Zambia

国連 1986 発行
 切手で綴るアフリカ大陸一周航海シリーズ No.40
ザンビア共和国
Republic of Zambia

大航海物語
  地図編

ZAMBIA
ザンビアの場所地図





ザンビア
International Yer for African Tourism
アフリカ国際観光年記念
ザンビア 1969 発行

タバコの栽培畑
ピーナッツの収穫
ヴィクトリア滝と観光橋
ザンベジ河源流・リヴィングストン記念碑
カサバ湾リゾート地の象
犀の親子
フィッシュ・イーグル
ザンビア 1975/1/3 発行

ザンビア地図上の国立公園配置図

野生生物保護年
Conservation Year 1972

ザンビア 1972 発行

海へ直結の鉄道建設

ザンビア 1976 発行

ザンビア共和国
 Republic of Zambia

   旧名:イギリス保護領 北ローデシア(Northern Rhodesia, 1924-1964)
面積:752.61千ku(日本の約2倍)、人口:1,192万人(2007)、人口増加率:1.9%(2007)、首都:ルサカ(人口約140万人)、海抜:1,227m、民族:73部族(トンガ系、ニャンジァ系、ベンバ系、ルンダ系)、言語:英語(公用語)、ベンバ語、ニャンジァ語、トンガ語、宗教:8割近くはキリスト教、その他、イスラム教、ヒンドゥー教、伝統宗教、GDP:約688億ドル(2017)、1番切手:1964/10/24発行。

世界的な銅の産地(カッパーベルト)で、日本の10円硬貨にもこのザンビアから輸入した銅が含まれている。他にも鉛、亜鉛などを産出する。小規模ながら繊維工業などもある。しかしながら、主力の銅生産は生産設備の老朽化や投資環境の未整備、銅価格の下落などにより不振が続いており、銅のモノカルチャーに近かったザンビア経済は長期低迷を続けている。

・ザンビアの略史:〜
1798、ポルトガルが進出
1889、イギリスが南アフリカ会社の設立により統治権を確立
1924、イギリスが直轄植民地化
1964、独立(旧宗主国英国)、カウンダ大統領就任
     自治政府の首相ケネス・カウンダと統一民族独立党 (UNIP) により、イギリスから独立
     なお、当時はローデシアとして東京オリンピックに参加していたが、閉会式にあたる日に
     ザンビアとして独立したため、開会式と閉会式とで異なる国名となるという一幕があった
     現在は複数政党制民主主義運動 (MMD) のルピア・バンダが大統領代行を務めている
1973、第二共和制(一党制施行)
1990、第三共和制(複数政党制移行)
1991、チルバ大統領就任(第2代大統領)
1996、チルバ大統領再選
2002、ムワナワサ大統領就任(第3代大統領)
2006、ムワナワサ大統領再任
2008、バンダ大統領就任(第4代大統領)
2011、東部の東部州々都チパタ〜マラウィのムチンジ間に鉄道が開通
2015、中央州セレンジェ(Serenje)に延伸し、タンザン鉄道との接続を提案。

・ザンビアは10州(Province)と86地区(District)で構成されている。
No. (Province) 州都 (Capital) 地区
1 中央州 Central カブウェ Kabwe 11
2 東部州 Eastern チパタ Chipata 9
3 ルアプラ Luapula マンサ Mansa 11
4 ルサカ Lusaka ルサカ Lusaka 8 首都、標高約1,300m
5 北部州 Northern カサマ Kasama 9 州都の標高約1,400m
6 北西州 North-Western ソルウェジ Solwezi 9
7 南部州 Southern チョマ Choma 13
8 西部州 Western モング Mongu 16
9 カッパーベルト Copperbelt ンドラ Ndola 10
10 ムチンガ州 Muchinga チンサリ Chinsali 7 州設置2011年

・中央州カブウェは、
 旧名はブロークン・ヒル(Broken Hill、1967年まで)。首都ルサカから130km北でザンビアのほぼ中央に有。カピリ・ムポシから60km南に離れている。大鉱山を擁する鉱業都市で、亜鉛と鉛をはじめ、銀、マンガン、カドミウム、チタンなども産出。カブウェにはザンビア鉄道の本部が有って、北のキトウェやカッパーベルト州、南のルサカに向かう路線をここで管理している。

