大航海物語 大航海時代とポルトガルの植民都市(VII)
マラッカ
Malacca
1511、征服・建設

参考資料
MACAU
ポルトガル・マラッカ、1511

マカオ 1989/11/17 発行 (300%)
FEDERATIO of MALAYA
サルタン王国 マラッカの場所地図
マレー半島南部の地図


ペルリス

ケダー

ペナン

ペラク

セランゴール

ネグリセンビラン

マラッカ





←マラッカ海峡
マレー連邦 1957/5/5 発行 (300%)

マラッカ
 Malacca

 (満剌加)
現在はマレーシア国ムラカ州マラッカ・ブルスジャラ特別市(Majlis Bandaraya Melaka Bersejarah)。
面積:市域:297.85ku、市域人口:455,300人、人口密度:1,529人/ku、切手:1965-1986発行

1396年頃、スマトラ島のパレンバンの王子パラメスワラがマラッカ王国を建国
1402年、マレー系イスラム港市国家(-1511)マラッカ王国(Malacca Sultanate)が
      15〜16世紀初頭にマレー半島南岸で栄える
      同時期に交易国家として繁栄の琉球王国とも交易
1405年、明へ朝貢を開始。明の鄭和の艦隊が初寄港。
      マラッカ王朝は朝貢貿易を通じ明国との同盟を強固にして
      北の大国シャム、南のアチェからの脅威を牽制
1414年頃、マラッカ王国はイスラム化し、香辛料の東西貿易における重要な中継港として繁栄
1509年、ディオゴ・ロペス・デ・セケイラ(Diogo Lopes de Sequeira 1465?-1530 )のポルトガル遠征
      隊がマラッカに初来航、当初はサルタン(Sultan Mahmud Shah 1528没)はポルトガルに
      交易と商館の建設の許可を与えるも、インドにおけるポルトガルのイスラム教徒迫害を
      聞いていたイスラム商人がサルタンにポルトガルの排除を働きかけ、王国は奇襲をかけ
      60人前後のポルトガル人を殺害し、ポルトガル艦隊は24人の捕虜を残してインドに撤退。
1511/7月、マラッカ遠征隊がゴアに戻りインド総督アルブケルケ将軍が艦隊18隻でマラッカに来航
1511/8/24.、マラッカが陥落してポルトガルが占領。サンチャゴ砦やセントポール教会が建設され、
      司令官が常駐して東南アジアのポルトガル海上帝国の拠点となる。マラッカの陥落で交易
      拠点の機能が東南アジア各地の港湾都市に分散。隊商の交易ルートがマレー半島を陸
      路で横断した後、スマトラ島の西海岸を南下してスンダ海峡に到達するものに代わる。
      この交易ルートの変化でマレー半島のジョホール、パタニ、パハン、スマトラ島のアチェ、
      バンテンなどの港湾都市は急速に利益をあげ、国際社会で重要性を増す。
      マラッカ王国は滅亡
1512年、海上民が多く住むビンタン島に逃れていたサルタンがマラッカを攻撃するが敗退(5回)
1513年、ジョルジョ・アルヴァレスがマラッカに到着
1547年、聖フランシスコ・ザビエルがマラッカの教会で鹿児島出身の日本人アンジローに出会う
1641年、オランダ(VOC)がジョホールのスルタンの援助を得て、マラッカを占領。オランダの
      東南アジアにおける拠点はジャワ島のバタヴィアでだったので、
      マラッカはマレー半島で産する錫などを輸出する地方港に転落
1539/6/5、メンデス・ピントがマラッカに到着
1542年、マラッカからポルトガルの鉄砲が日本に伝来(鉄砲伝来)
1549年、イエズス会のフランシスコ・ザビエルがマラッカを出発して日本に到着
1602、マラッカ付近でポルトガルのカラベル船(Santa Catarina)をオランダ戦艦が攻撃
1786年、イギリス東インド会社がペナン島を獲得
