マゼラン物語

Spain

国連 1988 発行
第3章  世界一周 (別紙 1)
イースター反乱
1520/4/1〜4/2

大航海物語
  スペイン編
URUGUAY
マゼランとエルカノの世界一周航海地図
1520年マゼラン海峡を発見


1519 エルカノとマゼランの世界一周航海500年記念 2019 (初日カバー)
ウルグアイ 2019 発行

イースター反乱
 (Easter mutiny, 1520/4/1〜4/2)
  於:アルゼンチンのサンタクルス州パタゴニアのサン・フリアン湾
    (Bahia (Puerto) San Julian, Patagonia, Santa Cruz Province)
イースター反乱とは、マゼランの大航海でスペインを出帆して、南米アルゼンチンのパタゴニア地方にて越冬開始直後に起こったマゼランに対する反乱で、その日が4/1の復活祭の日曜日(イースター・サンデー)だったので、イースター反乱と呼ばれています。
・出帆
1519年にマゼランが西回りトルデシーリャス条約でのスペイン領海域だけを航海してインドネシアマルク(香料)諸島に達する航海の総司令官に任命されると、スペイン国王カルロス1世は航海の報告をマゼランではなくカルタヘナが行うことを命じて彼を副司令官に昇格させました。また、カルタヘナの影響力を考慮したマゼランは、彼を船隊内の最大船サン・アントニオ号の船長にしました。

それ以前4月までにはカルタヘナと同じカスティーリャ人のメンドーサが財務官兼ヴィクトリア号船長に、コカが会計官に、ケサーダがコンセプシオン号船長に就任して、船隊の中枢はカルタヘナ派に占めらました。
サンルーカル・デ・バラメダ

スペイン 1988 発行
併せて船隊内のポルトガル人を5人以内に制限するよう通商院から圧力がかかり、マゼランは国王との協約や訓令を盾に反発していると、スペイン人船員が思うように集まらなかったので、結局バルボーサなどマゼランの親族3人を含む少なくとも30人以上のポルトガル人が航海に参加しました。これで船隊内に二重の権限を生じさせるとともに、マゼランにスペイン人乗組員への不信感を抱かせることになりました。なお、スペイン貴族出身のカルタヘナ派は喜望峰を回ってインド洋から太平洋に出てマルク諸島に到達する航海だと思い、マゼランの考えには反対でした。

1519/9/20にマゼラン遠征船隊は5隻の船隊でスペインのサンルーカル・デ・バラメダ港を波乱含みで出帆しました。
アルゼンチンの場所地図

南極領有宣言60年記念

アルゼンチン 1964 発行
・前兆
1519/9/26にカナリア諸島に到着して補給をしていると、マゼランの義父ディオゴ・バルボーザ(Diogo Barbosa)から秘密の便りが届き、それにはカスティーリャ王国人船長の一部(カルタヘナなど)が反乱を計画していることを警告し、ポルトガル国王がマゼランの逮捕のためカラベル船2隻を派遣したことがしるしてありました。
・ソドミー裁判
  (Sodomy trial)
航海中に、ビクトリア号甲板長(ボースン)アントニオ・サラモン(Boatswain, Antonio Salamon)が、見習い水夫のアントニオ・ジノベス(Cabin boy, Antonio Ginoves)とソドミー行為(同性愛)の嫌疑をかけられました。当時、スペインでは同性愛は死によって罰せられ、実際には男性同士のソドミーは海軍の長い航海でよく見られました。マゼランはトリニダード号船上で裁判を行い、サラモンを有罪とし、縛り首の刑に処しました。そしてサラモンは船隊がブラジルに着いた後、12/20に処刑されました。ジノベスは船外に突き出た板上を歩かされて海へ落ちました。
海賊キッドの処刑図

ネヴィス 2000 発行
サン・アントニオ号カルタヘナ船長の逮捕
 (ポルトガル人とスペイン人の対立)
マゼランとカルタヘナの反目は出帆後すぐに浮上していて、マゼランは具体的な航路などの協議をせず旗艦トリニダード号に追従することのみを要求。しかも、各船長は日没時に舳先からマゼランに敬服の挨拶を示し、夜間当直の指令を命じました。しばらくはこの体制が続くも、カナリア諸島のテネリフェ島南部で風雨に遭遇し、しかもマゼランが当初の航路を独断で変更して南アメリカ大陸を南下し始めると船隊内に動揺が生じました。この航路変更は失敗で、凪による二週間ほどの遅れや、風雨で食料の節約を余儀なくされる事態になりました。
マゼランの船隊

ウルグアイ 2019 発行
カルタヘナはマゼランへの疑問をあらわにすると、彼らに当初から不信感を抱くマゼランは怒鳴り返しました。憤慨したカルタヘナは以後、日没時の挨拶を代理人にやらせるようになり、やがては誰も挨拶灯火を出さなくなりました。