・中央州カピリ・ムポシ(Kapiri Mposhi)は、
 ザンビア中部の都市で、標高1250mの高原上に有。鉄道交通の要衝で、北のキトウェと南のルサカやリヴィングストンを結ぶザンビア鉄道が通っている。1976年にここからタンザニアダルエスサラームまでを結ぶタンザン鉄道が開通し、市内のニュー・カピリ・ムポシ駅が始発駅となっている。

・東部州チパタは、
 マラウィとの国境で、ンゴニ族の中心地。大東部道路(Great East Road)が130km東のマラウイの首都リロングウェと、550km西のルサカを結び、南リロングワ国立公園(South Luangwa
ニュー・カピリ・ムポシ駅

タンザニア 2006 発行
National Park)の観光拠点で、チパタ空港が有。
2011年にはマラウィのムチンジとの間に鉄道が開通。

・ルアプラ州マンサは、
 イギリス統治の間はフォートローズベリー(Fort Rosebery)と呼ばれ、街の名は地元のチーフマンサ川(Chief Mansa)と、西に流れるルアプラ川に流れ込む小さなマンサ川(Mansa River)に由来している。なお、州名はルアプラ川(Luapula River, 560km)に因んでいる。

・ルサカ州ルサカは
 ザンビアの首都で、1905年に村の首長ルサカ(Lusaka)に因んで、ヨーロッパからの移住者が命名。国の中央にあったため、1935年にそれまでの首都リヴィングストンに代わってイギリス植民地の北ローデシア(Northern Rhodesia)の首都となる。1964年に独立して、ザンビアの首都になる。ザンビア最大の都市で、2016年の人口は233万200人、標高1300mに有。

・北部州カサマは、
 標高約1,400mの中央アフリカ南部の高原に有、1970年代と1980年代のタンザン鉄道の開通で大幅に成長。ムピカからムバラへのグレートノースロードや、北東部のカヤンビ、北西部イソカ、西部ムポロコソ、ルアプラ州に到達した道路網の中心に有って、北部州における銀行、市場、サービス、空港などの商業中心地。

・北西州ソルウェジ は、
 標高1,235mの高原上に有。主要産業は銅鉱石の採掘及び精錬で、10km北にあるカンサンシ鉱山とルムワナ鉱山の二つが有って、それぞれカナダのファースト・クォンタム・ミネラルズ社とエキノックス・ミネラルズ社が経営。カンサンシ鉱山では銅鉱の中から金も産出。この2つの鉱山は、19世紀末から操業を続行。市内から約5kmのキフブワ川(Kifubwa River)の横に石器時代の遺跡(Kifubwa Rock Stream Shelter)が有。

・南部州チョマは、
 海抜1,400mの高地に有。2011年までの州都はリヴィングストン市(Livingstone)で、ジンバブエとの国境地帯に世界遺産ヴィクトリアの滝が有。州中央部の南部高原は、国内最大の農業地域。

・南部州カリバ湖は世界最大の人造湖
  ジンバブエとの国境地帯に世界最大のダム湖を持つカリバダム(Kariba Dam)による水力発電で、国内の電力が支えられている。

・西部州モングは、
 首都ルサカから西に580kmで、この地域に古くから続くロジ王国の王(リトゥンガと呼ばれる)が今もモング周辺に住み、ロジ人たちの中心都市となっている。リトゥンガが低地のレアルイにある乾季の王宮から高地のリムルンガへと舟で移動する「クオンボカ」という祭りはザンビア有数の祭りとして知られ、この時期大勢の観光客がモングへと押し寄せる。モングは籠やカーペットの生産で知られ、また近郊では米やマンゴーなどの生産も盛ん。

・カッパーベルト州ンドラは、
 ザンビア中部で標高約1,270mの高地に有。首都ルサカ、キトウェに次いで3番目に人口が多く、同国の「銅の産地」(Copper Belt)であるカッパーベルト(銅産地帯)州の工業・商業・行政・流通の中核都市。コンゴ民主共和国との国境に近く、10kmの距離に有。ンドラとキトウェを結ぶ道路で、ンドラから10kmほど行った所に、コンゴ動乱中の1961/9/18に飛行機事故でこの地に墜落して亡くなった、ダグ・ハマーショルド国連事務総長を悼む記念碑が有。

<ザンビアの世界遺産>1件
ヴィクトリアの滝〜(1989) 自然遺産
  (Victoria Falls)、現地語:モシ・オ・トゥニャ(Mosi-oa-Tunya)
  ジンバブエ共和国とザンビア共和国の国境にある滝。

