France

国連 1980 発行
 切手で綴る フランス
フランス王と王族
French Royalty Portraits


ブルボン朝 (Bourbon dynasty, 1589-1792)
大航海物語
 フランス編

REPUBLIQUE DU TCHAD
フランス王室の肖像画
18世紀で最も有名なフランスの女性画家
ル・ブラン夫人などの作品




@
ルイ
16
Cポンパド

|
ル夫人


A
マリ
|

アントワネ

ト妃


D
ルイ
15
B
ルイ
17
Eマリ
|

レクザンスカ妃

F



バリ
|

Hルイ
15
Gモンテスパン夫人 Iマントノン夫人
Vigee Lebrun, etc Paintings)

Aマリ-・アントワネット妃   @ルイ16世 Cポンパドゥール夫人 Hルイ15世
※13(Charpentier) ※14(Michel van Loo) ※15(MQ de La Tour) ※16(MQ de La Tour)

Jフランソワ1世 Kヴァリエール夫人 Lルイ14世
11 ※12(Titien) ※17(Lely-Ecole Anglaise) ※18(Ec. Francaise)

Mドートリッシュ妃

※19
Lルイ14世 ※20

ブルボン家↑紋章   
Nオルレアン公フィリップ1世

※21
(Portraits of French Royalty)
チャド 1971 発行

REPUBLIQUE FRANCAISE
Lルイ14世
アンリ4世とナントの勅令 1598
フランス 1970 発行 フランス 1969 発行

Jフランソワ1世

フランス 1967 発行
Lルイ14世

フランス 1970 発行
Qルイ18世

フランス 1965 発行
Rオルレアン公シャルル1世

フランス 1965 発行

AJIMAN STATE
Oルイ13世
Pシャルル10世
アジマン 1972 発行

Aルイ16世王妃マリー・アントワネット妃
(Marie Antoinette, 在位 1774/5/10-1792/9/21)ギロチン処刑, 34才没
マリー・アントワネット王妃の物語はこちら
Cルイ15世公妾(側室1745-1750)ポンパドゥール夫人(Madame de Pompadour) 42才没
ポンパドゥール夫人の物語はこちら

Eルイ15世妃マリー・レクザンスカ王妃(Queen Marie Leszczynska, 在位 1725-1768)65才没
マリー・レクザンスカ王妃の物語はこちら

Fルイ15世公妾(側室 1769-1774)デュ・バリー夫人(Madame du Barry)ギロチン処刑 49才没
デュ・バリー夫人の物語はこちら
Gルイ14世公妾(側室1666-1679)モンテスパン夫人(Madame de Montespan) 66才没
モンテスパン夫人の物語はこちら

I太陽王ルイ14世妻(側室1684-1715)マントノン夫人(Madame de Maintenon) 84才没
マントノン夫人の物語はこちら

Kルイ14世公妾(側室1661-1666)ヴァリエール夫人(Madame de Valliere) 65才没
ヴァリエール夫人の物語はこちら
Mルイ13世王妃(1615-1666)アンヌ・ドートリッシュ王妃(Anne d'Autriche, 1601-1666)
アンヌ・ドートリッシュ王妃の物語はこちら
・マザラン枢機卿はこちら
・ルイ14世の王妃マリー・ドートリッシュ妃はこちら
<画家名>
(1)ル・ブラン夫人(Madame Le Brun)
エリザベート・ルイーズ・ヴィジェ・ル・ブラン(Elisabeth Vigee Le Brun、1755-1842)
フランスの画家で、18世紀で最も有名な女性画家。生涯に肖像画660枚と風景画200枚を残し
イギリスのロンドン国立美術館 ナショナル・ギャラリー(National Gallery)などに蔵。
作品:※:マリ-・アントワネッ ト王妃、7:デ ュ・バリ-夫人。

(2)ジョゼフ・デュプレシ(Joseph-Siffred Duplessis, 1725-1802)
肖像画で有名なフランスの画家
作品※1:ルイ16世。

(3)ジョゼフ=マリー・ヴィアン(Joseph-Marie Vien 、1716-1809)
フランスの「新古典主義」の画家
作品※3:ルイ17世。

(4)イアサント・リゴー(Hyacinthe Rigaud, 1659-1743)フランスの画家
作品※11:オレアン公フィリップ1世、20:ルイ14世。

(5)ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(Titien:Tiziano Vecellio, c1488-1576)
1488年頃ヴェネツィア共和国(Republic of Venice, 697-1797)ピエベディカドーレ(Pieve di Cadore, Venice)生、1576/8/27にヴェネツィア没。ヴェネツィア派のイタリア人画家兼彫刻家。
作品※12:オルレアン公フィリップ1世。

(6)ピーター・レリー郷(Lely-Ecole Anglaise:Sir Peter Lely、1618-1680)
17世紀に活動した画家、イングランドの主席宮廷画家
作品※17:ヴァリエール夫人(英国美術学校(English School of Art)蔵)。

