United Kingdom

国連 1983 発行
調査冒険大航海 (Survey Expedition Voyage)
ダニエル・ソランダー博士
1770
ボタニー湾に上陸

大航海物語
 イギリス編
AUSTRALIA
サガリバナ   ソランダー博士

Barringtonia Calyptrata & Dr.Solander
サガリバナ   エンデバー号

Barringtonia Calyptrata & HM Bark Endeavour
※ソランダー博士はレシチダス科(Lecythidaceae)に属するマングローブの一種で、ニューギニアとオーストラリアのクイーンズランド北部の原産のバリントニア・カリプトラタ(Barringtonia Calyptrata)を発見。和名:サガリバナ。
オーストラリア 2001 発行

NEW ZEALAND
クック船長の第1回探検
エンデバー号に乗船 1768-1771
ソランダ| ンキ
ョクブナ
matata branch
(rphabdothamnus solandri)

ニュージランド 1969/10/9 発行
クック船長の第1回探検
エンデバー号に乗船 1768-1771


HMBark Endeavour
ニュージランド 1995/2/9 発行


POLINESIE FRANCAISE
タヒチ島の地図    ソランダー

スペーリング
     フランス領ポリネシア 1986/8/28 発行
AUSTRALIA
コレア・レフレクサ、Correa reflexa

(Common Correa, Native Fuchsia)
オーストラリア東南部、タスマニアに分布

オーストラリア 1986/3/12 発行

スウェーデン生まれのソランダーはウプサラ大学で植物学のリンネ博士に師事し、リンネの新分類法を広めるためイギリスに渡り、ロンドンの大英博物館で働きました。バンクス男爵のもとで働き、男爵がクック船長のエンデバー号太平洋探検に参加することになると、スペーリング氏と共に同行しました。太平洋探検航海で収集した膨大な植物標本を持ち帰り、分類整理して「バンクス植物図譜」として公刊しました。その後、アイスランドなどへ航海し、ロンドンのバンクス男爵邸に住んで研究生活をおくり、49才で亡くなりました。
ダニエル・ソランダー博士 (1733/2/19〜1782/5/16)
  Dr. Daniel Carlsson Solander
ソランダーはスウェーデンのノールボッテン県ピーテオ市(Pitea, Norrland, Sweden)で、ルター派教区牧師の父カール・ソランダー(Carl Solander)のもとに生まれました。1750/7月にウプサラ大学(Uppsala University)に入学し、言語学と人文科学を学びました。当時の植物学の教授がカール・フォン・リンネ博士(Carl von Linne、1707-1778)でした。ソランダーの才能を見出したリンネ博士は彼の父親に息子に博物学を勉強させるよう説得しました。

1760/6月にソランダーはリンネの新分類法(Linnaeus' new system of classification)を広めるためにイギリスに渡り、1763年にロンドンの大英博物館(British Museum、1753年に博物館法により設立、一般向け1759/1/15開館:入場料無料)の補助学芸員(assistant librarian)となり、1764年にはロイヤル・ソサイエティ(王立協会)フェロー(Fellowship of the Royal Society)になりました。

1768年に同僚(Fellow)の植物学者ヘルマン・スペーリング博士と共にバンクス男爵に助手(Banks' assistants)として雇われました。ロイヤル・ソサイエティとイギリス王立海軍が計画したクック船長の帆船エンデバー号の太平洋探検航海に参加しました。1770/4/29に、クック船長はボタニ−湾カーネル半島クロヌラ砂丘(Cronulla sand dunes, Kurnell Peninsula)の現:シドニー付近(シドニー・コーヴ、Sydney Cove)で上陸して「ニュー・サウス・ウェールズ」(New South Wales)と名付け、イギリスの領有を宣言しました。ジョセフ・バンクス男爵、ソランダー博士、スペーリング氏らは大量の植物標本の収集を行ない、この湾は植物が豊かな土地であるこ コレア・レフレクサ
とが発見され、ソランダー博士とバンクス男爵らが採集したこれら珍しい植物標本の採集を記念して、ボタニー湾(Botany Bay、植物学の湾)と命名されました。南太平洋地域に関する多くの博物学的知見を西欧に紹介しました。航海で収集された膨大な新種のうち、ユーカリ、アカシア、ミモザを西欧にはじめて紹介しました。

