United Kingdom

国連 1983 発行
切手で綴る イギリスの大航海(Great Adventure Voyage)殖民大航海(IV-9
総督ジョン・ガイ船長
1610〜1614
ニューファンドランド島・イギリス初代総督
ベオスック族
大航海物語
 イギリス編

NEWFOUNDLAND
ニューファウンドランド総督
ジョン・ガイ


1610 ニューファウンドランド殖民300年記念 1910
英領ニューファウンドランド 明治44年 1910/8/15 発行

USA
カラベル帆船

USA 明治26年 1893 発行
NEWFOUNDLAND

英領ニューファウンドランド
大正16年 1928/1/3 発行

ラプラドル半島

ニューファウンドランド島

CANADA
中央がハドソン

カナダ 1981 発行
ケーン水路
グリーンランド

←パフィン島
プロビジャー
←ハドソン海峡
←ラプラドル湾
←ラプラドル半島
←ニューファンドランド島

←ケベック

ガイ船長は1608年にブリストルの冒険貿易商人協会の要請で新大陸北東部のニュー・ファウンドランド島へ大航海して到達、探検調査して殖民の好適地と報告。1610年には植民団を連れて渡り入植に成功し、イギリス最初の恒久入植地”クーパーズ・コーヴ”の初代総督を務めましました。
総督ジョン・ガイ船長
  (Captain Governor John Guy、生年不祥〜1629頃没)
  ニューファウンドランド島クーパーズコーヴ、イギリス初代総督、在任:1610〜1614
  (Cuper's Cove, Island of Newfoundland, Canada)1568/12/25生〜1629/2月没説有
ジョン・ガイはイングランド・ブリストル(#1@2)の冒険貿易商人(Merchant Venturers)の船長で、1605〜1606年の間はブリストル議会の議員を務めました。

ブリストル貿易商人協会(Bristol Society of Merchant Venturers、13世紀)は1497年にカボット船長を新大陸に派遣。カボット船長がカナダのニューファンドランド島を発見し、1498年に上陸しました。1583年にはイギリスのギルバート卿がセント・ジョン湾(St. John's Bay, Island of Newfoundlan)に入植して、イギリス最初の海外植民地となっていましたが、ギルバート卿が帰りの航海で遭難して亡くなり、その後は入植者が続いていませんでした。

1608年にブリストル貿易商人協会はイギリスのジェームス1世(James I)のニュー・ファウンドランド島植民許可(特許状)を取り付け、ガイ船長にニューファンドランド島の探検調査を要請しました。同年ガイ船長はブリストル港を出帆、ニューファンドランド島アヴァロン半島コンセプション湾(Conception Bay, Avalon Peninsula)に到着、探検調査し、ブリストルに帰港して、クーパー入江(Cuper's Cove, Conception Bay, Avalon Peninsula, Newfoundland)がイギリスの入植地に適していることを報告しました。 ジェームス1世

NFL I 1910 発行

1610/7/5にガイ船長と男女39人の入植者一行と小麦などの穀物と家畜類とがブリストル港を出帆し、同年ニューファンドランド島クーパー入江に到着、上陸してイギリス最初の恒久入植地”クーパーズ・コーヴ”(ロバート湾の南の現カピズ:Cupids, Bay Roberts)を建設しました。1611/5の便りには、最初の冬の犠牲者は4人だけで、住居と砦の建築や交易と農場仕事で忙しい思いをしたと書いてありました。1611年の夏に義理の弟のフィリップ(Philip Guy)とウィリアム・コールストン(William Colston)を植民地担当司令官として残し、ガイ船長はブリストルに戻りました。1611〜1612は貿易商人協会の会計役員としてブリストルに留まりました。

1612年の秋が来る前に女性と家畜類を連れてニューファンドランドへ出帆しました。1612/10にトリニティ湾(Trinity Bay)を探検して、友好的な原住民ベオスック族に出会いました。1612年夏の探検航海中に海賊ピーター・イーストン(English pirate Peter Easton, 1570頃-1620頃)に捕まって、ガイ船長が、その年の春にアヴァロン半島東南岸に建設された2番目の植民地レニュー(Renews, Avalon Peninsula)を放棄することを約して放免されました。1613年の居住地は厳しい冬を迎えました。8人の犠牲者が出て、壊血病患者は幾人も出ました。

