クスコの
サクサイワマン
インカの城塞都市遺跡

PERU
サクサイワマンの遺跡

ペルー 1961/9/11 発行
南アメリカの地図



ペルー
ペルーの 200海里
排他的経済水域を表す地図
ペルー 1983/3/25 発行

インカの土器とインカ道地図
リ マ





チャンチャン


パチャカマック→

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←チャヴィン

サクサイワマン
クスコ

←プカラ





アレキパ



プーノ
ペルー 2011 発行 (200%)

サクサイワマン
  Saksaq Waman

  インカ城塞都市の遺跡
クスコ市街の北の小高い丘に、ジグザグになった三層の石積みの壁が有ります。其処はインカの要塞のある街だったのを、スペイン人征服者コンキスタドール達が破壊したので、今では基底部だけが残っています。スペイン人がクスコ市内に建設したカテドラル(大聖堂)や政庁などの石材の一部は此処から運び出されたといわれています。伝説では、インカ帝国の初代皇帝マンコ1世がクスコを築いたのが1250年頃だとされており、インカ帝国第9代パチャクティ(在位:1438-1471)によってサクサイワマン要塞都市が造られ始めました。

インカの遺跡サクサイワマンはケチュア語で[「満腹のハヤブサ」の意味で、その建設目的は城砦、宗教施設、その双方を兼ねた建造物など諸説あるも、確定していませんが、1983年にクスコ市街の一部としてユネスコの世界文化遺産に登録されました。

サクサイワマンはペルーの南東部にあるインカ帝国の古都クスコ市の北にあって、クスコ市はインカにおける聖なる動物ピューマをかたどって建設されたとする説があり、この説でサクサイワマンはピューマの頭に相当しています。巨石を惜しみなく用いたインカ文明特有の堅固な石組みが階段状に3段ずつ、幅数百mの平地を挟んだ南北の丘に築かれています。インカの天上・地上・地下の3つを意識した独特の世界観が反映された結果、3段という段数が選択されたといわれています。それぞれの段は石で作られた階段で結ばれ、遺跡を構成する石組みは巧みにデザインされており、リャマやヘビ、カモ、魚等の動物をかたどった箇所があります。それらはそれぞれ数mから十数mの規模です。かつては東西に並ぶ3つの巨大な塔が建っていたのが、スペイン人によってことごとく破壊され、現在はその基礎だけが残っています。

1100年頃、キルケ文化(Killke, 900-1200)でクスコ郊外のサクサイワマン要塞が建設される
       (遺跡を炭素14放射性炭素年代測定法で分析して判明)
1200年頃、マンコ1世がクスコを建設
       以降インカ人勢力がクスコ地方を占拠して移住
1438年以降、インカ帝国第9代皇帝パチャクテクの命で建設が開始される
1488年頃、約50年後の第11代皇帝ワイナ・カパックの在位中に完成したとされている
1533年、ピサロスペイン人征服者の攻撃でインカ帝国首都クスコが陥落
1536年、クスコ奪還戦でマンコ2世率いるインカ軍の拠点となる
1536/5/6、サクサイワマンの戦いで、マンコ2世が拠点として挙兵
       クスコ、リマなどを圧倒的多数のインカ軍が包囲する
1536/7月、サクサイワマンの戦いでフアン・ピサロが戦死
1537/3月、インカ軍は食料が不足し、さらに作物の種まき時期となり、その上に天然痘などで
       多くの戦士が戦病死したため、クスコの包囲を解き、クスコ北方を流れるウルバン
       バ川近辺のオリャンタイタンボ砦に退却。やがてインカ帝国は滅亡
2007年、発掘調査で、寺院がサクサイワマン要塞の脇で発見される
      要塞には軍事的な機能だけでなく、宗教的な機能があったことが示される
2008/3/13、考古学者が古代の寺院、道路、導水設備の遺跡をサクサイワマンで発見。

・サクサイワマン城塞
城塞跡サクサイワマンはクスコの郊外、北方1.5kmの丘の上にあって、毎年6/24には、この壮大な舞台で往時を偲んで、きらびやかで荘厳な儀式の太陽の祭典インティ・ライミ(Inti Raymi)が、現地人によって何千人もの観光客の前でとりおこなわれています。

その城塞もスペイン人がクスコを占領したとき、城塞の上部や塔などを破壊し、教会や政庁を作る材料にしてしまったために、現在は城壁も砦も下部構造しか見ることが出来ません。それでも正面の幅300mの砦は、さまざまな形の巨石が、ジグソーパズルのように一分の隙間もなく巧みに組み合わされています。中でも最も驚かされるのは、高さが人の背丈の4倍近くもある数百屯の超巨石が、周囲の、それも何十屯もありそうな巨石群と多面体で繋ぎ合わされていることです。最大の巨石は360屯を越すと言われており、この重さは、なんと電車の車両15台分に相当し、巨石同士の接合部分には、今でもカミソリの刃一枚が入る隙間もないのです。現在知られている石切場は、遺跡から15〜35kmも離れた山道の彼方にあり、その運搬方法は謎となっています。

参考HP:〜
クスコの場所地図(日本語)
インカ帝国の場所地図(インカ道路網)
ペルーの詳細地図(Quito、Tumbes、Cajamarca、Lima、Cuzco有)

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。     13/3/10

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