      ペナン島は、プリンス・オブ・ウェールズ島と命名され、ジョージタウンが建設される
1795年 フランス革命後にフランス軍がオランダ本国占領、
      イギリスがマラッカなどのオランダ領東インド各地を占領
1800年、イギリスがケダー王国からペナン島対岸の土地を獲得
      ウェルズリー州(Province Wellesley)と命名
1805年、マラッカが英領インドの第4番目の管区(Presidency)となり、
      ペナン島にイギリス人の知事が派遣され、ベンガル総督の管轄下に置かれる
1818年、ナポレオン戦争(1803-1815)終結でジャワ島がオランダに返還される
1824年、英蘭協約で、イギリスはスマトラ島西海岸にあった英領ベンクーレン植民地と引き換えに
      オランダからマラッカを譲渡される。それまでイギリスとオランダの植民地がマレー半島と
      スマトラの各地に混在して いたが、この協定で両国の植民地の境界がおおまかに ひ
      かれる(マラッカ海峡より西側はオランダ領、東側は英国領)
1826年、イギリスのトーマス・ラッフルズ(Sir Thomas Stamford Raffles、1781-1826)は
      ペナン、マラッカ、シンガポールで英領海峡植民地(1826-1946)を成立させるも、
      近代港シンガポールの台頭が著しく、マラッカの港湾機能は衰退
      (イギリスとシャムがバーニー条約を締結して英領海峡植民地が成立)
1874年、イギリス領マラヤ成立
1896年、英領海峡植民地にココス島クリスマス島が編入される
      イギリス領マラヤ成立
1906年、英領海峡植民地にラブアン島が編入される
1941/12/8、大日本帝国軍がコタバルに上陸、太平洋戦争の勃発
      3年8ヵ月にわたる太平洋戦争下はイギリスに代わり日本軍が占領
1942/2/15、シンガポール陥落で帝国軍シンガポール占領、イギリス極東マレー軍降伏
      大日本帝国軍がマレー全域を占領、マライと改称(〜45年)
1945年、大日本帝国無条件降伏第2次世界大戦終結、イギリスの海峡植民地が復活
1946年、英領海峡植民地が解体される
      ココス島とクリスマス島はシンガポールの管轄下となり、その後、
      ココス島は1955年にオーストラリアに移され、
      クリスマス島は1957年にオーストラリアに移される。サバ州沖合の
      ラブアン島は英領北ボルネオ(後のサバ州)の一部となり、後にマレーシアの一部となる
1947年、マレー連邦がイギリス領植民地の集合体として結成される
1948/1/31、イギリス保護領下のマラヤが、
      マレー半島9州とペナン、マラッカで英保護領マラヤ連邦を結成
1956/2/20、トゥンク・アブドゥル・ラーマン(Tunku Abdul Rahman Putra Al-Haj ibni Almarhum
      Sultan Abdul Hamid Shah、1903−1990)マラヤ連邦首相がマラッカでマラヤ連邦独立宣言
1957/8/31、マレー連邦がイギリスから完全独立
1963年、シンガポール、北ボルネオ(サバ含)、サラワクがマレー連邦と統合してマレーシアが成立
1965/8/9、中国系住民とマレー系住民との紛争が続き、融和不能として
      シンガポールがマレーシア連邦から追放される形で分離独立
1989/4/15、マラッカは「歴史の都市」として市制の承認を受け、それを記念し毎年4月15日はマラッ
      カ州で休日に指定されている。港湾都市として発達を遂げたマレーシア最古の都マラッカ
      は現在、観光都市として年間600万人(2007)以上の国内外からの観光客が訪れている
2008年、マラッカとジョージタウンとの歴史的な街並みがユネスコの世界遺産に登録される

