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(V)07/09/13(木)〜19(水) ”おのぼりさん”東京見物
「東京の夜は涼しかった!」
  という、東京見物に行ってきたメル友へのメールから。

神戸での天気予報では雨でしたが、日頃の行いが良かったのか行ってみると連日の晴天に恵まれ、せっかくの雨支度は無用の長物になりました。ところが今夏はラニーニャ現象とかでカンカン日照りになり、おかげで日焼けして真っ黒です。初日は神戸の家を朝の7時に出て、東京の目白には午前10時に着きました。切手博物館は10:30の開館だったんで、目白駅前の学習院大学の写真を撮りました。全行程6泊7日で吉祥寺に宿泊しました。すぐ近くに高村防衛大臣の家があって、一人用のポリBoxに警官が2人で警備していましたよ。東京では3日間は東京案内をしてくれた人がいて大助かりでした。写真は全部で473枚も撮影できましたんで、整理出来しだい、次々と贈りますから楽しみにしといてください!       東京では心地よい疲れで良く眠れたニッキィーより

 ・目白界隈から、高田馬場へ。

目白の切手博物館
池袋の古代オリエント博物館
堀辺安兵衛仇討ち記念碑
夏目坂
日本の点字切手



「リハビリテーション」と刻印
日本点字図書館
イタリアの点字切手

ブライユ・システム
9/13(水)はJR高田馬場駅を通ったので途中下車して、”日本点字図書館”に寄ってきました。アポナシでしたが、見学を許可して下さって、館内を、B1〜3Fと案内してもらいましたんですよ。10万冊の点字図書を所蔵してあり、B1の書庫から取り出すのは、人力なので「まるでロッククライミングだ!」と苦労話を してくれました。カセット・テープでの貸し出しが主力で、毎月、万を越える貸し出しが あるそうです。そして、それに対応する朗読・録音ボランティアの活動も活発に行われて いるそうで、録音用の個室がならんでいました。朗読ボランティアのテストに合格するのは、25人に一人だとか、難しいんですね〜え! 関西弁ではダメのようでしたよ。

上の写真はそこの外観なんですが、壁面の”クサリ”は「滝」を表していて、「滝を流れる水のように情報を視覚障害者に流そう」との意思表示なのだそうです。頂いたパンフによると、社会福祉法人「日本点字図書館」は北海道出身の全盲の青年「本間和夫」氏(平成15年没)が昭和15年に創立したのだそうで、全国の視覚障害者を対象に、点字・録音図書や雑誌の製作と無料貸し出し、中途視覚障害者のための点字教室・パソコン教室などの事業をしているんです。建物は5,6年前に国が建設してくれたそうですが、運営は民間なので、やりくりが大変だと案内のご夫人が話してくれました。また、中途視覚障害者のための点字教室前のロビーにはガイドヘルパーの待合兼休憩所があって、数人のガイドヘルパーさんが点字教室の終了を待っていました。
       障害者への支援活動が活発に行われていることを実感したニッキィーより
・2008/3/6のNHK−TVが日本点字図書館の理事長さんが「NHK放送文化勲章」を受賞されたと報じていました。
参考HP=〜
・公式HP=高田馬場の日本点字図書館、目白の切手博物館、目白の学習院大学
       池袋の古代オリエント博物館、池袋東口の交番
・その他 =高田馬場の高田馬場の決闘高田馬場と夏目坂、早稲田の夏目坂


 ・市ヶ谷界隈、日本のペンタゴン(防衛省)から、靖国神社へ。

日本のペンタゴン「防衛省」
靖国の大鳥居
靖国神社「拝殿」
「大村益次郎」銅像
切手の「靖国の大鳥居」
靖国神社にあった大日本帝国陸軍上等兵の「遺言状」高札
東京見物の第2日目は吉祥寺を午前8時に出発。 JR中央線に乗り入れている”総武線”に乗って、新宿で山手線に乗り換えて「市ヶ谷」で下車、”日本のペンタゴン”へと向かいました。 駅から一歩外へ出ると、そこには川があって、どちらへ行ったら良いものか、まるで分かりませんでした。地図を頼りに橋を渡って植え込みの縁の横の塀に添って、しばらく歩くと写真ような交差点に出ました、これぞ”日本のペンタゴン”だと信号を渡って、写真撮影をしました。「防衛省」の門の前で大勢いた門番の一人の警備員に聞くと、見学は前もっての予約制だとのことなので中に入るのは諦めました。

