冒険大航海 (Adventure Voyage) | ||
Spain 国連 1988 発行 |
ペドロ・メネンデス 1565 フロリダ植民地建設 |
大航海物語 スペイン編★ |
スペインの戦列艦ナオ船 Warship Santisima Trinidad スペイン 1964/7/16 発行 |
CUBA フロリダ半島 ユカタン半島キューバ・ハイチ ジャマイカ島 キューバ 1971 発行 |
ペドロ・メネンデスはスペインの海軍軍人、殖民団を率いて、 フロリダに開拓地を建設し、先住のフランス人ユグノー教徒の開拓地を壊滅させてスペインの支配権を確立させました。後にキューバ総督を経て、生涯に6回の大西洋横断航海をなし最後にはスペイン無敵艦隊(アルマダ)の初代総司令官を務めました。 |
ペドロ・メネンデス・ド・アビレス (1519/2/15〜1574/9/17) Pedro Menendez de Aviles ペドロ・メネンデスはスペイン北部アストゥリアス地方の港町アビレスで1519年2月15日に生まれました。アストゥリアス地方の古い貴族の出身でしたが兄弟が20人もいて、資産の相続分が少ないことを知っていたので、船乗りとして自分の道を切り開くことを考えた彼は14才で海に出ました。この時はサンタンデルから乗船し、フランス人海賊の掃討作戦に参加しました。 この航海の後、故郷に帰った彼は親の財産分与を処分して、船を一隻購入し、本格的な海賊狩りの生活に入りました。彼の剛勇ぶりは数多くの逸話を残しているそうですが、なかでも1549年に、当時最も恐れられていた海賊のジャン・アルフォンスと対決した時は、海賊船に乗り移り、サーベルで決闘を挑み手傷を負わせ、後日その傷がもとで海賊は落命したそうです。こうしてペドロ・メネンデスは、持ち前の豪胆さと海戦での手腕により富と名声を手中に収め、次々と重要な任務に就いてゆきました。1554年スペイン国王カルロス一世より、インド艦隊総司令官に任命されましたが、私服を肥やすことを潔しとせず、私利私欲に溺れることはありませんでした。そして1555年36才で、初めて大西洋を越えて新大陸へと航海し、生涯に6回の大西洋を越える航海をしました。 1565年には国王フェリペ2世により、「フロリダへ派遣する開拓団を編成し、フロリダのセントジョーンズ河口にあるフランス人ユグノー教徒の開拓地を潰してフランス人を一掃し、フロリダ沿岸に防備を固めた開拓地を数ヵ所建設せよ」との命を受けました。これらの開拓地は新大陸からの財宝を積んでフロリダ海峡経由でスペインへ帰航する船団が、ハリケーンや海賊に襲われた時の避難所として使用するものでした。1565年6月28日ペドロ・メネンデスの一行はスペイン・カディスを出港、8月28日フロリダのケープカナベラル沖に到着し、さらに北上して9月8日に入江を見つけ、その土地に開拓地と砦を建設して、サンアグステイン(現セントオーガスティン)と名付けました。この砦は現存しているそうです。 フランス人との戦い(ユグノー教徒移民のフォート・カロリーヌ)では海戦はフランスには運が無く、大半が乗り込み迎撃に出ていたフランス船隊がハリケーンで全滅してしまいました。フォートカロリーヌの陸上部隊は1565年9月末には陥落し暴風雨で難破した船の生き残り共ども容赦なく処刑されました。この虐殺が行われた場所は今日でもマタンサス(大虐殺)と呼ばれています。 1568年にはキューバ総督に任命されました。そして、以前のインド艦隊総司令官時代の経験から、護送船団制にメスを入れ、より完全なものとして、新大陸からの財宝を運ぶ輸送船団を海賊の手から守ることに貢献しました。1572年、フェリペ2世は彼をスペインに呼び戻し、イギリス侵攻に備えてスペイン無敵艦隊(アルマダ)の総司令官に起用しました。しかし彼は艦隊編成中の1574年9月17日に55才で亡くなりました。彼の突然の死で、無敵艦隊は1588年に、勇気にかけては人後に落ちないが、海のことは無能なメデイナ・シドニア公アロンソ・ペレス・ド・グスマンの手にゆだねられ、大敗北を喫しました。ペドロ・メネンデスが生きておれば、あるいは歴史が変わったかもしれませんね。 ・サンテズマ・トリニダード号の装備:〜 Santisima Trinidad、1769 (ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・サンテズマ・トリニダード Nuestra Senora de la Santisima Trinidad)
・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 08/9/18、 10/6/30追記、令和 R.2:2020/6/25 |