・<ザンビアの鉄道>
1925年にイギリスの植民地北ローデシア領内(現ザンビア)から、銅鉱石が発見されてから、当時はイギリス領だった南ローデシア(現:ジンバブエ)の鉄道を経由して南アフリカの港湾から輸出されていました。ところが、1965年に南ローデシアが一方的に独立を宣言して、当時の南アフリカ共和国と同様のアパルトヘイト政策を実行すると国際連合は経済封鎖を実行して南ローデシアとの通商を閉ざしてしまい、ザンビア銅鉱石の輸出が殆ど不可能になり、ローデシアを経由せずタンザニアのダルエスサラームから輸出することを目的とした鉄道建設を企図しました。1976に中国の援助でタンザン鉄道が完成して、ザンビアの
タンザン鉄道の建設

ザンビア 1976 発行
銅鉱石の輸出ができるようになりました。詳しくはザンビアの鉄道を参照。

参考HP:〜
ザンビアの地図 (ザンビア国内の鉄道網も有、拡大(PDF)可)
タンザニア鉄道の地図 (ザンビアの鉄道区間も有)

・ローワー・ザンベジ国立公園
  Lower Zambeji National Park

首都ルサカの東方にあって、4輪駆動車でチルンドを経て180〜230kmを走破して行く、ジンバブエと国境を接する国立公園。ザンベジ河の眺めが良く、周辺にゾウ、カバ、バッファロー、ウォーターバックなどが、多数の鳥に囲まれて生息している。ライオンやヒョウもたくさんおり、ザンビアの国鳥で国旗や紙幣にも用いられていて、羽を広げると2メートルにもなり、魚を食べる鳥”フィッシュ・イーグル”(Fish Eagle)の生息地としても知られており、バード・ウォッチングに最適の所。
フィッシュ・イーグル

・カランボ滝
 (Kalambo Falls)
カランボ滝は、ザンビアとタンザニアの国境にある滝で、タンガニーカ湖南端に有。
落差はヴィクトリアの滝の2倍の235mで、アフリカ第2位.。
第1位は南アフリカのトゥゲラ滝 (Tugela Falls、948m)。
世界ではベネズエラのエンジェルの滝に次ぐ第2位。

・カリバ湖
 (Lake Kariba)
カリバ湖は南部アフリカのザンベジ河(2,574km)中流に造られた人造湖で、ザンビアとジンバブエの2ヵ国にまたがる湖。ザンベジ河のおよそ中間で、インド洋に注ぐ河口から約1,300km上った所に有。カリバ湖は、1958年から1963年にかけて完成した湖の北東端にあるカリバダム(Kriba Dam)でせき止められました。カリバ湖ができて、カリバ峡谷がせき止められた他、上流に住んでいた多数のトンガ族が移住を余儀なくされました。カリバ湖は、北東から南西方向に細長く伸びていて、長さ220kmあまり、幅40kmあまり。湛水面積は5,580平方キロメートル、貯水量は185立方キロメートルで、体積では世界最大、面積でも世界で4番目に大きな人造湖。湖には、チェテ島やセクラ島などいくつかの島が有。なお、小惑星(1676)のカリバは、カリバ湖にちなんで命名。

・カフエ
 (Kafue, Lusaka Province, Zambia)
カフエはザンビアのルサカ州の町で、 カフエ河(Kafue River, 1,600km)の北岸に有。

カッパーベルト
 (Copper Belt)
銅産地帯のカッパーベルトは、アフリカ大陸南部・ザンビア中部のカッパーベルト州からコンゴ民主共和国南部の上カタンガ州にかけて広がる銅山地帯の呼称。その名の通り銅の世界的産地。銅鉱床は始生界の古海岸線沿いに堆積した銅鉱物からなる。鉱床規模はポーフィリーカッパー鉱床(Porphyry copper deposit:斑岩銅鉱床)に匹敵する2,000万屯級の埋蔵量ではあるも、両国の政治経済的混乱で世界の銅生産におけるカッパーベルトの占有率は減り続けていました。2009年現在、コンゴ民主国の許可がおり、いくつかの鉱山が再開予定であり、銅価の回復もあって生産割合は増えると考えられています。また、銅生産の副産物であるコバルトも重要な産出品となっており、2005年時点で世界生産量の約50%を生産。キツウェ(Kitwe)、ンドラ(Ndola)、ルブンバシ(Lubumbashi)などが地域内の代表的な都市です。
赤銅鉱

