Nami bia No.20

国連 1997 発行

エトーシャ塩湖
Etosha Salt Lake
大航海物語
  地図編




















SIERRA LEONE
ナミビアのエトーシャ塩湖
フラミンゴとエトーシャ塩湖の場所地図

エトーシャ塩湖の場所地図





エトーシャ塩湖→



シエラレオネ 2016 発行

SWA
エトーシャ塩湖の有るナミブ砂漠

南西アフリカ 1977 発行

エトーシャ塩湖の動物

















シェラレオネ発行アフリカの国立公園シリーズ
シエラレオネ 2016 発行

エトーシャ塩湖
  Etosha Pan
、 (Etosha Salt Lake)
  所在地:ナミビアのオシコト州エトーシャ国立公園
     (Etosha pan, Etosha National Park, Oshikoto Region, Namibia)
  別名:エトーシャ内陸湿地 (Etosha Endorheic Basin)
エトーシャ塩湖はナミビア北部のナミブ砂漠にある塩湖。大きさは東西120km、南北60km、面積約4,800kuでアフリカ最大の塩湖。流れ出る川のない塩湖で、塩湖とその周辺はエトーシャ国立公園になっています。湖の南側に広がるモパニ(Mopane)の林には象が生息。モパネ(モパニ)の木はアフリカ中南部では広く見られ、その木に住み着くパニ(Pani)という蛾の幼虫は現地人の重要なタンパク源です。エトーシャ塩湖には、ヨーロッパ人としてはアンダーソン博士ガルトン卿が1851年に初めて探検しました。
ナミビアの地図

国連 1979 発行
かつては、クネネ河(Cunene River, 1,050km)が水源であったと考えられているも、地殻変動でクネネ河の流れが変わり、エトーシャ塩湖に流れ込まなくなって湖は徐々に干上がりました。現在は北東からエクマ川(Ekuma River, 250km)が流れ込むも、水量は少なくほぼ1年中干上がっています。ただし、雨期の数ヵ月間は約10cmの深さの水が張り、藻が繁殖して何千羽ものフラミンゴが飛来します。なお、エトーシャ国立公園の地は、1907/3/22に当時のドイツ領南西アフリカのリンデケスト総督が猟獣保護区(game reserve:(休猟区)鳥獣保護区)に指定しました。

参考:〜
・チャールズ・ジョン・アンダーソン博士
  (Dr. Charles John Andersson、1827/3/4-1867/7/9)
チャールズ・アンダーソン博士はスウェーデン生まれの冒険家、狩猟家、アマチュア博物学者。ナミビアなど南部アフリカの旅行記などを残しました。

・フランシス・ガルトン卿
  (Sir Francis Galton、1822/2/16-1911/1/17)
ナミブ砂漠

南西アフリカ 1977 発行
フランシス・ガルトン卿はイギリスの人類学者、統計学者、探検家、初期の遺伝学者で、優生学と近代統計学の父と呼ばれています。母方の祖父は医者・博物学者のエラズマス・ダーウィン(Erasmus Darwin, 1731-1802)で、進化論で知られるチャールズ・ダーウィンは従兄です。その祖父のエラズマスは1791年に、ロマン主義文学とリンネの植物学を融合させた長大な物語詩「植物の園」(The Botanic Garden)を発表しました。ゴルトン卿は1853年に、アフリカ南部内陸探険の成果に対し、ロンドン王立地理学会から金メダル(創立者メダル)を授与され、1909年には英国王エドワード7世からナイト(Knightt:騎士:(Sir)爵位)に叙されました。

・フリードリヒ・フォン・リンデケスト総督
 (Governor Friedrich von Lindequist、1862/9/15-1945/6/25)
 (ドイツ領南西アフリカ総督、在勤:1905/11-1907/5/20)
ドイツのメクレンブルク=フォアポンメルン州リューゲン島ヴォステヴィッツ(Wostevitz, Rugen Island)生れ、ブランデンブルク州エーベルスヴァルデ近郷マッカースルスト(Macherslust near Eberswalde) 没のリンデケスト総督は、ドイツ領南西アフリカ(German South West Africa, 1884-1919)の総督を務めて、在職期間中にドイツ入植者に中央アジア原産羊の品種で、生後間もない子羊の毛皮がアストラカンと呼ばれる漆黒の高級毛皮の獲れるカラクール羊(Karakul sheep)の飼育を奨励しました。カラクール羊は現在も飼育されています。また、1907/3/22に現在のエトーシャ国立公園を猟獣保護区(Game Reserve)に指定しました。そして、
フラミンゴ (Flamingo)

