近郷の屯門(Tuen Mun)を占拠しポルトガル人居住地を建設しました。1517年に中国「明」が屯門から立ち退くよう要求してきて通商交渉が決裂、倭寇を撃退した明時代の英雄の広東海道副使・汪メが自から指揮しての戦闘となりました。

アルヴァレスなどのポルトガル人は良く戦いましたが、多勢に無勢で屯門から撤退し、寧波沖のリャンポー(双嶼島)に移りました。
マカオ
その後、ポルトガルはマカオに居住地を建設して定着し、マカオは1999年のマカオ返還まで、400年以上に渡る極東アジア貿易の拠点となりました。

参考:〜
・珠江 (しゅこう)
 Pearl River

珠江は香港とマカオの間を通って南シナ海に注いでいる河で、長さは2,200km、河口は海のように広く、デルタ河口の東の香港から西のマカオまでは、高速船で約1時間かかる。香港と西のマカオは珠江デルタに有。
珠江(香港)デルタ地帯

1513年、ポルトガルのアルヴァレスが珠江河口の屯門を占拠しポルトガル人居住地を建設
1557年、ポルトガルがマカオに永久居留権を獲得
1582年、マカオ〜マニラ貿易が始まる
1613年、最初のマカオ総督がマカオに着任

参考HP:〜
 珠江流域の地図
 珠江河口付近の地図(日本語)
 マカオ付近の地図(日本語)
 マカオの地図
 マカオの地図(日本語)
 屯門の場所地図
 香港の地図(日本語)
 現在の香港地域の地図(Tuen Mun、Hong Kong有)

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。       09/9/29、10/11/11追記

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