次は、「靖国通り」の表示板に従って、靖国神社へと歩きましたが、一向に神社に着きませんでした。 そこで、引き返して橋を渡って「市ヶ谷駅」から、靖国神社のほうへと向かいました。その橋の横の川の中に「釣堀」があって、朝早いのに釣り人が居るのが見えました。東京はなかなか商魂が逞しい と感心しました。街の真ん中の「釣り堀」とは、粋なもんですね。釣りがした〜い! 暫く歩いてから、お目当ての「靖国神社」に到着。そこは南門でした。 門をくぐると直ぐに、「遺言状」が有りました。その写真を撮ってから、拝殿に行こうと、ふと見ると注意書きの立て看板があって、写真はダメのようだったんで、横の脇の方からパチリとやりました。歩き疲れていたんで、各連隊からの奉納の「桜」の林の所のベンチに座って休憩しました。すると コザッパリした服を着た50才がらみの男が、「暑いですね!」と言って、横に座ったのです。 なんでも去年、交通事故で奥さんと子供3人を亡くしたとかで、自分も運転席の下から 出火して、足に大やけどをおったとて、ズボンをめくって傷跡を出しました。そして、バイクに乗っていた人を死なせたんで、交通刑務所に入っていたが、「5日前に出所した時に、看守長様から、大事にしなさいよ、と渡された現金3万5千円が所持金の全てでした。それでビジネスホテルに泊まっていました。もう、金が無くなり何も食ってない ので腹の皮が背中につきそうです」、とのたまわったんです。私は直ぐ横の「遊就館」に行くので、 「お大事に」と言って別れたら、後ろで「バカヤロー!」と吼える声が聞こえていました。やはり、「東京には同情話をして、タカル奴がいるんだな〜ぁ!」と感心したもんです。

自動販売機で800円也で切符を買って「遊就館」に入ってみると、 @大日本帝国海軍の海中特攻兵器”人間魚雷”「回天」の実物が展示してありました。置いてあった資料によると、”人間魚雷”「回天」は海軍の黒木大尉の発案・命名で、S19/8/1に海軍に正式採用されて、S19/11/20にオーストラリア方面のウルシー環礁で、停泊中の大型タンカーの”ミシシネワ号”を撃沈する戦果をあげ、「回天」搭乗員1,375人の内、戦没者は106人となっていました。 A大日本帝国陸軍の”海上特攻爆雷艇”の実物模型が展示してありました。フィリピンのルソン島リンガエン湾に米軍が上陸した時に、初使用されたようで、かなりの戦果もあげたそういてすが、その後は米軍の警戒が厳重で攻撃破壊されたようです。 B大日本帝国陸軍の「中戦車」の実物が展示してありました。よく話しに聞いていた”ブリキの戦車”ではなく、鉄板はかなり分厚く、どうどうとしていました。千島列島の戦いのうち、最北端の「占守(しゅむしゅ)島」では、日本敗戦の3日後にソ連が攻めてきた時に、島にいた缶詰工場の若い女子工員400人を、ソ連軍の乱暴から守るため、小型の船を20隻かき集めて乗船させ、ソ連軍機の爆撃の中を、北海道へ無事逃がしたんだそうです。その島には今もこの「中戦車」の残骸が野ざらしで残っているそうで、その写真が展示してありました。 Cインパール作戦については、置いてあった資料によると、インド独立のための戦いであったとなっていました。何万という人を無駄死させた作戦だったんを、うまいこと礼賛していると思いました。なお、大東亜戦争のうち、太平洋戦争については、このサイト内の”戦争と平和「太平洋戦争”を参照してください。
       日本が二度と戦争をしないように祈っているニッキィーより
参考HP=〜
・公式HP=市ヶ谷の「防衛省」、朝雲ニュース、九段の「靖国神社
・その他 =市ヶ谷の「旧参謀本部、靖国の大村益次郎


・日本のホワイトハウス(首相官邸)から、「桜田門の変」へ。

国会議事堂
日本のホワイトハウス「首相官邸」
警視庁
桜田門からのビル群
切手の「国会議事堂」
桜田門
桜田門からのビル群
皇居「二重橋」
上杉家「上屋敷」跡
三井ビル前の「かるがも」池
皇居前の「楠木正成」銅像
切手の「二重橋・伏見櫓」
皇居正面玄関の「石橋」
神戸の 「楠木正成」銅像
靖国神社で最期に大村益次郎の銅像を写真撮影してから昼飯をと、信号を渡った所にあったファミレス風なラーメン屋に入って、冷たい物をと思って、思わず「レーメン!」と言ったら、カウンター向こうの姉ちゃんが「うん!」とうなずいてくれたんで、通じたんだと何だか感動しました。地図で見ると、そこから国会議事堂までは歩いても行けそうでしたが、駅を探して永田町まで地下鉄「東京メトロ」に乗車しました。

