スペイン人大航海者
★スペイン ウルダネータ船長(修道士)
1565
太平洋(マニラ〜アカプルコ)航路の発見
大航海物語★


COOK ISLANDS
サン・ペドロ号 と ウルダネータ

クック諸島 1975/6/30 発行
ESPANA
新大陸からスペインへお宝を運んだ
スパニッシュ・ガレオン船
Spanish Galeon


スペインから新大陸へは人と物資を輸送
スペイン 1964/7/16 発行
MEXICO





ィリピンのマニラ
メキシコ 〜 フィリピン
16世紀の太平洋航路地図

メキシコのアカプルコ
1564 フィリピン航路400年記念 1964
メキシコ 1964 発行

FILIPINAS
レガスピとウルダネータの銅像
幼児を洗礼するウルダネータ神父
原住民
ウルダネータ・ルート(航路)        .
ウルダネ|タ神父

ィリピン
スペイン

1565 フィリピンのキリスト教化400年記念 1965
フィリッピン 1965/10/4 発行

<ウルダネータ・ルート>
マニラ・ガレオン船の航海地図
マニラ・ガレオン船 上が太平洋のウルダネータ航路

マニラ→


←アカプルコ


ガレオン船の日 2010 記念(Dia del Galeon)
フィリピン 2010/10/8 発行

ウルダネータは1525〜1526の間はロアイサ探検遠征航海に同行してフィリピンへ行きました。1559年からはレガスピと共にフィリピンへ行き、1565年の帰路は太平洋を横断してメキシコのアカプルコへ行きました。その航路は”ウルダネータ・ルート”として19世紀までの約300年間にわたるスペインのお宝輸送船・ガレオン船隊の独壇場として利用されました。
アンドレ・ド・ウルダネータ (1498〜1568/6/3)
 Andres de Urdaneta
ウルダネータはスペイン・バスク地方(Basque province)のヴィラフランカ(Villafranca)で生まれました。彼はスペインの聖アウグスチノ修道会の修道士、船長、探検家でした。彼はラテン語と哲学を学びました。そしてイタリア戦争(Italian Wars 1494-1559)の時は船長として従軍しました。スペインに帰国してからは海外で影響を受けた数学と天文学を学びました。

1525年にはロアイサ(Garcia Jofre de Loaisa)からの誘いでモルッカ諸島(香料諸島)への遠征隊に同行し、1526年まで行を共にしました。ロアイサ探検隊の水先案内人(Pilot)はフアン・セバスチャン・エルカノで、ロアイサ、エルカノ、その他大勢(2/3)が太平洋を渡る間に亡くなりましたが、ウルダネータと24人だけが生きて香料諸島に上陸しました。だが、ポルトガル人はすでに東インドの香料諸島に来ていて、捕らえられました。11年後にヨーロッパに戻りましたが、ヌエバ・エスパーニャ(New Spain、Nueva Espana、現メキシコ)を通過した航海の話をして、ポルトガル政府に告訴され、ポルトガルのリスボン港に連行されました。その後、スペインに行きましたが、スペイン国王カール5世(1500〜1558)はあまり良い顔をしませんでした。また数多くの冒険で疲労してたこともあり、メキシコ・シティで聖アウグスチノ修道会の修道士に戻りました。

1559年にスペイン国王フェリペ2世の命令でフィリピン諸島の征服と植民地化のための遠征航海に、1564/11/21にミゲル・ロペス・ド・レガスピのガレオン船”サン・パブロ号”(San Pablo)はスペインのサン・ファン(SanJuan)港から、ウルダネータのガレオン船”サン・ペドロ号”(San Pedro)はサン・ルーカス港から、それぞれフィリピンへと出帆しました。ウルダネータは着いてから1565年までフィリピンにとどまりました。しばらくしてから、レガスピは残留を決意し、ウルダネータの出発を見送りました。

ウルダネータは帰路の良いルートの発見とヌエバ・エスパニアからの援助を求めるために、1565/6/1セブ島を出帆しました。そして北緯36度付近で好都合な風に乗ることができました。途中で14人の乗組員が亡くなりました。ウルダネータとサルセド(Felipe de Salcedo)とレガスピの甥の3人だけがまともで、1565/10/8にメキシコのアカプルコ港に投錨することが出来ました。ウルダネータはメキシコからスペイン本国へ帰国して、この遠征航海の報告書を書きました。ウルダネータはヌエバ・エスパーニャへ戻ってからフィリピンへ行こうとしていましたが、友人の忠告で思いとどまりました。彼が書いた2通の報告書の内、ロアイサ探検隊の遠征航海記は発行されましたが、もう一つのフィリピンからの帰路の航海の報告書は原稿のままに終わりました。

彼が発見した太平洋横断の航路は、1565/6/1にフィリピン・セブ島のサン・ミゲル港を出帆し、12000マイル(20000km)を130日の航海で、1565/10/8にメキシコのアカプルコ港に着き、ウルダネータ・ルート(航路)として知られるようになりました。よってウルダネータは太平洋航路の発見者として歴史に名を残しました。このマニラ〜アカプルコ航路は19世紀まで利用され、太平洋はスペインの独断場になりました。

ウルダネータ神父は1568年メキシコ・シティで70才で亡くなりました。

参考:〜「ウルダネータと数名はなんとか1528年にスペインまで戻ることができ、史上2番目の世界周航達成者となった」という説も有。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。        2006/8/20    08/12/15追記
スタンプ・メイツ
Copyright(C):Spice
無断転載禁止