1770/6/11にオーストラリア東岸のグレート・バリア・リーフ(Great Barrier Reef)を北上しながら探検航海している時に、現在のピッカースギル珊瑚礁(Pickersgill Reef)で珊瑚礁(Coral Reef)の浅瀬(Coral Rocks)に乗り上げて座礁して動けなくなりました。船底を大破して進水してきたの
で、全ての帆を降ろし、船を軽くするために、目印の浮標を付けた大砲、鉄や石のバラスト用の重り(Ballast)、樽(Casks)の飲料水も汲みだし、樽も捨て、桶用の金輪(Hoop Staves)、オイル用壺(Oil Jarrs)その他傷んだ船舶用貯蔵品(decay'd Stores)などなどの重量物を全て放棄、海上へ投棄しました。そこをエンデバーリーフ(Endeavour Reef)と名付けて、後で回収できるようにしておきましたが大砲は回収できませんでした。翌日の満潮時に船体が浮いたので、合計つ5つの錨に船をボートに繋いで引いて珊瑚礁から離脱しょうと何度か試みて夕刻にやっと砂浜まで引き出して修理にとりかかりました。 エンデヴァー号が珊瑚礁で座礁

トーゴ 1979/2/12 発行
修理が行われている間は、エンデバー号乗り組みの者達は上陸しました。そこはクイーンズランドのエンデバー川(Endeavour Rivwe)と名付けた川の河口で、現在のクックタウン(Cooktown)の船着き場の近くでした。修理は約7週間(6/12〜8/4)行われましたので、バンクス卿、ソランダー博士、スペーリング氏らは植物標本の収集を行ない、画家パキンソンは植物のスケッチに専念ました。オーストラリア東岸の探検航海は通算して4ヵ月(4/19〜8/20)に達しました。帰国後にロンドンに落ちついたバンクス男爵と共に、太平洋探検航海で収集した膨大な植物標本を整理し、バンクス植物図譜を制作しました。それは後に「バンクス植物図譜」として公刊されました。

1771年に帰国した後は、バンクス男爵の秘書兼司書としてロンドンのソーホー・スクエア(Soho Square)にあるバンクス屋敷に住み込んでいました。

1772年には再びバンクス男爵と共に、アイスランドフェロー諸島、オークニー諸島への航海に出帆しました。1773年スウェーデン王立科学アカデミー(Royal Swedish Academy of Sciences)の海外会員に選ばれました。1773年から1782年にかけては、大英博物館自然史部管理者を務めました。ソランダーが考案した図面や文書、植物標本などを保存するための本型の箱「ソランダー・ボックス」(Solander box)は、現在でも図書館などで使用されています。

1782/5/16に脳梗塞(Stroke)でソーホー・スクエアのバンクス屋敷にて49才で亡くなりました。ニュージーランド南島沖にあるソランダー島や、ロンドンの東のはずれにあるソランダー・ガーデンは、彼の名に因んで命名されました。また、ナンキョクブナ科の”Nothofagus solandri”のように、ソランダーに因んだ学名が名付けられた植物も多数あります。

参考:〜
・ナンキョクブナ属ソランダリ
 Nothofagus solandri
ナンキョクブナ科(Nothofagaceae)は双子葉植物の科。ナンキョクブナ属(Nothofagus)のみの単型科で35種ほど有。すべて木本で、アフリカを除く南半球の温帯から熱帯(北限はニューギニア)にかけて分布(南極大陸にはない)。ブナ科(北半球中心に分布)に似ており、かつてはブナ科に含められたことも有。しかし分子系統的には近縁ながら別系統であるため、APG植物分類体系でも別科となる。
ナンキョクブナ・ソランダリ
なお、この科の由来となったナンキョクブナ属はラテン語で「偽のブナ科」という意味で、命名者のカール・ルートヴィヒ・ブルーメ(Carl Ludwig Ritter von Blume、1796-1862)は「南のブナ科」(Notofagus)と命名するつもりでしたが、何らかの間違いで発表文献において"t"と"o"の間に"h"が入ってしまい、意味が大きく変わってしまったといわれています。

参考HP:〜
 ・ノールボッテン県ピーテオ市の場所地図(赤丸)
 ・ナンキョクブナ科の写真
 ・ソランダー島の場所地図


こちらで
レセップス
スエズ運河
を、お楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。   10/7/30、令和 R.2/5/25 (2020)
スタンプ・メイツ
Copyright(C):Kosyo
無断転載禁止