駅を出ると、「議事堂は何処か?」 警官があちらこちらに見えたんで聞いてみたら、裏手でした。ぐるっと半周して議事堂の正面へたどりついたんです。敷地がけっこう広かったんです。議事堂は皇居に対して正面を向いているんで東向きとなり、午後からでは逆光で写真撮影には不向きでしたが、撮影に挑戦したのが上の写真なのです。シャッターを切ってくれた学生風の3人連れの娘っ子に、「ありがとう! 神戸から、来たんだよ。」と話したら、ケラケラと笑っていました。 俺は、やっぱり”おのぼりさん”なんだな〜ぁ! と感慨もひとしおでした。

その写真の反対側から、日本のホワイトハウスへ行ってみようと歩き出したら、結局の ところ議事堂を一周することになり、かなり疲れ気味となりました。信号待ちをしていたTVカメラを持った青年に訊ねると、なんと目の前の塀の建物が首相官邸でした。想像していたのとは大違いの高塀に囲まれた建物で、なんの味わいも無かったんは残念でしたが、一応写真は撮影しておきました。

次いで、かの有名な「桜田門外の変」の記念碑を探して、桜田門へと移動したんですが、 記念碑は見つからりませんでしたが、TVサスペンス・トラマによく出てくる「警視庁」は、直ぐに分かったのです。絶好の撮影スポットをゲットしましたよ。その隣の国土交通省の敷地の一角に、なんと上杉家の上屋敷跡の記念碑があったんでパチリと撮影しました。 桜田門はなかなかに大きな立派な門だったんで、ベンチでお休み中のおじ様にシャッターを頼むと、快く撮ってくれました。その前に男子高校生が短距離練習をしていたんに頼んで撮ってもらい、「ありがとう!神戸から来たんやで!」と、話してやったら、ビックリしていました。

暫く歩いてから、やっとの思いで、皇居の”二重橋”前に着いたら、中国人の団体さんで一杯でした。ロシア人らしき白人の一団もいました。楠公さんの銅像のある所に観光バスが駐車していました。道灌堀らしき記念碑の所でデジカメのバッテリーが切れたんと、薄暮になってきたので、今日の観光は止めることにしました。地図で見ると北の丸公園と皇居東御苑 には入れそうでしたが、余りにも遠く、そして広かったんで、次回の楽しみに残してきました。
       「おのぼりさん」とは、なかなかにイイもんだと実感したニッキィーより
参考HP=〜
・公式HP=衆議院参議院首相官邸警視庁宮内庁
・その他 =国会案内皇居二重橋皇居・桜田門桜田門外の変


 ・お茶の水界隈から、上野へ。
   「神田の古本屋街でお宝本をゲット!

東京駅
「平将門」の首塚
大手門
地下鉄ホームの安全板
切手の「東京駅」
神田明神の山門
日本最初の地下鉄ホーム
1927年「上野〜浅草」間で開業
神田神保町の古本屋さん
神田明神「銭形平次」記念碑
湯島聖堂の孔子像 湯島天神
皇居を二重橋から遥拝してきた東京見物の次の3日目の朝は、まずは「平将門の首塚」に行こうと朝8時に出発。土曜なのに電車は混んではいましたが超満員でも無く座れました。出掛けに何処かで乗り換えるようにと言われていたように思いますが、今では直通で行けたような記憶があります。東京では色んな電車の路線が各駅に乗り入れていたんで、改札から出たのかどうかが定かではないこともありました。昨日、貸してもらった「スイカ」というカードは、 とても便利だったんで、000円をチャージしました。これだといちいち切符を買う手間が省けて大助かりでした。後で履歴をプリントしてみると、一日1500円位使用していました。

吉祥寺から地下鉄の大手町駅まではスイスイと行けましたが、改札を出てからはそうはゆきませんでした。地下の連絡通路がとても複雑で、まずホームの地図案内板で目的地の「三井物産ビルは何処か?」と確かめると、確か”M15”番出口となっていたと思います。そこに行き着いてから、ビルの警備員に聞いてから、将門塚に行けました。そこから地図では近い 大手門へと歩いて行って見たら、けっこう遠かったんです。そこから帰りに、さっき出てきた同じ地下鉄の入り口が分からなくなって、うろうろしていたら、例のTVでお馴染みの”かるがも池”が目に付いたんで、写真を撮りました。意外と狭い池でした。ここから皇居の濠へと移動するのは大変だろうと思いましたよ。

