冒険航海
★ポルトガル トリスタン・ダ・クーニャ船長
1506
トリスタン・ダ・クーニャ島を発見
大航海物語★


Tristan da Cunha
トリスタン・ダ・クーニャ船長


トリスタン・ダ・クーニャ島発見500年記念
トリスタンダクーニャ  2006 発行

PORTUGAL
16世紀ポルトガル・カラベル船

ポルトガル 1943 発行
Tristan da Cunha
18世紀大英帝国トリスタン・ダ・クーニャ派遣艦隊
旗艦 ”トリスタン・ダ・クーニャ”号

トリスタンダクーニャ 1965/2/17 発行

Tristan da Cunha
諸島の地図
ヘラルド岬とファルマス湾の地図
ファルマス湾と入植・定住地
Javan Keulen,1700年の地図
トリスタンダクーニャ 1981/5/22 発行
Herald Point、Falmouth Bay、Settlement地図、Denham船長・1853年の地図
トリスタンダクーニャ 1981/5/22 発行


トリスタン・ダ・クーニャ船長 (1460〜1540)
 Tristao da Cunha (or Tristao d'Acunha)

トリスタン・ダ・クーニャ船長はポルトガルで生まれた15世紀ごろのポルトガルの船乗りで探検航海者で、1504年にポルトガル領インドの最初の副王(viceroy)に任命(nominate)されましたが、一時の盲目で勤められませんでした。

1506年には15隻の船隊でインド対岸の東アフリカ海岸への遠征作戦を指揮しました。インドへ向かうアルブケルケ将軍(Afonso de Albuquerque)の戦列艦隊に追随すべく出帆しましたが、急な国王の命令でホルムズ(Ormuz、Strait of Hormuz)攻撃の隠密航海となりました。その途中で嵐で南アフリカから2816Km西方へと流され、南大西洋上に有る島々を発見して、後年にその島は彼の功績を称えてトリスタン・ダ・クーニャ諸島と名付けられました。

その後、マダガスカル(Madagascar)に上陸し、引き続きモザンビーク(Mozambique)に寄航しました。アラブ勢力と激しく戦って、ソコトラ島(Socotra)を征服し、インドに到着してからも色々な作戦に勝利してポルトガル王のために活躍しました。

ポルトガルに帰国してからはルネサンス期のローマ教皇:レオ10世(Pope Leo X、1475-1521、在位:1513-1521)の大使(ambassador)になり、その後はポルトガル王国の枢密院(privy council)議員になりました。彼はインド副王にはなりませんでしたが、息子のヌーノ・ダ・クーニャ(Nuno da Cunha)は第9代インド副王(1528〜1538)になりました。

参考:〜
PEAPLE'S DEMOCRATIC REPUBLIC OF YEMEN
赤色の所:イェーメン→
イカリ印はアデン港→

アフリカ大陸東端→
←ペルシャ湾
ホルムズ海峡
←オマーン湾

←アラビア半島

ソコトラ島
イェ−メン人民民主共和国 1971-77 発行
ソコトラ島
  (Socotra Island)
ソコトラ島はアラビア半島の南300km、アフリカ大陸の東端アシル岬の東北東240kmに浮かぶ、イエメン領内のインド洋上の島。広さは東西に約100km、南北に約40km。もっとも大きな街は北岸沿いにあるハディヴ。島のすぐ西側はアラビア半島とアフリカのソマリア半島に挟まれたアデン湾です。古代からアラブ人、インド人、ギリシャ人などの商船の寄港地として栄えました。現在は多くのヤギが島内のほぼ全域で放牧されており、イエメン本土のあるアラビア半島とは異なった生態系を形成。

こちらで
ホルムズ海峡
  (Strait of Hormuz)
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。       08/7/28
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