(7)ピエール・ポール・ルーベンス(Pierre Paul Rubens, ?)
作品※14:アンヌ・ドートリッシュ王妃。

(8)シャルパンティエ(Charpentier, ?)
18世紀のフランスの画家。詳細は不明
作品※13:若きマリー・アントワネット妃。

(9)ルイ=ミシェル・ヴァン・ロー(Louis-Michel van Loo、1707-1771)
18世紀フランスの画家
作品※5:ルイ15世、14:若きルイ16世。

(10)モーリス・カンタン・デ・ラ・トゥール(Maurice Quentin de La Tour, 1704-1788)
フランスのロココ期の画家、パステルを使った肖像画家として有名
国王はじめ宮廷人、知識人などを描き、ポンパドゥール侯爵夫人の肖像は代表作のひとつ
作品※4:ポンパドゥール夫人, 9:ルイ15世, 15:ポンパドゥール夫人, 16:ルイ15世。

(11)18世紀フランスの学校、王立絵画彫刻アカデミー(の所蔵品か?)
 (Ecole francaise du XVIIIe siecle)
作品※21:オルレアン公フィリップ1世。

(12)ピエール・ミニャール(Pierre Mignard、1612-1695)
17世紀フランスの画家、装飾画、肖像画
作品※10:マントノン夫人,(マザラン枢機卿)

(13)アンリ・ガスカール(Henri Gascar, 1635-1701)フランスの画家
アンリ・ガスカールは、チャールズ2世の治世中にイギリスで芸術的な成功を収めたフランス生まれの肖像画家。パリに戻る前に、王の愛人の何人かを含む多くの主要な女性を法廷で描き、ローマに移って没
作品※8:モンテスパン夫人。

(14)ジャン=マルク・ナティエ(Jean-Marc Nattier, 1685-1766)
フランスの画家、ルイ15世時代のフランスで肖像画家として一世を風靡
作品※6:マリ-・レクザンスカ王妃。

(15)コルネイユ・デ・リヨン(Corneille de Lyon, 1575/11/8/没、葬礼日)
コルネイユ・デ・リヨンはコルネイユ・ド・ラ・エイは16世紀初めの生まれオランダの画家。
後にフランスに帰化してアンリ2世とシャルル9世の宮廷画家。
※作品:12:フランソワ1世。


<王国の終焉>
1848年のフランス二月革命(Revolution francaise de 1848)でルイ・フィリップ1世が1848/2/24に退位してイギリスに亡命。同日パリでは共和主義者と社会主義者によって組織された臨時政府で共和政が宣言され、第二共和政が成立。亡命先のイギリスではヴィクトリア女王からイングランド南東サリー州クレアモントの居館をあてがわれ、同地で客死。こうして7月王政は終わり、オルレアン朝(1830-1848)は1代で終了。7月王政を打倒した2月革命は諸国民の春としてヨーロッパ諸国に波及し、ウィーン体制の崩壊を招き、900年余り続いたユーグ・カペーに始まるカペー朝とその支流によるフランスの王制は、ここにその幕を閉じました。
ブルボン家の紋章

フランス 1944 発行
<仏国王の女性遍歴>(側室 期間)
ルイ13世:〜(ホモセクシュアルか?)
アンヌ・ドートリッシュ王妃(1615-1666)

太陽王ルイ14世:〜
・マリー・マンチーニ(初恋相手、1650以降-1660)プラトニック説有
 (Anna Maria Mancini, 1639-1715)マザラン枢機卿の姪
・マリー・テレーズ・ドートリッシュ王妃(1660-1683)
 (Marie Therese d'Autriche, 1638-1683/7/30)
・アンリエット・ダングルテール妃、弟オルレアン公の妃(1661)
 (Henrietta Anne Stuart, 1644-1670/6/30)
  清教徒革命で処刑されたイングランド王チャールズ1世王女、チャールズ2世王の妹
ヴァリエール夫人、ダングルテール妃の侍女(17才1661-1666)
・オリンピア・マンチーニ、ソワソン伯爵夫人、マザラン枢機卿の姪(1663頃)
モンテスパン夫人、モンテスパン侯爵夫人(1666-1679)
・マリー・デ・フォンタンジュ嬢、称号:フォンタンジュ女公爵(18才1679-1680)
 (Marie Angelique de Scorailles de Roussille, 1661-1681/6/28)モンテスパン夫人毒殺説有
マントノン夫人、マントノン侯爵夫人(49才、側室1684-1715)
  王妃没後1684/6月結婚(王46才)
等々、異説有。