サハラ 1967 発行
1907年から1910年にかけて国務次官としてドイツ帝国植民地省(Imperial Colonial Office)に務めました。この間、「ドイツ領東アフリカ(German East Africa, 1885-1918:現モザンビーグ)の高地への定住拡大の実現可能性を研究するための委員会」を組織。1910年と1911年に国務長官(Secretary of State)を務めました。また、ナチス第三帝国時代(Third Reich, 1933-1945)にも高官職に就いていました。

・モパネワーム
  (Mopane Worm) 、別名:パニ(Pani)
モパネワーは南部アフリカに分布する学名 "Gonimbrasia belina" で知られるヤママユガ科のガ(蛾)の幼虫。南部アフリカではきわめてポピュラーなタンパク源としての食材です。名称については、標準和名が定まっていないので、モパニ虫、モパニワーム、モパニガなどとも表記されます。また英語ではヤママユガ科を ”Emperor moth” と総称するので、そこから本種を「皇帝蛾」などと直訳することもあります。モパネワームのモパネはこの幼虫が通常マメ科のモパネの木(Colophospermum mopane)に見られるからで、現地での通名はパニ(Pani)。また現地の様々な言語間でも異なっています。学名では ”Gonimbrasia belina” ではなく ”Imbrasia belina” の表記が用いられることがあります。分布については、南部アフリカのボツワナ南アフリカ共和国ザンビア、ジンバブエ、ナミビアに分布しています。モパネワームはモパネの木に対する嗜好性が強いも、基本的に広食性で、モパネの木に限らず他の多くの木も食樹とします。中には他種があまり食樹としないウルシ科のマンゴーまで含まれます。それゆえモパネワームはもっぱらモパネの木の分布に縛られることなく、かなり広大な地域に渡って分布しています。
@とモパネワーム

ナミビア 1997 発行
害虫としては、モパネワームは一時的とはいえモパネの林を枝だけにしてしまいます。時には、木全体の葉の90%を食べ尽すこともあります。モパネの木の葉は、モパネワームの食樹として以上に、この地域で飼育される家畜の重要な飼料ともなっています。従って牧畜業者の中には、モパネワームを害虫とみなし、殺虫剤を使用して根絶を試みる日知もいます。

<ナミビアの樹木シリーズ>
@シロアカシア
A羊飼いの木
Bムニンガ
C偽モパネ
ナミビア 1997/10/9 発行
@ 和名:シロアカシア
英名:Ana Tree
学名:Faidherbia albida(ファイドヘルビア ・アルビダ)
Fruit Tree - Faidherbia Albida / Ana Tree(1.0)
A 和名:羊飼いの木
英名:Shepherd's tree
学名:Boscia albitrunca(ボスキア・アルビトルンカ)
Fruit Tree - Boscia Albitrunca / Shepherd's Tree(1.1)
B 和名:ムニンガ
英名:Muninga
学名:Pterocarpus angolensis(プテロカルパス・アンゴレンシス)
Fruit Tree - Pterocarpus Angolensis / Kiaat(1.5)
C 和名:偽モパネ
英名:False Mopane
学名:Guibourtia coleosperma(ギブルティア・コレオスペルマ)
Fruit Tree - Guiburtia Coleosperma / False Mopane(?)。

・参考HP:〜
 ナミビアの地図 (北部に”Etosha Pan”有)
 ナミビアの鉄道地図
 オタヴィ鉱山鉄道会社の鉄道地図
 ウォルビスベイ付近の地図

こちらで
マガディカディ塩湖 (ボツワナ)
ウユニ塩湖 (ボリビア)
ウォルビス・ベイ (ナミビア)
グラディエーター・インセクト (ナミビア)
ボツアナの鉄道
スパイス (香辛料)
世界遺産の
トウェイフルフォンテーン岩絵 (ナミビア)
サン(ツォディロ)の岩絵 (ボツワナ、砂漠のルーヴル)
ラスコー洞窟の岩絵 (フランス)
ヌビア遺跡 (エジプト)
パルテノン神殿 (ギリシャ)
法隆寺 (日本)
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。        2019/8/28
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