| ・ホンジュラス略史:〜 | 
          
            | 1502 | スペインのコロンブスが第4回航海で発見 | 
          
            | 1519 | エルナン・コルテスがアメリカ大陸に上陸 | 
          
            | 1521 | コルテスがアステカ帝国征服後に征服 スペイン人がインディヘナを武力で服従させると、グアテマラ総督領として支配
 この地から豊富な金や銀などが産出するとスペイン人の植民が進む
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            | 1537 | レンピーラ酋長がインディヘナで最大の反スペイン反乱を起こすも短期に鎮圧される | 
          
            | 1539 | グアテマラ総督領編入 | 
          
            | 1570 | 年代にテグシガルパ周辺で銀山が発見されるも、このブームはすぐに終焉 | 
          
            | 1789 | フランス革命、ヨーロッパの政治的混乱 19世紀前半にインディアス植民地各地のクリオージョ達の間で独立の気運が高まる
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            | 1803 | ナポレオン戦争(-1815) | 
          
            | 1808 | スペイン本国で半島戦争が勃発(スペイン独立戦争,1808-1814) フランス皇帝ナポレオン・ボナパルトがボルボン朝のフェルナンド7世を退位させ、
 兄のジョゼフをスペイン王ホセ1世に据えると、インディアス植民地は偽王への忠誠を拒否
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            | 1811 | 独立闘争が本格化 | 
          
            | 1820 | スペインで自由主義者によるリエゴ革命(スペイン立憲革命)が起きる | 
          
            | 1821 | /9/15に独立(グアテマラ総督領) | 
          
            |  | アグスティン・デ・イトゥルビデ皇帝の第一次メキシコ帝国独立と合併 | 
          
            | 1823 | 中央アメリカ連邦共和国(1823-1839)に加盟 | 
          
            |  | 中米諸州連合結成 ホンジュラス出身のフランシスコ・モラサン将軍は自由主義のエルサルバドル派として、連邦維持を目的に、ラファエル・カレーラ将軍の率いる保守主義のグアテマラ派との戦いを続ける
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            | 1838 | 中米諸州連合より分離独立 ホンジュラス共和国として独立、現在もモラサン将軍はホンジュラスで特別の地位を占めている
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            | 1855 | ニカラグアでアメリカ合衆国南部人の海賊ウィリアム・ウォーカーが大統領になり、中米諸国は団結してウォーカーの排除を決定。この国民戦争でウォーカーは敗北。その後ウォーカーは再び中米の主人となるためにこの国に上陸、イギリス海軍に捕らえられ、トルヒージョで処刑 | 
          
            | 1870 | 年代からコスタリカを筆頭に中米各国でコーヒー・プランテーションが発達するも、ニカラグアとホンジュラスでは人口が少なく、労働力が足りなかったためにコーヒーは根付かず。そのためホンジュラスでは代わりにマイナー・キース(Minor
            Cooper Keith 1848-1929)によってバナナ・プランテーションが形成され、最初に「バナナ共和国」と呼ばれる国になる | 
          
            | 1899 | キースがアンドリュー・プレストンのボストン・フルーツ社と自分の事業を合同してユナイテッド・フルーツ社を立ち上げ、中米全体に君臨する | 
          
            | 1894 | ポリカルボ・ポニージャ大統領が制定した憲法では中米諸国との連合の可能性を条文内に規定 | 
          
            | 1880 | 独立後のラテンアメリカ諸国はどこも自由党と保守党の争いが続く マルコ・アウレリオ・ソト大統領が自由主義憲法を制定し、直接選挙の実施を保証
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            | 20世紀 | に入るまで、周辺諸国と国境紛争が頻発 | 
          
            | 1907 | ニカラグアのセラヤ大統領はホンジュラスに侵攻して全土を支配 セラヤのニカラグア拡大を恐れたアメリカ合衆国の仲介で、ホンジュラス大統領にミゲがル・ダビラの就任で妥協がなされ、その後この事件を処理するために中米司法裁判所が設置される
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            | 1911 | マヌエル・ボニージャが反乱を起こし、ダビラは失脚 | 
          
