France

国連 1980 発行
切手で綴る フランスの冒険大航海(Great Adventure Voyagee)ビーバー戦争(II-3

ジャン・フランソワ・デ・ロベルヴァル総督
1542
スタダコナ(ケベック)に居住地を建設
大航海物語
 フランス編


海賊ロベルヴ
ァル
R F
フレンチ・コルセール(海賊)の襲撃

フランス 1997/9/13 発行
仏の私掠船

Canada
カルティエのケベック到達の航海地図
セントローレンス湾とガスペ半島付近の地図


アメリカ発見500年モントリアール切手展記念
カナダ 1992/5/25 発行
アジア

アラス

カナダ
カナダ付近の地図

北極諸島獲得100年記念

カナダ 1980/1/23 発行

グリーンランド



ニューファンドランド島
プリンスエドワード島

←ケベック

US Postage
5大湖
スペリオル、ミシガン、ヒューロン、エリー、オンタリオ
グリーンベイ→

ミルウォーキ→
シカゴ→

ケベっク

←モントリオール



←デトロイト
アメリカ 1966/6/28 発行 (200%)

Jamaica

フロリダ




キューバ島

ジャマイカ島→




メキシコ
グアテマラ
エルサルバドル
ホンチュラス
ニカラガ
コスタ・リカ
パナマ
ダリエン湾→
ポルトベロ(赤丸)→

カリブ海沿岸(スパニッシュ・メイン)の地図

ジャマイカ 1992 発行
イスパニョーラ島
プエルトリコ島







←カルタヘナ(赤丸)
←ギヤナ
←南米大陸


ジャン・フランソワ・デ・ラ・ロック・デ・ロベルヴァル総督 (1500-1560)
 Lieutenant General Jean-Francois de La Rocque de Roberval
 フランス国王フランソワ1世の廷臣、フランスのユグノー教徒(Huguenot)、私掠船長(French Corsaire)
 初代ヌーヴェル・フランス総督(Lieutenant General of Nouvelle-France, 在任1541-1543)
 生地:フランス南部オード県々都カルカソンヌ生
 没地:フランスのパリで殉教、60才没
ロベルヴァル総督は、フランス南部ラングドック=ルシヨン地域圏オード県(#62)々都カルカソンヌ(Carcassonne, Aude department, Languedoc-Rousillon Region, France)で、北フランスのピカルディ地域圏オワーズ県(#78)ロベルヴァル(Roberval, Oise, Picardy Regions, France)出身のロベルヴァル貴族の家に生まれました。若い頃はフランス陸軍に入隊して、イタリア戦争(Italian Wars 1494-1559)に従軍して、後にフランス国王になったフランソワ1世(Francis I, 1494-在位1515-1547)と親密になり、生涯を通じての盟友となりました。戦後はフランソワ1世の宮廷で働きました。
フランソワ1世

フランス 1967 発行

1541/1/15にフランソワ1世がロベルヴァルに初代ヌーヴェル・フランス総督(Lieutenant General of Nouvelle-France, 在任1541-1543、中将格)の称号を授与して、新大陸のカナダ殖民事業とカトリック布教の任務を与え、45,000ルーブルを下賜し、3隻の探検開拓移住船を調達しました。そして、以前にカナダへ2回探検航海していたカルティエ船長を主任航海士に指名し、ロベルヴァル総督が準備に手間取っている内に、カルティエ船長が先行して出帆する許可を取り付けました。1541/5月にカルティエ船長は殖民者500人とイル=エ=ヴィレーヌ県(#43)サン・マロ港を出帆。新大陸ニューフランスのスタダコナ(Stadacona)現ケベック(#QC)近くシャルブール・ロイアル(Charlesbourg-Royal)現ケベックのカプ・ルージュ(Cap-Rouge, Quebec City)に要塞化した開拓居住地の建設に着手しました。

