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★ポルトガル | ペドロ・デ・アタイデ船長 1500 モッセルベイ上陸・手紙を残す |
大航海物語★ |
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嵐の岬(喜望峰)を回航 Cabo Tormentoso,1500 |
ブーツに手紙を残す Pedro d'Ataide,1500 |
モッセルベイにボートで上陸 Sao Brass,1501 |
ノーヴァ船長が手紙を発見 Jao da Nova,1501 |
シスカイ 1991/5/11 発行 |
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LIBELIA ポルトガルからアフリカの地図 アフリカ南端が喜望峰 リベリア 1928 発行 |
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勇敢な船乗りで地獄野郎と呼ばれていたアタイデ船長はカブラル船長の第2次インド遠征艦隊にサン・ペドロ号で参加して、嵐で荒れ狂う地獄の喜望峰を回航後、モッセルベイに寄港、手紙をミルクウッドの木にブーツ片方の中に入れて吊り下げて残しました。翌年、其処に着いた第3次インド遠征艦隊ノーヴァ船長が手紙を見つけましたので、モッセルベイはポルトガル船隊のインド航路の手紙の中継基地となり、モッセルベイはアフリカ史上で最初の郵便局となりました。 |
ペドロ・デ・アタイデ船長 (生年没年不詳) Pedro de Ataide アタイデ船長は勇敢な船乗りで、嵐で荒れ狂う地獄の海もものともせずに乗り越えていたので、インフェルノ(Inferno=Hell:地獄野郎)と呼ばれていました。1500年にペドロ・カブラルの第2回インド遠征船隊(13隻)に70トンの横帆式カラヴェル帆船サン・ペドロ号(Sao Pedro、square-rigged caravel)に乗船して参加、ポルトガルのリスボン港を出帆しました。 |
第2次インド遠征艦隊 1500〜1501 ペドロ・デ・アタイデ船長 |
アタイデ船長 |
サンペドロ号 |
シスカイ 1991/5/11 発行
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PORTUGAL ポルトガルからインドへの航海地図 1469 ヴァスコ・ダ・ガマ生誕500年記念 1469 ポルトガル 1969/12/30 発行 |
・アタイデ船長の大航海:〜 第2次インド遠征艦隊13隻:総司令官ペドロ・カブラル船長 2th Portuguese India Armada (Cabral, 1500/3/08-1501/6/23(6隻が帰港) 横帆式カラヴェル帆船サン・ペドロ号(Sao Pedro、70t square-rigged caravel)に乗船 1500年 03/08、マヌエル1世の命により、テージョ河々口リスボン港ベレン周辺に 第2次インド遠征艦隊の13隻が集結 03/08〜09、13隻がリスボンを順次、出帆 03/23、ヴェルデ岬諸島着 ルイス・ピレス船長(自称:伯爵、Luis Pires:Count Portalegre)の船が
07/16、ソファラ(Sofala、現:モザンビークのソファラ州)着 07/20、モザンビーク島(Mozambique)着 07/26、キルワ(Kilwa、現:タンザニア) 08/02、マリンディ(Melinde、現:ケニア)着、 アラブの水先案内人(pilot)を雇う 08/10、嵐でディオゴ・ディアス船長(Diogo Dias)が船隊を離れる 09/13、インドのカリカット(Calicut)到着 1501年 01/16、アタイデ船長と船隊は、東洋産の香料を満載してカリカットを出帆 06/23、アタイデ船長は僚船3隻(計4隻)と共にリスボンに帰港 1501年にジョアン・ダ・ノーヴァ船長が第3回インド遠征船隊の司令官に指名され、大西洋を航海中にアセンション島を発見して、喜望峰を回航後、モッセルベイに到着・上陸してブーツを見つけ、その中からアタイデ船長の手紙を発見しました。滞在中に小さな教会を建設し、そこをヴァケイロス湾(Golfo dos Vaqueiros)と名付けました。ノーヴァ船長が出帆すると、現地人の手によって教会は火を付けられ灰燼に帰して跡かたもなくなりました。ノーヴァ船長はインドに到達後、帰路の大西洋でセントヘレナ島を発見し、無事に帰国して手紙のことをアタイデ船長に話しました。 その後、モッセルベイはポルトガル船隊のインド航路の良質な飲料水の補給基地となると共に、手紙の中継基地になりました。 参考:〜
モッセルベイは南アフリカ共和国西ケープ州(Western Cape province of South Africa)の港町で、人口約15万人。500年前の「目印の石」はモッセルベイ・ストーン(Mossel Bay Stone)として有名になって、歴史文化博物館(Cultural History Museum in Mossel Bay)に保存されており、「ミルクウッドの木」は郵便局の木(Post Office Tree)として、その場所に「郵便局発祥の地」(アフリカ最初の郵便局)の記念碑が建設されています。 ・シスカイ Republic of Ciskei シスカイは現在の南アフリカ共和国東ケープ州東部にあって、「シスカイ」は「カイ川のこちら側」の意で、トランスカイは反対の「カイ川の向う側」の意。 下記の間に存在した南アフリカ内の国。 1972年、自治領 1981年、独立 1993年、南アフリカ政府がホームランドの廃止と南ア国籍の回復、 全人種参加の総選挙実施を表明 1994年、独裁者グクォゾ(Oupa Gqozo 1952-)が行政権の返還を表明。 参考HP:〜 ・モッセルベイの場所地図(詳細) ・モッセルベイの場所地図 ・モッセルベイの地図 ・モッセルベイの場所地図(日本語、モッセルベイはケ−プタウンとポートエリザベスの中間) ・シスカイの場所地図 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 2010/7/17 |