            | 1912 | ボニージャが大統領に返り咲く | 
          
            | 1913 | ボニージャが亡くなる フランシスコ・ベルトランドが大統領に就任、1919年まで安定する
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            | 1919 | 内戦が勃発 内政が混乱に陥り、アメリカ合衆国がバナナ権益を保護するために内政干渉に乗り出す
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            | 1920 | 年代にホンジュラスは世界のバナナ市場の約1/3を供給 | 
          
            | 1929 | 世界恐慌でバナナ産業が大打撃を受ける ユナイテッド・フルーツ社で働くバナナ労働者による労働争議が次第に活発になる
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            | 1933 | ティブルシオ・カリアス・アンディーノ将軍がクーデターを起こして軍事独裁を開始 アメリカ合衆国のバナナ会社との強い関係を背景に強権統治を行い、この独裁政権は17年間続く
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            |  | 第二次世界大戦後の政情は不安定で、軍事政権が相次いで成立 アメリカ合衆国の石油会社がニカラグア国境付近で油田を発見なって、
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            | 1957 | /5月、ソモサ王朝体制のニカラグアと国境紛争勃発 ホンジュラス東部が戦場となる、
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            |  | 7/21この国境紛争が問題を国際司法裁判所に提訴することにより、解決が図られる | 
          
            | 1960 | 年代末時点で30万人のエルサルバドル人がホンジュラスで不法移民として農業に従事 ホンジュラス政府が農地改革すると、この不法農業移民問題が両国の軋轢をより大きする
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            | 1960 | 中米共同市場が結成されるも、ホンジュラスは工業国エルサルバドルの製品の市場としてしか扱われず、このことはホンジュラス人の不満を高める | 
          
            | 1969 | エルサルバドルと、いわゆる「サッカー戦争」が起きる | 
          
            | 1971 | ホンジュラスはエルサルバドル製品ボイコットのために中米共同市場を脱退 | 
          
            | 1979 | ニカラグア革命後、ホンジュラスはニカラグアのサンディニスタ政権に対するコントラの最も有力な基地となり、アメリカ陸軍、アメリカ空軍、イスラエル国防軍、アルゼンチン陸軍など多くの反共国家の軍隊がホンジュラスに駐留 | 
          
            | 1981 | 民政移管に成功、選挙の結果自由党政権が成立、その後もコントラの基地は続く | 
          
            | 1982 | 民政移管、コルドバ大統領就任 | 
          
            | 1985 | アスコナ政権が成立するとアメリカに接近し、軍事経済関係が強化される | 
          
            | 1986 | アスコナ大統領就任 | 
          
            | 1990 | カジェハス大統領就任 | 
          
            | 1993 | レイナ政権が成立 | 
          
            | 1994 | レイナ大統領就任 | 
          
            | 1998 | フローレス大統領就任 | 
          
            | 2002 | マドゥーロ大統領就任 | 
          
            | 2006 | セラヤ大統領就任 | 
          
            | 2009 | 軍事クーデター発生 中道左派の大統領ホセ・マヌエル・セラヤは政権延長・終身大統領を狙って憲法改正のための国民投票を6/28に実施する予定なるも、国会と最高裁判所は国民投票を違憲だとして大統領と対立
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            | 6/24 | ロメオ・バスケス統合参謀本部議長を更迭、大統領令でエドガルド・メヒア将軍を後任とする | 
          
            | 6/25 | これに抗議してアンヘル・エドムンド・オレジャナ国防大臣も辞表を提出。数時間後に更迭は無効と最高裁判所からの宣告がなされ、対立が高まり、国民投票が実施される当日、投票が始まる1時間前になって、最高裁判所が出した大統領逮捕令にしたがって、軍部がクーデターを起こし、セラヤは大統領官邸で拘束の上コスタリカへ移送され、ニカラグアに事実上亡命(大統領夫人は移送されず国内に留る) | 
          