<逮捕>
マゼランはソドミー裁判に続く会議で、トリニダード号に全船長を集め、集まった船長たちの前で、カルタヘナを逮捕しました。カルタヘナは船長を解任され、パタゴニアのサン・フリアン湾に到着するまでヴィクトリア号に監禁されました。
<経緯>
カルタヘナは会議で、南アメリカの海岸に沿って南に航行するルートの選択で王の船を危険にさらしたとマゼランを非難して、カルタヘナがマゼランの命令に従わないことを宣言した時、マゼランはカルタヘナを「反逆者」と呼び、彼の振る舞いを反逆者として逮捕しょうと、武装した忠実な何人かの部下を部屋に入れ、カルタヘナを捕えるように合図。すると、カルタヘナは他の2人のカスティーリャ人船長(ケサーダとメンドーサ)にマゼランを刺すように呼びかけるも、彼らは動きませんでした。その直後に、カルタヘナは逮捕されました。マゼランは反乱でカルタヘナを裁判にかけ、彼に死刑を宣告することもできるも、ケサーダとメンドーサの懇願で、カルタヘナをサン・アントニオ号の指揮から外し、ビクトリア号内で自由に移動できるようにすることに同意。サン・アントニオ号の船長にはコカがカルタヘナの後任で就任しました。
1519年
11/20 頃、カルタヘナが逮捕され、コカがサン・アントニオ号の船長になる
11/29 ブラジルのサント・アゴスティーニョ岬付近に到達
12/13 リオ・デ・ジャネイロ湾に進入、上陸
12/20 サラモンを処刑
コカがサン・アントニオ号の船長を解任され、メスキータが後任船長に就任
12/27 リオデジャネイロ湾を出帆
1520年
03/31 バイーア・サン・フリアン湾に到達、停泊して越冬を開始
(現アルゼンチンのサンタクルス州パタゴニアの自然港)。

・反乱勃発 (航海年表略年表
  (イースター反乱、Easter mutiny、1520/4/1〜4/2)
   ビクトリア号、コンセプシオン号、サン・アントニオ号で反乱勃発
反乱者:〜
 ・カルタヘナ元船長 ヴィクトリア号に監禁中
 ・メンドーサ船長 ビクトリア号乗組
 ・ケサーダ船長 コンセプシオン号乗組
 ・コカ元船長 サン・アントニオ号乗組
 ・エルカノ コンセプシオン号乗組
 ・マルティン サン・アントニオ号乗組
 ・など。
反乱時の船長:〜
 ◆ヴィクトリア号 メンドーサ船長
 ◆コンセプシオン号 ケサーダ船長
 ・サン・アントニオ号 メスキータ船長
 ・トリニダード号 総司令官マゼラン船長
 ・サンティァゴ号 セラーノ船長
最初の反乱船:◆。

サン・フリアン湾での越冬で士気が大きく低下していた船隊にて、ビクトリア号メンドーサ船長、コンセプシオン号ケサーダ船長、そしてサン・アントニオ号のカルタヘナの後任船長を解任されたコカがマゼランに対抗するべくスペイン人乗組員たちから同志を募り、エルカノなど40人ほどが呼応しました。

1520/4/1の復活祭の日曜日(イースター・サンデー)の真夜中に彼らはまず、コカ元船長の手引で30人ほどがサン・アントニオ号を急襲。船長のマゼラン従弟メスキータを捕え、抵抗した副長のフアン・デ・エロリアーガを殺してサン・アントニオ号を乗っ取りました。こうしてカルタヘナ派のマゼランに反抗した反乱者がコンセプシオン号、サン・アントニオ号、ビクトリア号を占拠。反乱者は船隊が自分たちの指揮下に入ったことを旗艦にいるマゼランに通告するため、旗艦トリニダード号のマゼランへ、交渉を求める通告メッセージを持たせた使者をボートで送りだしました。

サン・アントニオ号をはじめ3隻が反乱側に落ち、小型のサンティァゴ号は戦闘向きではないので、トリニダード号のみとなったマゼランは一夜にして窮地に追い込まれました。そこへ反乱者から交渉を求める通告のメッセージがボートで送られてきました。そこでマゼランはそのボートを確保して、エスピノーザに密かに武装した男5〜6人をつけて、反乱者メンドーサへの返書と共にビクトリア号へ送りました。メンドーサがマゼランの通告の返書を読んでいる間に、エスピノーザの部下の1人がメンドーサ船長を斬り殺しました。同時に、同じくマゼランが送った別のボートで、マゼランの義兄バルボーサと15人の武装した男たちが乗り込むと、ビクトリア号は抵抗することなく降伏し、制圧できました。そして直ちに、マゼラン トリニダード号

セント・ヴィンセント 1988/7/29 発行
はサンティアゴ号・ビクトリア号・トリニダード号の3隻でサン・フリアン湾の出口を封鎖し、反乱船2隻の脱出を阻止して、降伏を勧告しました。
1520/4/2夜、強風に煽られて突出したサン・アントニオ号が短い戦闘の後に拿捕されると、コンセプシオン号にいたカルタヘナ派は観念して降伏しました。反乱に加担した40人ほどのスペイン人乗組員には死刑判決が出され、ケサーダはエロリアーガ殺害の罪で直ちに処刑されました。メンドーザ船長とケサーダ船長の遺体は四つ裂きにされて吊るされ、晒し物にされました。残りは鎖に繋がれて船の補修作業に従事することで免罪とされました。
パタゴニア国立公園
リャマの仲間ラマ(Lama)


アルゼンチン 2019 発行
1520/8/24に首謀者のカルタヘナは、カルタヘナの親戚スペイン通商院最高責任者ファン・ロドリゲス・デ・フォンセカ司教(Juan Rodriguez de Fonseca, 1451-1524)に配慮して、加担者ペドロ・サンチェス・デ・ラ・レイナ神父(priest, Pedro Sanchez de la Reina)と共に僅かな水と食料を渡され、荒涼とした嵐の大地パタゴニア大平原に置き去りにされました。

その後、サン・フリアンでの越冬は5ヵ月間にもおよびました。
※日付:異説有。
海賊の孤島置き去りの刑

タークスカイコス 1971 発行
参考HP:〜
パタゴニアの場所地図

こちらで
フェルディナンド・マゼラン
ファン・セバスチャン・エルカノ
スエズ運河
スパイス (香辛料)
コーヒー (嗜好飲料)
世界遺産の
ピラミッド (エジプト)
パルテノン神殿 (ギリシャ)
姫路城 (日本)
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。     令和 R.2:2020/6/18
スタンプ・メイツ
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