南西アフリカ 1989 発行
赤銅鉱(Cuprite:CuO:等軸晶)は鉱物の一種。金属に似た光沢またはダイヤモンド光沢のある紅〜赤みがかった茶色の銅酸化鉱物で、組成は酸化銅(Cu2O)、等軸晶系、モース硬度3.5〜4。半導体性を持って、銅含有率が高く産出量が多いため、銅の原料として非常に重要です。美しい赤色をしたものや透明度の高いものは宝石として扱われるも、硬度が低く傷つきやすいため装飾品などには使用できず、専ら観賞用です。ナミビア(旧南西アフリカ)のツメブ銅鉱山やコンゴ民主共和国の鉱山からは宝石として使われる正八面体の結晶が採掘され、ツメブ鉱山は様々な高品質の鉱物を産出することで有名です。

・バングウェウル湖
 (Lake Bangweulu)
バングウェル湖はザンビア北東部にあるコンゴ川水系の大きく浅い湖で、湖へはチャンベシ川(Chambeshi River, 480km)が北東から流入し、バングウェウル湖南部からルアプラ川へ流れ出しムウェル湖(Lake Mweru)に注いでいる。周りは、年に一度氾濫するチャンベシ川が過度な植生によって水を抑えられて出来る広大なバングウェウル湿地帯に、何百キロメートルも囲まれている。湖の中にはいくつかの人が住んでいる島があり、南西の岸辺にある サンフヤ町(Samfya)から島へ渡る船が出ている。湖では漁業が行われ、ワニがいることで知られている。バングウェウルは「水が空に出会う場所」を意味する。宣教師で、ヨーロッパ人で初めてアフリカ大陸を横断した探検家のデイヴィッド・リヴィングストンが、1873年にバングウェウル湖南岸にあるチタンポ村(Chitambo village)でマラリアの複合症にて病没。
バングウェウル湖

ローデシアニャッサランド1951発行

参考:〜
ダグ・ヒャルマル・アニェ・カール・ハマーショルド国連事務総長
 Dag Hjalmar Agne Carl Hammarskjold
 (1905/729〜1961/9/18)
ハマーショルド国連事務総長は、スウェーデンの外交官から、第2代国連事務総長(任期1953/4〜 1961/9)に選出され、新たな国連の活動としてPKOを軌道に乗せるなどで活躍。1955年には国連非加盟国である中華人民共和国に赴き、朝鮮戦争に従軍し中国共産党政府の捕虜となった15人のアメリカ人パイロットの釈放交渉に成功。在任中で特に顕著な功績を挙げたのはスエズ戦争で、1956年に48時間以内というタイムリミットの中で、国連緊急軍(United Nations Emergency Force : 現在のPKF、PKO)を組織し事態を収めた。その他にもハンガリー動乱、イラクの軍事クーデターの解決に尽力しました。
ハマーショルド国連事務総長
アフリカとコンゴの地図


コンゴ共和国 1962/1/20 発行
1961/9/17夜にコンゴ動乱の停戦調停に赴く途上で、搭乗機のダグラスDC-6Bが北ローデシア(現在のザンビア)のエンドーラ (Ndola) で墜落。事故死した。 現職の国連事務総長の事故死というニュースに加え、操縦士が警護上の理由から事前にフライトプランを提出していなかったこと、コンゴ動乱への介入をソ連から「反ソビエト的」だと非難され辞任を求められていた上、現在のように機内にブラックボックスが搭載されておらず、事故に至るまでのいきさつが記録に残されていなかったことなどから、撃墜説や暗殺説が信憑性をもって広まったが、後の調査では事故機に被弾や爆発の痕跡は発見されなかった。 同機の経由地、北ローデシアのエンドーラは海抜1270m、最終目的地コンゴのエンドーロ (Ndolo) は海抜279mで、この名称がよく似た二つの空港を操縦士が混同した結果、エンドーラ空港への着陸進入中高度が低くなりすぎたことが事故原因と結論されている。

参考HP:〜
 ザンビアの場所地図
 ザンビアの地図
 ザンビアの州の地図
 ヴィクトリア滝の場所地図(世界遺産)
 在日ザンビア大使館の公式HP

こちらで
タンザニア鉄道
アンゴラ鉄道
モザンピーク鉄道
スパイス (香辛料)
ヌビア遺跡エジプト)世界遺産
パルテノン神殿ギリシャ)世界遺産
法隆寺 (日本)世界遺産
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。   09/7/28、2019/2/15
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