France

国連 1980 発行
切手で綴る フランスの冒険大航海(Great Adventure Voyagee)ビーバー戦争(II-14
ルイス・ドゥ・モンカム将軍
1759
ビーバー戦争・アブラハム平原の戦い
大航海物語
 フランス編

Saint-Pierre-et-Miquelon
侯爵モンカム将軍
モンカム将軍 フランス軍の上陸
サンピエール・ミケロン 1973/1/1 発行

CANADA POSTAGE
MONTCALM & WOLFE ケベックの眺望、1700
フランス  .
  .
モンカム将軍
イギリス
ウォルフ将軍
1608 ケベック300年記念 1908
カナダ 明治41年 1908/7/16 発行

CANADA
ビーバー

カナダ 1954 発行

アラス


カナダ


U
S
A
Canada
中央がハドソン


カナダ 1981/6/30 発行

ケーン水路
グリーンランド

←パフィン島
プロビジャー
←ハドソン海峡
←ラプラドル湾
ラプラドル半島
ニューファンドランド島

← ケベック
←モントリオ−ル

US Postage
5大湖
スペリオル、ミシガン、ヒューロン、エリー、オンタリオ
グリーンベイ→

ミルウォーキ→
シカゴ→

ケベっク

←モントリオール



←デトロイト
アメリカ 1966/6/28 発行 (200%)

モンカム将軍はフランスからはるばる大西洋を越えて大航海して、新大陸のフランス植民地「ヌーベルフランス」へと渡り、ビーバー戦争(フレンチ・インディアン戦争)でのフランス軍の司令官を勤めましたが、ケベック近くのアブラハム平原の戦いで、イギリスのウォルフ将軍と戦い、敗れて戦死しました。
侯爵ルイス・ジョセフ・ドゥ・モンカム・ゴゾン、マルケス・ドゥ・サン・ヴァラン将軍
 Louis-Joseph de Montcalm-Gozon, Marquis de Saint-Veran
  モンカム侯爵(Marquis de Montcalm)(1712/2/28〜1759/9/14)
ルイス・ドゥ・モンカム将軍はフランス南部のガール県ニーム(Nimes,#63)近くのシャトゥ・ドゥ・シャンディアック村(Chateau de Candiac)で生まれ、1727年に15才でフランス陸軍に入隊しました。1735年に23才で父が亡くなり、サン・ヴァレン(Marquis de Saint-Veran)の権利と義務(負債)を受け継ぎ、まもなくルイーズ(Angelique Louise Talon du Boulay)と結婚して負債を解消し、10人の子供をもうけて幸せな家庭を築きました。父が1729年に陸軍大尉(captaincy)の権利を買っていたので、1743年のポーランド継承戦争(War of Polish Succession、1733-1738)とオーストリア継承戦争(1740-48)ではデュオレイス連隊(d'Auxerrois)の陸軍大佐で従軍しました。イタリア北部のピアチェンツァの戦い(Battle of Piacenza、1746/6/16、Marshal de Maillebois' Italian campaign)では、負傷した部下を介抱している間に五ヵ所もサーベルで切られて負傷をし、捕虜になりましたが、戦後は准将に昇進しました。戦争が終る(Treaty of Aix-la-Chapelle)直前の1748年に再びマスケット銃で撃たれて負傷しました。

1756年にモンカム将軍は新大陸のフランス植民地「ヌーベルフランス」のケベック(#QC)にビーバー戦争(フレンチ・インディアン戦争 1754-1763、ヨーロッパでは7年戦争 1754,1756-1763)のフランス軍司令官として派遣されました。緒戦のイギリス軍との戦いで優勢に勝ち進み、シャンプラン(Lake Champlain)湖のタイコンデロガ砦(Fort Ticonderoga)の守りを固めました。1756年にはオンタリオ湖のオスウェゴ砦(Fort Oswego)を襲って破壊し、守備のイギリス軍を捕虜にしました。1757年にはウィリアム・ヘンリー砦の戦い(Battle of Fort William Henry)でインディアンと連合して勝利しましたが、モホーク族を失いました。これらの戦争はジェームズ・クーパー(James Fenimore Cooper 1789-1851)の不朽の名作「モヒカン族の最後」に詳しく書かれています。また、ウィリアム・ヘンリー砦の大虐殺としても有名で、モンカム将軍はイギリス軍がモホーク族の捕虜を虐殺するのに胸を痛め、聞くと直ぐに現場に行き、英軍のモホーク族囚人に対する殺戮を止めさせました。シャンプラン湖の岸辺にあるタイコンデロガ砦(キャリロンの戦い Battle of Carillon)でフランス軍を指揮して5たび、アブクロンビー(James Abercromby 1706 -1781)将軍率いるイギリス軍と戦って勝利しました。

ところが、フランス国王ルイ14世の命を受けた、植民地の事情を良く理解していなかったヌーベルフランス総督ヴォードリュウ(Le marquis de Vaudreuil)はモンカム将軍と対立して、現地情勢に詳しいモンカム将軍の意見を取り上げず、対英戦争を駄目にしました。1759年のケベック市近くのアブラハム平原の戦い(Battle of the Plains of Abraham、1759/9/13)で、フランス軍はイギリス軍に敗れ去り、モンカム将軍は腹を撃たれて戦死を遂げました。

参考HP:〜
 ・イタリアのピアチェンツァの場所地図
 ・シャンプラン湖の場所地図

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。   2007/11/20  10/10/10、令和8年 2026/3/20
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