Japan

国連 1982 発行
切手で綴る世界遺産シリーズ (日本 No.9
琉球王国
1429
2000
創建
世界遺産登録


大航海物語
 世界遺産編

日本 NIPPON
世界遺産、琉球王国
・玉陵(石獅子) ・園日屋武御岳石門
・今帰仁城跡(城壁) ・座喜味城跡(城壁) 琉球風俗画帳 (シート地)
・勝連城跡(城壁) ・中城城跡(二の郭)
・首里城跡歓会門 ・首里城正殿
・識名園(六角堂) ・斎場御嶽(三庫裏)
日本 2002/12/20 発行

琉球王国
  Ryukyu Kingdom
、1429〜1879
 住所:日本国の沖縄県
 世界遺産:ユネスコの文化遺産(2000/12/20)
 (UNESCO World Heritage Site, Type:Cultural)
 正式名称:琉球王国のグスク及び関連遺産群
 英:Gusuku Sites and Related Properties of the Kingdom of Ryukyu
 仏:Sites Gusuku et biens associes du royaume des Ryukyu
琉球王国とは、今から約570年前(1429)に成立し、約120年前(1879)までの間、約450年間にわたり、日本の南西諸島に存在した王制の国のことです。

北は奄美諸島から南は八重山列島までの琉球諸島には、約3万2千年前から人類が住んでいました。琉球諸島には、先史時代を経て、日本の鎌倉時
首里城

日本 2013 発行
代に当たる12世紀頃から一定の政治的勢力が現れはじめ、各地に「按司(あじ)」とよばれる豪族が現れ、彼らが互いに抗争と和解を繰り返しながら次第に整理・淘汰されました。やがて、北は奄美諸島から南は八重山列島までの琉球諸島には、約3万2千年前から人類が住んでいました。琉球諸島には、先史時代を経て、日本の鎌倉時代に当たる12世紀頃から一定の政治的勢力が現れはじめ、各地に「按司(あじ)」とよばれる豪族が現れ、彼らが互いに抗争と和解を繰り返しながら次第に整理・淘汰されました。やがて、1429年に尚巴志(しょうはし)が主要な按司を統括し、特にその年に第一尚氏王統(1406-1469)の尚巴志王(しょう はしおう、1372-在位 1422-1439)の三山(さんざん、中山王国:1314-1429、山北王国:14世紀初め-1416、山南王国:14世紀初め-1429 )統一によって琉球王国が成立しました。その後、琉球では独自の国家的な一体化が進み、中国をはじめ日本、朝鮮、東南アジア諸国との外交・貿易を通して海洋王国へと発展しました。首里城はその海洋王国の政治・経済・文化の中心でした。

最盛期には奄美群島と沖縄諸島及び先島諸島までを統治。この範囲の島々の総称として、琉球列島(琉球弧)ともいいます。勢力圏は小さな離島の集合で、総人口17万に満たない小さな王国なるも、隣接する大国明・清の海禁や日本の鎖国政策の間にあって、東シナ海の地の利を生かした中継貿易で大きな役割を果たしました。その交易範囲は東南アジアまで広がり、特にマラッカ王国との深い結び付きがありました。 外交的に貿易上の理由から、明及びその領土を継承した清の冊封を受けていました。

1609年に日本の薩摩藩が3,000人の軍勢で琉球に侵攻して首里城を占拠しました。それ以後270年間にわたり琉球王国の表向きは、中国の支配下にありながら、内実は薩摩と徳川幕府の従属国であるという微妙な国際関係のや中で存続していました。がて日本の明治維新により成立した日本政府は、1879年(明治12)軍隊を派遣して首里城から国王の尚泰(しょうたい)を追放し、沖縄県の設置を宣言し、琉球王国は滅亡しました。