観光地:〜
・オランダ広場 (Dutch Square)
・スタダイス(Stadthuys)
・セント・ポール教会 (St. Paul`s Church) ポルトガル人が建てた教会跡があり、
  日本にも布教に来たフランシスコ・ザビエル像が有。
・サン・チャゴ砦 (Porta de Santiago)
  1511年にオランダとの戦いに備えてポルトガル軍が造った砦。
・セント・ジョーンズ砦
・セント・ピーターズ教会
・ジョンカー通り(Jonker Street)
・マラッカ・スルタン・パレス(Malacca Sultanate Palace)
  スルタンの王宮を復元した木造建築。
  内部はマラッカ文化博物館 (Cultural Museum of Malacca) 。
・マラッカ動物園 (Zoo Melaka) 国内で2番目に大きい動物園、
  54エーカーの敷地に175種以上の動物がいる。

参考HP:〜
マラッカ王国の地図(15世紀の版図)
マラヤ連合の場所地図(マラヤ連邦も同)
海峡植民地の場所地図(赤色が海峡植民地、1922)
マレーシアの場所地図

参考:〜
マレーに在りし国々の略年表:〜
・古代(Early kingdoms)王朝期
  ・チ・トゥ王国(Chi Tu):〜100BC-7世紀
    ケランタン州からパハン州に存在、隋(Sui 581-618)の年代記に登場
  ・ガンッガ・ネガラ・ヒンドゥー教王国(Gangga Negara):〜2AD-11世紀
    ペラ州(Perak)に存在
  ・ランッガスカ・ヒンドゥー教王国(Langkasuka)〜2AD-14世紀
    ケダー州からパタニ州に移動、梁 (南朝:502-557)の記録に登場
  ・パンパン・ヒンドゥー教王国(Pan Pan):〜3AD-世紀
    ケランタン州からトレンガヌ州に存在
  ・シュリーヴィジャヤ・ヒンドゥー教王国(Srivijaya):〜7AD-13世紀
    スマトラ島のマレー系海上交易国家。多くの港市国家を従える交易帝国で、東はスマトラ島
    のパレンバン、西はマレー半島西岸のケダーから北スマトラと、海峡両端に2拠点を有す。
  ・マジャパヒト・ヒンドゥー教王国(Majapahit):〜13世紀-15世紀
    ジャワ島中東部を中心に栄えたインドネシア最後のヒンドゥー教王国
  ・ケダー王国(Kedah Kingdom):〜630-1136
    マレー半島ケダー州
・ムスリム(イスラム教国)勃興期(The rise of Muslim states)
  ・ケダー王国(Kedah Sultanate):〜1136-現在
  ・マラッカ王国(Malacca Sultanate):〜1402-1511
  ・スールー王国(Sulu Sultanate):〜1450-1899
    フィリピン諸島とボルネオ島の間に連なるスールー諸島に存在
  ・ジョホール王国(Johor Sultanate):〜1528-現在
・植民地時代(Colonial era)
  ・ポルトガル・マラッカ(Portuguese Malacca):〜1511-1641
  ・オランダ・マラッカ(Dutch Malacca):〜1641-1824
  ・イギリス・海峡植民地(Straits Settlements):〜1826-1946
・イギリス領マレー期(British Malaya):〜1874-1946
  ・マラヤ連邦(Federated Malay States):〜1895-1946
  ・連邦外マレー(Unfederated Malay States):〜1909-46
    ・サラワク王国(ブルーク王国:Kingdom of Sarawak):〜1841-1946
    ・イギリス保護領北ボルネオ(North Borneo):〜1882-1963
  ・大日本帝国占領期(Japanese occupation):〜1941-1945
・マレーシアの推移期(Malaysia in transition)
  ・マラヤ連合(Malayan Union):〜1946-1948
  ・マラヤ連邦(Federation of Malaya):〜1948-1963
  ・マレーシア独立(Independence):〜1957
  ・マレーシア(連邦立憲君主制国家:Federation of Malaysia):〜1963-現在。

参考HP:〜
チ・トゥ王国の場所地図
ペラ州の場所地図(ガンッガ・ネガラ・ヒンドゥー王国の在りし所)
パンパン王国の場所地図
シュリーヴィジャヤ王国の場所地図(勢力圏)
マジャパヒト王国の場所地図(勢力圏)
ケダー王国の場所地図(マレー半島の交易路)
ケダー州の場所地図
マラヤ連合の場所地図(マラヤ連邦も同)
古代の海上交易の航路地図(マレー半島横断路も有)
シルクロードの地図(1)紀元1世紀頃
シルクロードの地図(2)
シルクロードの地図(3)

▼マラッカ王国時代の貿易〜
マラッカは他国から輸入した商品を別の国に輸出していました。輸出品目中の国土内産物は、従属国から納入された金や貴族からの貢納と、ペラなどのマレー半島西海岸で産出された錫(スズ)がインド、タイ、ビルマ方面に輸出されました。

主要輸出品:〜
・明・琉球〜
  胡椒、クローブ、ナツメグ、香、象牙、錫、竜脳(ボルネオショウノウ)、蘆薈(ろかい=アロエ)、
  プショ(薬種となるカシミール産の木の根)、数珠玉、蘇木(スオウ:赤色の染料)、毛織物など
・ブルネイ〜
  インド産の衣類、中国製の真鍮の腕輪、
  カンバヤ(インド北西部グジャラート地方の港市都市)から輸入されたガラス玉と数珠玉など
・バンダ諸島〜インド方面で生産された織物など
・チモール島〜白い織物など

主要輸入品:〜
・アユタヤ・中国・アラビア・ペルシア〜
  奴隷、白檀、香辛料(胡椒、ナツメグ、メース)、
  金属類(辰砂(水銀の原石)、水銀)、竜脳、プショ、子安貝(装身具用)など
・ペグー・中国〜
  金、金属類(水銀、銅、辰砂、錫)、香辛料(胡椒、ナツメグ、メース)、真珠母貝など
・ジャワ島・カンバヤ〜織物など
・モルッカ諸島・カンバヤ〜織物など

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。       12/4/29。2017/2/26

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