★ポルトガル
冒険大航海
パウロ・ダ・ガマ船長
1498
ヴァスコ・ダ・ガマの船隊と共にインド到達

大航海物語★
COMPANHIA do NYASSA
サン・ガブリエル号と同型姉妹船
サン・ラファエル号


ポ領ニャッサ会社
大正8年 1920/12/21 発行
PORTUGAL
パウロ・ダ・ガマの航海地図

ヴァスコ・ダ・ガマ 生誕500年 記念
ポ領モザンビーク 1969/8/29 発行

パウロ・ダ・ガマ (生年不詳〜1499/7)
 Paulo da Gama

パウロはエステヴァオ・ダ・ガマ(Estevao da Gama)の長男で、ヴァスコ・ダ・ガマの兄でした。15世紀末頃のポルトガルの船乗りで、横帆式ナオ船・旗艦サン・ガブリエル号(200t)の姉妹船サン・ラファエル号(Sao Rafael,、200t)に船長として乗船し、弟のヴァスコ・ダ・ガマの最初のインド航路探検航海に参加して、1497/7/8(土)にポルトガルのリスボン港を出帆しました。4ヵ月後に、ようやくバーソロミュー・ディアズが発見した喜望峰を望見しましたが、強風に阻まれ、4ヵ日後にやっと追い風を捕えて1497/11/22に岬を回航・通過し、喜望峰近くのモッセルベイに投錨できました。そしてヴァスコ・ダ・ガマの船隊と共に1498/5/18(金)インドのマラバル海岸、カリカット王国に到達しました。

帰路にサン・ラファエル号を乗員不足で廃船としたので、パウロは弟のヴァスコ乗船のサン・ガブリエル号に乗りかえて乗船しましたが、途中でパウロが重病(壊血病)となりましたので、ガマは兄を救うためベルデ岬諸島で下船、快速のカラベル船を仕立てて帰国を急ぎました。さらに病気が重くなって重体に陥りマデイラ諸島へを経て急ぎましたが、アゾレス諸島のテルセイラ島に到着の翌日、1499/7に同島のアングラ・ド・エロイズモ(Angra do Heroismo)で惜しくも亡くなりました。

参考:〜:
アングラ・ド・エロイズモ
  Angra do Heroismo

アングラ・ド・エロイズモはポルトガル領アゾレス諸島にある都市で、アングラ・ド・エロイズモ自体はアゾレス諸島で第3の島で、テルセイラ島の南西部を占めています。テルセイラ島の東半分を占めるプライア・ダ・ヴィトリアと隣接。アングラ・ド・エロイズモの中心街は、1983年にユネスコの世界遺産に「アゾレス諸島のアングラ・ド・エロイズモの町の中心地区」の名前で登録されました。

・カリカットのマラベーラ(マラバル)海岸
  Malabar Coast
(古裏)、Calicut (コージコード、Kozhikode)
カリカットはインド西南部、ケーララ州のアラビア海に面する港湾都市。マラヤーラム語ではコージコード(Kozhikode)と呼ばれます。 マラベーラ海岸には1403年に中国・明朝の鄭和が寄航し、ポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマは1498年に来航し、その後、オランダやイギリスが支配しました。インド綿織物の輸出港として知られ、キャラコの語源ともなりました。
インドの地図
カリカットは、古くから胡椒・シナモン等のインドの香料(スパイス)の他、織物、ラック(lac:カイガラムシの分泌物)、ショウガ(ginger)、プラム(Cherry plum:myrobalans)、ガゼツ(zedoary、別名紫ウコン)などの積出し港で栄えていました。そこにはマイソール王国があって、南インドは古来から季節風貿易で莫大な利益をあげて潤っていて、当時のインドで2番目に豊かな土地でした。そこへベンガル地方を「プラッシーの戦い」(Battle of Plassey 1757/6/23 英の勝利)で間接支配することに成功し植民地の拡張を目指していたイギリス東インド会社がこの地を支配するべく攻め込み、マイソール戦争(Anglo-Mysore Wars 1767・1782・1792・1799)が勃発、イギリスが勝利してインドを支配することになりました。

14世紀、モロッコの旅行家イブン・バットゥータが来訪
1403年、中国・明朝の鄭和が寄航
1500年、ポルトガルのカブラルがカリカットにファクトリー(商館)を建設するも、放棄・撤退
1502年、ポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマがカリカットの海戦で、一方的な勝利をおさめ
      古いファクトリーに兵を駐留させて強化を図る
1513年、ポルトガルのアルブケルケ将軍カリカット要塞を完成
1526年、カリカットの陥落で、ポルトガルが撤退、現地サモリン軍がカリカットを占領
17世紀、オランダが来航
1757年、プラッシーの戦いでフランス・現地軍連合が敗れ、イギリスが勝利
1767年、第1次マイソール戦争で現地連合軍にイギリスが勝利、
      その後の3度の戦いにイギリスが勝利

参考HP:〜
 ・アゾレス諸島のテルセイラ島のアングラ・ド・エロイズモの地図
 ・インドの植民地の地図

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。    08/7/15、10/10/30、2017/2/26

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