一方のロベルヴァル総督は探検事業のさらなる資金調達のためにカリブ海方面への遠征航海を企て、私略船(英Privateer、仏Corsaire)の船長ビジュー・デ・ラルティーグ(Bidoux de Lartigue)の船に乗船して出撃航海しました。ところが数隻のイギリス船を襲撃したので、イギリス大使がフランスへ抗議してきました。イギリスとの外交上の平和を希求したフランソワ1世がロベルヴァル総督を叱責し、私略船許可を取り消しました。私略船活動を止めたロベルヴァル総督は、1542/4月に殖民者200人とサン・マロを出帆し、新大陸ニューフランスへ向かいました。

ロベルヴァル総督のカナダ殖民遠征航海
1542年
04月、サン・マロ港を国王下賜の
    ・ラ・ヴァレンタイン号(La Valentine)
    ・ル・アン号(L'Anne)
    ・ラ・ルシュフレイ号(La Lechefraye)
    の3隻に開拓移民200人で出帆
    ニューファウンドランド島セント・ジョンに到達
    カルティエ船長に出会い、引き止めに失敗するも
    セントローレンス河の海図を譲ってもらう
06/08、スタダコナ(ケベック)に到着
    シャルブール・ロイヤルをフランス・ロイ(France-Roy)と改名
    居住地の建設に着手する
    厳しい越冬中に、
    厳冬や壊血病、飢餓、現地人の攻撃などに晒される
1543年
    春、ロベルヴァル総督が越冬に失敗
    植民地計画を断念して帰国の途につく
06/06、ロベルヴァル総督がサン・マロ港に帰港。
フランスの探検開拓移住船

フランス 1997/9/13 発行

・スパニッシュ・メインへの遠征航海
  (私略船航海)
大航海時代のカリブ海周辺大陸沿岸のスペイン帝国地域をイギリスがスパニッシュ・メイン(Spanish Main)と呼び、それはフロリダ半島からメキシコ、中米、南米北岸までの範囲で、特に16世紀から18世紀にかけは其処から、金銀、宝石、香辛料、木材、毛皮、その他の莫大な財宝を、有名なインディアス艦隊(Flota de Indias、Spanish treasure fleet)がスペインに運び出したので、それをねらう海賊と私掠船が出没しました。フランスの海賊はフレンチ・コルセール(French Corsaire)という私掠船て、その一人がキューバからコロンビアを荒らし回った、フランス国王フランソワ1世勅許の海賊である私掠船長のジャン・フランソワ・デ・ロベルヴァルでした。
1543年、コロンビアのグアヒラ半島ラチェリア(Rancherias wayuu-La Guajira)と、1524
    年にスペインのバスチダス船長が建設したサンタ・マルタ(Santa Marta)を襲撃
1544年、1533年にスペインのペドロ・デ・エレディア(Pedro de Heredia)が建設した
     コロンビアのカルタヘナ・デ・インディアス(Cartagena de Indias)を襲撃
1546年、1511年にスペインのディエゴ・ベラスケスが建設したキューバ東部のバラコア
     (Baracoa)と1514年にベラスケスが建設のキューバ首都ハバナを襲撃
1547年、私掠船活動を引退。
海賊船の旗印

エクアドル 2006 発行

フランソワ1世の第2王子アンリ2世(Henri II de France, 1519-在位1547-1559)が鉱山監督官(Royal Superintendent of Mines)に任命しました。こうした冒険航海や王室の好意にも拘らず、ロベルヴァルは幸運を活かすことができず、1555年迄に彼の屋敷シャトー・デ・ロベルヴァル(Chateau de Roberval)など全資産が抵当に抑えられました。

ロベルヴァル総督は早くに新教徒カルヴィン派ユグノー教徒に宗旨替えしたので、カトリック教会からの迫害にあい、1560年にパリでユグノー弾圧の殉教者として処刑されて亡くなりました。

参考HP:〜
カルティエ船長の航海地図
 (第1回・第2回、第3回は:ロベルヴァル総督の2回とほぼ同じ)
カリブ海の地図

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。   2014/5/8、令和8年 2026/2/12
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