            | 6/28 | 午後、セラヤと同じ自由党に所属するロベルト・ミチェレッティ国会議長が暫定大統領に就任(〜2010/1/27) | 
          
            | 7/05 | セラヤはミゲル・デスコト国連総会議長(元ニカラグア外務大臣)を伴い、ベネズエラより飛行機による帰国を試みるも、テグシガルパ国際空港は軍により閉鎖されており帰国は阻止される | 
          
            | 9/21 | にセラヤは強行帰国に成功、首都テグシガルパのブラジル大使館内に留まる 国会、裁判所などクーデター派はセラヤが左傾化を進めることに反対してきた富裕層などの支持を得ているとされる
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            | 11/29 | 大統領選挙の結果、国民党から立候補のポルフィリオ・ロボ・ソサが当選を確実に、選挙はクーデターで国外追放されたセラヤ大統領を復帰させないまま強行されたので、中南米諸国の大半(ブラジル・アルゼンチン・ボリビア・エクアドル・ベネズエラ・ウルグアイ・エルサルバドル・チリなど)は選挙結果を認めず、セラヤの大統領復帰を求める立場を表明 | 
          
            | 12/03 | ラテンアメリカ議会はホンジュラス国会を資格停止にすることを決める 中南米ばかりでなく国際社会も選挙の正当性を疑問視
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            | 12/09 | セラヤがメキシコに出国することが明らかになった。しかし、暫定政権のカルロス・ロペス外相が国内テレビで出国を認めないと語った。メキシコ外務省は、暫定政権の外務省から出国許可を取り付け、セラヤとその家族を賓客として招待する、としている。 | 
          
            | 12/10 | セラヤは暫定政権から辞任を条件に出国することを求められうrも拒否して出国は停止される セラヤ受け入れを表明していたメキシコ政府はホンジュラスの政治危機の解決に協力することを表明し、ブラジル政府は暫定政権を厳しく批判、北米・中南米35カ国の内、米国・ペルー・パナマ・コロンビア・コスタリカの5カ国は選挙結果の承認へ傾いているといわれている(中南米の4カ国はいずれも親米)。ミチェレッティは、セラヤが2008/8月加盟の米州ボリバル代替統合構想の脱退を提案)。同盟維持を主張する「クーデター反対抵抗戦線」と、ミチェレッティを支持する富裕層の間で対立が起きる。
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            | 12/14 | セラヤが2008/8月加盟の米州ボリバル代替統合構想の同盟維持脱退が国会で承認される | 
          
            |  | 大統領を元首とする共和制国家であり、行政権は大統領に属する。大統領の任期は4年で、再選は禁止されている。立法権は一院制の議会に属し、議員定数は128人である。司法権は最高裁判所に属している。現行憲法は1982年憲法である。
            保守的な国民性で、コスタリカ程ではないものの中米では比較的安定した国家であり、1970年代から1980年代の中米紛争の最中にも、エルサルバドル内戦、グアテマラ内戦、ニカラグア内戦のように悲惨な内戦を起こす事はなかった。
            自由党と国民党の二大政党制が二十世紀初頭から続いており、長い軍事政権の歴史もあるものの、基本的に現在もこの構図は変わっていない | 
          
            | 2010 | 1/27、ロボ大統領就任 クーデターで成立した政権下の昨年11月の大統領選挙で当選したロボ大統領の就任式が行われる
 就任演説で同大統領は、クーデターによって引き起こされた不正常な状態からの脱出を宣言し、国際社会との関係修復に取り組む決意を表明するも、就任式に国家元首が参加したのはドミニカ共和国とパナマのみで、中南米諸国の多くは就任式に代表を送らず。同大統領は就任式直後、ブラジル大使館に避難していたセラヤの出国を許可。セラヤはドミニカ共和国のフェルナンデス大統領と同国へ出国。
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