・琉球の略史:〜
 メ モ
1372 中山王察度(ちゅうざんおうさっと)、初めて明に使者を送る
尚巴志王が誕生
1393 尚巴志王が伊覇城の伊覇按司の推挙で父の後を継ぎ南山の佐敷按司となる
1406 尚思紹(尚巴志の父)が中山王(ちゅうざんおう)になる
中山王の武寧を攻撃して察度王統を滅亡させ
首都を浦添から首里(現:那覇市)に遷し
父・尚思紹を中山王に即位させる
1416 北山国を討伐し、次男尚忠を北山監守として北部の抑えとする
1421 尚思紹王が薨去し、翌年に中山王に即位
1427 龍潭(りゅうたん)を掘り、庭園を整備した
1429 尚巴志が南山王(他魯毎)を滅ぼして三山を統一し
第一尚氏王統による琉球王国最初の統一王朝が成立(琉球王国の創建
1453 「志魯(しろ)・布里(ふり)の乱」が起こり首里城全焼
1458 万国津梁(ばんこくしんりょう)の鐘を正殿に掛ける
1469 伊是名島の農夫の金丸(かなまる)がクーデターで新王朝を開く(第二尚氏王統
1470 尚円(しょうえん)王位につく。瑞泉門を創建
1477 〜1526、歓会門(かんかいもん)、久慶門(きゅうけいもん)を創建
1494 円覚寺(えんかくじ)を創建
1501 玉陵(たまうどぅん)築造
1502 円鑑池(えんかんち)、弁財天堂(べざいてんどう)創建
1508 正殿に青石の石「高欄(こうらん)、大龍柱(だいりゅうちゅう)」を設置
この頃北殿(ほくでん)創建
1519 園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)を創建
1527 〜1555、この頃龍樋(りゅうひ)、首里門(しゅりもん)(守礼門)を創建
1546 首里城東南の城壁を二重にし、継世門(けいせいもん)を築く
1609 薩摩藩が3,000人の軍勢で琉球に侵攻して首里城を占拠(島津の琉球侵入)
1621 〜1627、南殿(なんでん)創建
1660 首里城焼失
1672 首里城再建
1682 龍頭棟飾(りゅうとうむなかざり)を焼き正殿、屋根に置く
1709 首里城焼失
1712 首里城再建、1715年に完了
1729 正殿の玉座を中央に移し、唐玻豊(からはふ)と改名
1753 寝廟殿(しんびょうでん)、世添御殿(よそえうどぅん)を創建
1768 正殿の大修理
1799 識名園(しきなえん)が造営
1853 ペリー提督来琉、首里城訪問
1872 琉球藩設置
1879 首里城の明け渡し、琉球王国が崩壊、沖縄県誕生
1925 首里城正殿、国宝に指定
1928 国宝に指定された首里城正殿の昭和の大改修始まる
1933 歓会門(かんかいもん)、瑞泉門(ずいせんもん)、白銀門(はくぎんもん)
守礼門(しゅれいもん)、国宝に指定
1945 4/1、米軍が沖縄本島に上陸した日琉球列島米国軍政府が設立される
沖縄戦で首里城が焼失
1957 園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)を復元
1958 守礼門、復元
1968 円覚寺総門、弁財天堂(べんざいてんどう)復元
1972 沖縄県の日本々土復帰
1974 歓会門、復元竣工
1977 玉陵(たまうどぅん)、復元竣工
1984 久慶門(きゅうけいもん)、復元竣工
1989 首里城正殿、復元工事に着手
南殿・番所(ばんどころ)、北殿、奉神門(ほうしんもん)等の復元工事も着手
1992 首里城公園の一部が開園
2000 北殿にて「九州・沖縄サミット」社交夕食会開催
首里城跡、園比屋武御嶽石門、玉陵が世界遺産へ登録
2003 京の内 一般公開
2007 書院・鎖之間(さすのま)、一般公開
2008 書院・鎖之間庭園、一般公開
2009 書院・鎖之間庭園、国の名勝に指定
2010 淑順門(しゅくじゅんもん) 一般公開
2014 黄金御殿(くがにうどぅん)・寄満(ゆいんち)・近習詰所、奥書院、一般公開。

※ 令和元年 (2019/10/30深夜)、首里城で火災
※ ・首里城正殿
※ ・首里城北殿
※ などが全焼し、なお延焼中 (@_@。※※※※
※2019/10/31、正殿・北殿など7棟が消失。

参考HP:〜
琉球:三山の区分地図 (日本語)
琉球王国と関連遺産群の場所地図 (日本語:世界遺産)
日本の世界遺産分布地図 (日本語)
玉陵(たまうどぅん)

国宝シリーズ第2集 建築物

こちらで世界遺産の
日本の世界遺産シリーズ
ヌビア遺跡エジプト
パルテノン神殿ギリシャ
ピラミッド (エジプト)
タージ・マハール (インド)
をお楽しみください。

国宝シリーズ第2集 建築物(2)

日本 2021/6/13 発行

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。   2018/10/24、令和元年 2019/10/31
スタンプ・メイツ
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