Japan

国連 1982 発行
冒険旅行(Adventure Travele)
植村直己
1978
単独で北極点に到達


大航海物語
  日本編

GRONLAND
北極を犬ゾリで走破 ヨーロッパのマッターホルン山?
犬ゾリで北極点へ
1941 植村直己生誕70年記念 2011
グリーンランド 2011/7/28 発行
植村直己さんが5大陸最高峰に登頂・北極点を走破



植村直己

LIETUVA
エヴェレスト山

リトアニア 1991/8/20 発行
NEPAL
世界最高峰エベレスト山、8,848m

ネパール 1971/12/28 発行

Republique Francaise
西ヨーロッパ最高峰モンブラン山 4,807m
       が有るアルプス山脈。
ここ

フランス 1984/8/25 発行
Rep. di San Marino
マッターホルン山、4,478m

サンマリノ 1962/6/14 発行

CANADA
南米大陸最高峰アコンカグア山、6,960m





カナダ 2002/10/1 発行
CCCP
ロシア(コーカサス)最高峰エルブルス山、5,642m

ソ連 1986//9/5 発行

SVERIGE
北極点

スウェーデン 1989/8/22 発行 小型シートより
Republik Osterreich
ヒマラヤ山系

オーストリア 1956/7/27 発行


世界8高山と、その場所地図
CANADA
Mt.Mckinley カナダ最高峰ローガン山
Mt.Logan 5,959m
Mt.Elbrus
Mt.Aconcagua プンチャック・ジャヤ山
Mt.Puncak Jaya 4,884m
ニューギニア島最高峰
ヴィンソン・マシフ山
Mt.Vinson Massif 4,892m
南極大陸最高峰
Mt.Klimanjaro Mt.Everest
カナダ 2002/10/1 発行   :植村さんが登頂

日本の兵庫県豊岡市生れの植村直己さんは世界屈指の冒険旅行家で、世界初の五大陸最高峰登頂成功や北極点単独到達など世界各地を登山したり探検して、1984年にアラスカのマッキンリー山登頂後に消息不明となり、亡くなくったものと推測されています。
植村直己 (1941/2/12〜1984/2/13頃)
 Naomi Uemura

生地:日本の兵庫県城崎郡日高町(現:豊岡市)、出身校:明治大学
没地:米国アラスカ州マッキンリーで消息不明となる、43才没
職業:登山家、冒険家
実績:単独北極点到達(1978)他

・植村直己さんの略年表
  (主な登山・冒険歴)
1941/02/12、現在の豊岡市で植村藤治郎・梅夫妻の農家に6人兄弟末っ子と
       して生まれ、神戸から宝塚の六甲全山縦走路(約50km)を開発
       した単独行で地下足袋姿の冒険登山家「加藤文太郎」(1905-
       1936:兵庫県浜坂出身30才槍ヶ岳没)に憧れ、学校行事で登っ
       た蘇武岳(1,074.4m)を初めに但馬の嶺々への山行きを始める
1959/03/31、兵庫県立豊岡高等学校卒業後、
       豊岡市の新日本運輸株式会社(現在無)に就職
1960/04/01、明治大学農学部農産製造学科に入学後に
       山岳部へ入部、本格的な登山を開始
1964/03/31、明治大学卒業
       就職試験に失敗
槍ヶ岳

日本 1952 発行
1964/05/02、1万屯級移民船「あるぜんちな丸」で横浜港を出港
       ヨーロッパアルプスの氷河を見ようと考えるも資金不足で、まず生活水準が高い         
       アメリカで資金を貯めてそれからヨーロッパに行こうと考
       え、周囲の反対を押し切って、とび職のアルバイトで貯
       めた金と長兄の植村修氏が援助した渡航費用で横浜
       を出港。ロサンゼルス到着後、苦労して職を得る
1964/09月、不法就労で捕まり、登山の資金を貯めるために働いてい
       ることを日系人の通訳を通じて話して強制送還は免れ
       たもののアメリカにはいられずフランスへ向かう
1964/11/10、仏モンブランの麓シャモニー(Chamonix-Mont-Blanc,
       1036m)でモンブラン単独登攀を目指すがクレバスに落
       ち失敗。スイスの国境近くモルジヌ(Morzine)のスキー場
       で冬季オリンピック滑降金メダリストのジャン・ヴュアル
       ネ(Jean Vuarne 1933-)に雇われ、そこで資金を稼ぎな
       がら登山活動の拠点とする
アルプスの山小屋