地下鉄の駅のホームに入った途端に目に付いたんが、上の写真の安全版なのです。ホームから転落しないようにしてあったんで、感心して写真に撮っておきました。行く時のホームには無かったんで、同じ大手町でも別の駅に来ていたんでしょうね。東京駅の八重洲出口で下車して、はとバスのパンフを貰いに行こうと思ったんですが、まず、 駅の改札出口が不明でした。「何処が改札出口やら、通路やら?」となってしまいました。駅員を探し回って、聞きまくってヤット外へ出られました。はとバス観光では、自分の行きたい所へは行けない事が分かったんで、駅に引き返しながら、うろうろして例の古風な赤レンガ造りの東京駅の写真を撮りました。

神田の古本屋街に行こうと思ったんですが、最寄り駅が判然としなかったんで、いい加減に ”御茶の水”駅で下車して、宅配便の兄ちゃんに聞いたら、「15分ぐらい歩いた所です」と教えてくれたんで、テクテク歩いていたら、古本屋が目に付いたんで、さっそく飛び 込んで直ぐに聞くと、有りましたよ。お宝が! それは、中公新書の「コロンブス」 なんです。神戸であれほど探し回ったのに無かったんが、最初の店に有ったんです。さすがは東京の神田だと、大感激。足取りも軽く、次の神田明神下の「銭形平次の所」へと向かって歩いたんです。「銭形平次の所」は神田明神の本殿の横に「野村胡堂の原作」という立て看板があって、そのいわれが書いてありました。観光用に特別の記念碑が作ってありました。

そこから、神田明神〜銭形平次〜湯島聖堂〜湯島天神〜上野、へと歩いて行きました。
       神田の古本屋街で”お宝本”をゲットしたニッキィーより
参考HP=〜
・公式HP=東京駅JRおでかけネットJR東日本東京地下鉄メトロ(安心への取り組み)
       神田明神湯島聖堂湯島天神
・その他 =「平将門」の首塚皇居・大手門神田神保町の古本屋街野村胡堂「銭形平次」記念碑


 ・上野公園から、お山の「西郷どん」、博物館へ。

不忍池 不忍池の弁天島 上野の大仏(パゴダ) 上野戦争「彰義隊」記念碑
「西郷どん」銅像 東京国立博物館 国立博物館の「ガンダーラ美術」
クジラと国立科学博物館
上野公園から上野駅への道端での大道芸

湯島天神から、上野へと歩いて行くと、わりと直ぐに”不忍池”に着きました。その池は「ハス池」で、夏の真っ盛りで「今を盛り」と蓮の葉が大きく茂っていました。この池の続きのボート乗り場で例の「死体」が見つかったんで、その情報提供の立て看板が方々にありました。

昼食時間も過ぎたんで何か食べようと、池の周辺の屋台風のテラスに座って聞くと、 もう冷たい物は売り切れでした。しかたなく「焼きソバ」を頼んで、お冷は幾らでもあったんで、立て続けに3杯もよばれました。冷たくて、美味かったですよ! 待っている間に地図を調べて 「西郷どん」の銅像の場所を探しました。なかなか分からなかったんですが、それもその筈、そこから、石の階段を登った上の方にありました。「ああ、しんど!」だったんです。それでも、珍しいので池の真ん中に有る”弁財天”の島のお堂へも行ってみました。

さあ、西郷どんにも会えたんで、いよいよ国立博物館を探しにと出発。ずいぶんと歩いてから、博物館の正面に着きました。600円を自動券売機で買って入館となりました。まずアジア館に入ってから本館に移動して、休憩飲食室で冷たい水のペットボトルを飲み干しました 今日は暑くて、全部で3本もペットボトルをを空けました。 国立博物館には、さすがに実物が展示してありましたが、模造品との表示の仏さんも有ったんで、暇そうにしていた見張りの姉ちゃんに聞いてみると、「本物は寺に有りま す。」ということでした。それはそうですね、薬師寺くらいになると、ご本尊を寺の外には置くわけ無いですよね。京都の薬師寺の仏さんだったんです。寺の置く深くに寺宝として安置してありますよね!

この博物館ではフラッシュ無しでの写真撮影はOKでした。禁止の物にはカメラのマーク に”X”のペケ印が表示してありました。一日かけて写真を撮りたかったんですが、時間切れと成ってしまいました。 5時の閉館アナウンスが流れたんで引き上げましたが、周りの拝観者は誰もあわてた様子はなく、キット、5時まで入館させていたんだろうと思いました。
    念願の上野の西郷どんにも会えたニッキィーより
参考HP=〜
・公式HP=上野の東京国立博物館
・その他 =上野の上野恩賜公園西郷どん大仏大仏(パゴダ)
       彰義隊の乱をたどるガンダーラの仏教美術
つづく
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はいから神戸
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