参考:〜
・マザリネット(Mazarinettes)マザラン枢機卿の7人の姪たち(ルイ14世の宮廷)
 マンシーニ姉妹(Mancini sisters)
 ・長女ラウラ・マンシーニ(Laura Mancini, 1636-1657)
   ヴァンドーム公爵夫人ラウラ・マンシーニ(別名Victoire)
   1651年ヴァンドーム公爵ルイ2世(LouisII de Bourbon, duc de Vendome, 1612-1669)結婚
 ・次女オリンピア・マンシーニ(Olympia Mancini, 1638-1708)ルイ14世の愛妾
   ソワソン伯爵夫人オリンピア・マンシーニ(Olympia Mancini, Countess de Soissons)
   1657年ソワソン伯爵ウジェーヌ・モーリス(Eugene Maurice de Savoie, 1635-1673)と結婚
   オリンピア・マンシーニは1679年にラ・ヴォワザンに依頼してヴァリエール夫人を毒殺しよう
   としたと告発された後、38才没の夫やスペイン王カルロス2世(Carlos II, 1661-1700)王妃
   マリー・ドルレアン(Marie Louise d'Orleans, 1662-1689, 26才没)を毒殺したと疑われ、
   1680/1/23に宮廷を去るよう命じらて潔白を主張しながらブリュッセルへ移住するも、夫との
   五男でオーストリアの将軍になった幼名ウジェーヌ(オイゲン・フォン・ザヴォイエン:
   Eugen Franz von Savoyen-Carignan, 1663-1736)の実父はルイ14世だとの説有。
 ・三女マリー・マンシーニ(Marie Mancini, 1639-1715)ルイ14世の初恋相手
   パリアーノ公爵夫人マリー・マンシーニ(Marie Mancini, 1639-1715)
   1661年パリアーノ公爵ロレンツォ・オノフリオ(Lorenzo Onofrio Colonna, 1637-1689)と結婚
 ・四女オルタンス・マンシーニ(Hortense Mancini, 1646-1699)
   マザラン公爵夫人オルタンス・マンシーニ(Hortense Mancini, Duchess de Mazarin)1661結婚
   マザラン公爵アルマン=シャルル(Armand-Charles de La Porte de La Meilleraye, 1632-1713)
 ・五女マリー・アンナ・マンシーニ(Maria Anna Mancini, 1649-1714)
   ブイヨン公夫人マリー・アンナ・マンシーニ(Maria Anna Mancini, Duchess de Bouillon)1662
   ブイヨン公ゴドフロワ・モーリス(Godefroy Maurice de La Tour d'Auvergne, 1636-1721)結婚
 マルティノッツィ姉妹(Martinozzi sisters)
 ・アンナ・マルティノッツィ(Anne Marie Martinozzi, 1637-1672)
   コンティ公爵夫人アンナ・マルティノッツィ(Anne Marie Martinozzi, princesse de Conti)
  1654年コンティ公爵アルマン(Armand de Bourbon-Conti, prince de Conti、1629-1666)と結婚
 ・ラウラ・マルティノッツィ(Laura Martinozzi, 1639-1687)
   モデナ公爵夫人ラウラ・マルティノッツィ(Laura Martinozzi, Duchess of Modena)
  1658モデナ公爵アルフォンソ4世デステ(Alfonso IV d'Este, Duc de Modene, 1634-1662)結婚
・等々、異説有。。

ルイ15世:〜
  正妃1人の他に公妾5人・愛妾10人・子供は24人
・マリアナ・ビクトリア(3才)、11才のルイ15世婚約者でスペイン王女(7才解消)
マリー・レグザンスカ王妃(在位 1725-1768)
   ルイ15世(15才)正妃ポーランド王女(21才)子11人
・ネール侯爵家姉妹
 ・長女ルイズ・ジュリー(マイイ伯爵夫人(1733〜1735-1740頃)
   ルイ15世と同い年で慎ましやかな女性。
 ・次女ポーリーヌ・フェリシテ(ヴァンティミール侯爵夫人(1738−1741)
   2才年下で、国王の子を出産後没
 ・五女マリー・アンヌ、シャトールー侯爵夫人(1741頃-1744)
   7才年下で、姉妹中で最も成功
ポンパドゥール夫人(1745-1750)
   本名は『ジャンヌ=アントワネット・ポワソン』でルイ15世より11才年下
   1745/2月に仮面舞踏会でルイ15世と出会い、5月に公妾に
   貴族ではなくブルジョワ階級だったため人々には不評だった
   身体を壊したため1750年に公妾ではなくなったものの、ルイ15世の相談役として権勢を振るった
デュ・バリー夫人(1769-1774)
   本名は「マリ=ジャンヌ・ベキュ」でルイ15世より33才年下
   私生児として生まれたが金融家と再婚した母に引き取られ
   その継父に気に入られてまともな教育を受けさせてもらえた
   その後素行不良を繰り返し、1760年お針子として洋装店で働き始め
   デビュ・バリー子爵に見初められて愛人になる
   1769年にルイ15世に紹介され、正式に公妾になる
   出自の低さから王太子妃マリー・アントワネットに嫌われ、対立
   1774年に天然痘で倒れたルイ15世の看病をしているも
   修道院へ入るよう命令が出され、宮廷から追い出された。
・等々、異説有。

参考HP:〜
フランスの地図
モン・サン・ミシェルとその湾の場所地図 (世界遺産)
フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路の場所地図 (世界遺産)

こちらで
フランス
フランス革命
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マリー・アントワネット王妃
・自由フランス軍チャドからライン河へ進撃
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パルテノン神殿ギリシャ
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をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。   令和 R.4/5/6(2022)
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