ガイ船長は1613/4、1613/9、1614/12にブリストルに戻りました。ロンドン・ブリストル商会(London and Bristol Company, 1610設立)が約束した土地の提供をしなかったので、ガイ船長は苦情を申し立てました。この頃からガイ船長の植民地への興味が薄れてきました。間もなく、土地問題は解決され、植民者にも給料がわりの土地割当が行われました。1626年にガイ船長は息子と妻のアン(Anne)に土地を相続させることにしました。

1618〜1619年の間はブリストル市の市長になりました。1620〜1621、1624〜1628年の間は貿易商人協会の重役を務めました。1620〜1622、1624の間はブリストル議会の議員をも務めました。1629/3月頃にガイ船長は亡くなりましたが、ブリストルの聖ステファン教会(St. Stephen's Church)に埋蔵されたかどうか不明で、教会の記録にも何もありません。ガイ船長の没後、弟フィリップが”クーパーズ・コーヴ”総督職を引き継ぎました。

クーパーズコーブの居住地は18世紀まで現存したという証拠があるという説もありますが、1600年代に放棄されたというのが有力な説のようです。

・ニューファンドランド総督:列伝:〜
ジェームズ1世の総督(James I , 1610-1625)
No 期間 総督名 植民地名 .メ モ
1 1610-1614 ジョン・ガイ
John Guy
Cuper's Cove クーパーズコーブ
2 1615-1621 ジョン・メイソン
John Mason
Cuper's Cove  ”
3 1618-1628 ロバート・ヘイマン
Robert Hayman
Bristol's Hope ブリストルホープ
4 1618-1620 サー・リチャード・ホイットボーン
Sir Richard Whitbourne
Renews レニュー
5 1623-1626 フランシス・タンフィールド
Francis Tanfield
South Falkland サウスフォークランド
6 1621-1625 エドワード・ウィン
Edward Wynne
Ferryland フェリィランド
チャールズ1世の総督(Charles I, 1625-1649)
7 1625-1627 サー・アーサー・アストン
Sir Arthur Aston
Avalon アヴァロン
8 1627-1629 ジョージ・カルバート(初代ボルチモア男爵)
George Calvert , 1st Baron Baltimore
Avalon  ”
9 1629-1632 カシリウス・カルバート(第2代ボルチモア男爵)
Cacilius Calvert, 2nd Baron Baltimore
Avalon  ”
10 1634-1638 ウィリアム・ヒル
William Hill
Avalon  ”
11 1638-1651 サー・デイヴィッド・カーク
Sir David Kirke
Newfoundland ニューファンドランド
オリバー・クロムウェル政権下の総督(Oliver Cromwell, 1649-1658)
12 1653-1660 ジョン・トレワーギー
John Treworgie
Newfoundland  ”

総督の役職名(Job Title)の変遷:〜
・Proprietary Governors (1610-1728) イギリス領の期間 総督
・French Gouverneurs of Plaisance (1655-1713) フランス領の期間 プレザンス地方フランス総督
・Commodore-Governor (1729-1825) イギリス領の期間 総督
・Colonial Governors (1855-1907) 英領ビクトリア女王の期間 植民地総督
・Dominion Governors (1907-1934) 英自治領の期間 自治領総督
・Commission Governors (1934-1949) 英領の期間 総督(カナダと合併前)
・Lieutenant Governors (1949-present) カナダと合併 州副知事

・ベオスック族
  (Beothuk Tribe)
カナダ東岸ニューファンドランド島の先住民、ベオスック族は入植者達に殺されたり、飢餓や入植者の持ち込んだ疫病で激減した後の19世紀初めには、生き残りはほんの僅かでしたが、1829年に最後の一人が亡くなり、この民族は絶滅しました。

参考HP〜
 ・ブリストルの場所地図
 ・コンセプション湾(セント・ジョン(Saint Johns)の西の湾)
 ・アヴァロン半島の場所地図
ニューファンドランド島

明治41年 1908/1/3
 ・ニュー・ファウンドランド島の地図
 ・ニュー・ファウンドランド島の地図(日本語の地名有)

(※注)上記には諸説有。

こちらで世界遺産の
ヌビア遺跡 (エジプト)
ペトラ遺跡 (ヨルダン)
パルテノン神殿 (ギリシャ)
法隆寺 (日本)
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。   2009/4/30、2018/10/10、令和7年 2025/8/23
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