オーストリア 1974 発行
1965/04/23、明治大学(ネパールと中国チベット自治区にまたがるヒマラヤ山脈の山)ゴジュン
       バ・カン
(チョ・オユーII峰:Cho Oyu, 8,201m世界第6位)登頂隊に途中参加で登頂
       その後モルジヌに戻るも、黄疸で一ヵ月の闘病生活
1966/7月、フランスとイタリア国境のヨーロッパ最高峰モンブラン(Mont Blanc 4,807m)単独登頂
1966/07/25、スイスとイタリア国境のマッターホルン(Matterhorn, 4,478m)単独登頂に成功
1966/10/24、タンザニア北東部にあるアフリカ最高峰で独立峰として
       は世界一の高さのキリマンジャロ山(5,895m)単独登頂
1968/02/05、アルゼンチンチリの国境付近でアルゼンチン側にある
       アンデス山脈中の南米大陸最高峰アコンカグア山
       (Aconcagua, 6,960m)単独登頂、下山時に登頂した隣
       の処女峰(5,700m)が、後日「明治峰」と命名される
1968/4/20-6/20、ブラジルアマゾン河(Amazon, 6,000km)を
       単独でイカダ下り
1970/05/11、日本山岳会の荷揚げ・ルート工作要員で参加して、世界
キリマンジャロ山
ケニアウガンダタンガニカ1954発行
       最高峰エベレスト山(Everest, 8,848m)登頂(松浦輝男氏と共に日本人初登頂)
1970/08/30、アラスカの北米大陸最高峰マッキンリー山(Mt. McKinley, 6,168m)登頂成功で、
       世界初の五大陸最高峰(Five summits)登頂成功
1971/01/01、フランスとイタリアの国境にあるヨーロッパ三大北壁の一つ
       グランド・ジョラス(Grandes jorasses, 4,208m)北壁を完登
1971/04月、イギリスBBC主催エベレスト国際隊の失敗で、以降は単独行を志す
1971/08/30、南極横断3000kmのため、日本を徒歩で縦断へ稚内を出発
1971/10/20、鹿児島に到着、日本列島3,000kmを徒歩で縦断に51日間で成功
1972/09/04、グリーンランド北西端で世界2番目の北の町シオラパルク
       (Siorapulk)村のエスキモー宅に単身寄宿し共同生活
1973/02/04、グリーンランド3,000kmの単独犬ゾリ行に出発
1973/04/30、グリーンランド3,000km犬ゾリ単独行に成功
1974/05/18、東京板橋区の江戸時代から続く豆腐屋の娘、
       野崎公子さんと結婚
1974/12/29、北極圏12,000kmの単独犬ゾリ行に出発
1976/05/08、アラスカのコツェビュー(Kotzebue)に到着
       北極圏12,000km犬ゾリ単独行を完走
グリーンランド

グリーンランド 1969 発行
デンマ|ク国王
1976/07月、ロシアのコーカサス山脈の最高峰エルブルス山(Mount Elbrus, 5,642m)に登頂
1978/03/05、北極点犬ゾリ単独行に出発
1978/04/29、犬ゾリ単独行で北極点到達(単独到達世界初)、米月刊誌ナショナル・ジオグラ
       フィック誌(National Geographic)の表紙を飾る(日本人初)
1978/05/12、グリーンランド縦断に出発
1979年、英王立ビクトリア・スポーツ・クラブからバラー・イン・スポーツ賞を受賞
1978/08/22、犬ゾリ単独行でグリーンランド南端に到着、縦断成功
1980/10月、日本冬期エベレスト登山隊隊長として日本を出発
1981/1/27、犠牲者が出て冬期エベレスト登頂計画を断念
1982/08/13、アコンカグア山を冬期に共同で第2登を達成
1982/01月、南極大陸3,000kmの南極点単独犬ぞり探検・
      走破と南極最高峰ビンソン・マシフ(Vinson
      Massif, 4,892m)の登頂のため日本を出発
1983/03月、フォークランド紛争勃発でアルゼンチン軍が協
      力を撤回、南極計画を断念して帰国
1983/10月、野外学校設立を欲して勉強を兼ねてアメリカ
      の野外学校「ミネソタ・アウトワード・バウンド・
      スクール」(Outward Bound, OBS)に参加
1984/02/12、マッキンリー山冬期単独登頂(世界初)
1984/02/13、飛行機との最後の連絡後、消.息不明となる
1984/04/19、国民栄誉賞を受賞。
マッキンリー山

USA 1937/11/12 発行

なお、植村さんはその著書の中で、イギリスの北西航路探検フランクリン隊の大遭難は「フランクリン卿らが現地のエスキモーが有する狩や生活の知恵に学ばず、西欧的な生活流儀に固執した故に自ら招いた惨事である」と記述。

植村直己の著書:〜
・「青春を山に賭けて」(毎日新聞社,1971)
・「極北に駆ける」(文藝春秋,1974)
・「北極圏一万二千キロ」(文藝春秋,1976)
・「北極点グリーンランド単独行」(文藝春秋,1978)
・「冒険と人生」(聖教新聞社,1980)
・「冒険」(毎日新聞社,1980)
・「男にとって冒険とは何か:植村直己対談・エッセイ集」(潮出版社,1981)
・「エベレストを越えて」(文藝春秋,1982)
・「植村直己の冒険学校」(文藝春秋,1986)
・「植村直己 妻への手紙」(文藝春秋,2002)
・「植村直己 挑戦を語る」文藝春秋編(文藝春秋,2004)

参考HP:〜
植村直己冒険館 - 豊岡市
マッキンリー山の場所地図(アラスカの地図)
五大陸最高峰の場所地図
地球絶景紀行(グリーンランド編)

こちらで
フランス七月革命
サフレン提督
ファントム・アイランド
切手コレクションの
イギリス皇太子ご成婚
・切手で綴る 東海道五十三次
全米50州アメリカ
世界遺産
富士山日本
パルテノン神殿ギリシャ
ピラミッドエジプト
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。        2014/2/10、14/2/20
スタンプ・メイツ
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