France

国連 1980 発行
切手で綴る 絶海の孤島(Lonly Island) No.19
マヨット諸島
Mayotte Islands
Overseas collectivity of France

大航海物語
 ★地図編

REPUBLIQUE FRANCAISE MAYOTTE
マヨット島

マヨット - ラグーン島
Mayotte - L'ile au lagon

フランス 1999 発行

REPUBLIQUE FRANCE
マヨット島地図と海岸線
マヨットの島と紋章 マヨット海岸
1841 保護領(voluntary attachment)150年記念 1991
フランス 1992/12/21 発行
ARCHIPEL des COMORES
マヨット島





パマンジ島
フランス領コモロ諸島 1974/8/31 発行

MAYOTTE
マヨットの1番切手

フランス領マヨット 1892 (明治24) 発行

ARCHIPEL des COMORES
マヨット諸島マヨット島
マムズ港(Port Mamutzu)の景観


フランス領コモロ諸島 1974/8/31 発行
マヨット諸島パマンジ島
ザウジ(Dzaoudzi)の景観


1935 コモロラジオ局開設記念25年記念 1960
フランス領コモロ諸島 1960/12/23 発行

マヨット諸島
 Mayotte Islands、フランスの海外県
 フランス語:collectivite departementale d'outre-mer

面積:374ku、人口:186,026人(2010) 227,164人(2014)、言語:フランス語(公用語)、宗教:イスラム教、通貨:ユーロ:(EUR、1999年までの通貨:フランス・フラン)、首都:マムズ。1番切手:1892年フランスの切手に ”MAYOTTE” と印刷発行。

マヨットはフランスの海外準県(collectivite departementale d'outre-mer)で、アフリカ大陸南東、マダガスカル島との間のモザンビーク海峡に浮かぶコモロ諸島に属する諸島。コモロ諸島の最も南東にあって、マヨット諸島を除く他の島々は独立国家「コモロ連合」で、同国はフランスに対しマヨット島の領有及び返還を主張し、マダガスカルも領有を主張。

マヨット諸島:〜
 ・マホレ島(本島)〜グランドテール島(大島)、南緯12度50分:東経45度10分に有。
   主な町:〜マムズ(Mamoudzou)、バンデレ(Bndele)、サダ(Sada)、アコウア(Acoua)。
 ・パマンジ島〜プチトテール(小島)
   主な町:〜ザウジ(Dzaoudzi)、パマンジ(Pamandzi)、空港有。

マヨット諸島は本島のマホレ島(グランドテール島:大島)、パマンジ島(プチトテール:小島)と、その他周辺の小島及び珊瑚礁で構成されている。本島はコモロ諸島の中で地質学上最も古くに形成された火山島で土壌は肥沃。島全体を珊瑚礁が包囲するため、その内側の海はラグーン状になって穏やかで、漁船および軍艦の待避港として役立ち、マリンスポーツの好適地になっているが、交通が不便なため観光業は不振。

年/月/日   記  事
1500 嵐でカブラルの船隊からはぐれたバーソロミュー・ディアス
弟のディオゴ・ディアス(Diego Dias)が来島
1500/8/10 ディオゴ・ディアスがマダガスカル島を発見(望見)
1503 ポルトガルが望見するも植民は行われず
1832 アンドリアントソリイ(Andriantsoly)がマダガスカルの藩王(Boina)を滅ぼし占領
1833 コモロ諸島モヘリ島のサルタン藩王が占領
1835/11/19 コモロ諸島アンジュアン島のサルタン藩王が占領
1841/3/25 フランスが島名をマウティ・マオロ藩王国”Mawuti Maore sultanate”から、
マヨット"Mayotte"に変更
1843/6/13 フランスが海賊の被害に悩まされていた島民の要請で、この島を属領としていた
マダガスカルのサルタン王からこの島を買収してフランスの保護領とする
1884-85 アフリカ分割のベルリン会議(Berlin conference:1884/11/15-1885/2/26)で、
他のコモロ諸島と共にフランス植民地とすることが確定
1912/7/25 コモロ諸島植民地がフランス領マダカスカルに併合
1941/12/8 太平洋戦争が勃発
1942 第二次世界大戦(1939/9/1から1945/9/2)中には
マヨット島にイギリス海軍の基地が置かれた
1945 8/15:大日本帝国・無条件降伏(9/2:第2次世界大戦終結
1946 自治領となる
1956 フランス外人歩兵大隊の一部がマダガスカルからマヨット島に分遣される
1958 マダガスカルがフランス共同体の自治共和国になったため、
コモロ諸島はフランス海外領土となる
1961 内政自治権が認められる
1962 フランス第3外人歩兵連隊がマダガスカルに駐留、一部がマヨット島に分遣される
コモロ諸島の首府がマヨット島のザウジから、グランドコモル島のモロニへ移転
その時にマヨットでは雇用が失われ、最大の島・グランドコモロに対する不満が爆発
1974/12/22 コモロ諸島全域でフランスからの独立に関する住民投票が行われ、独立賛成が多数を占めたが、唯一マヨット島のみが反対票が多かった。そのため、マヨット島の処遇についてフランス政府とコモロ自治政府で話し合いがもたれた
1975/7/6 マヨット島を含むコモロ諸島全体について独立を宣言
1976 マヨット外人部隊分遣隊が編成される(約250人、4ヵ月交代)
1976/2/8 マヨット島が住民投票
1976/4/11 前回の結論が出る前に再度住民投票、フランス残留と自治権拡大について賛成多数となり、マヨットは他3島と袂を分かち、フランス領にとどまることとなり、フランス政府はこの結果を受諾
1976/10/21 コモロは国連に裁定を委ね、
国連総会は住民投票におけるフランスの不正の疑いが強いことを理由に、
マヨット島のコモロ帰属を決議
1976/12/1 フランスはこの決議には従わず、
自治権を拡大するためマヨットを領土的共同体とする
1977 マヨット島の新首都建設が進み、
首都がプチトテール島ザウジから、グランドテール島マムズに移転
1984 フランス第1外人騎兵連隊から一部がマヨット島に分遣される
1992 コモロ紛争勃発、マヨット島のフランス外人隊は警戒態勢に入る、
事態の沈静化にはGIGN(フランス国家憲兵隊治安介入部隊)が介入
2001/7/11 実験的な制度である海外準県となる。

ムスリム(イスラム教徒)で占められる周辺のコモロ諸島の他の島々やマダガスカルに比べ、マヨット島にはカトリックが多いと言われるが、住人の大半がムスリムであることに変わりはない。公用語のフランス語を話すのは住民の約3分の1。マダガスカル語やスワヒリ語の方言、コモロ語などが話されている。

肥沃な土壌に恵まれているため農業を中心にして、漁業、畜産が行われているが、狭い耕地を輸出用作物に割いてしまっているため自給自足はできず、食料需要の大部分をフランスからの輸入に依存している。交通が不便なため観光業の不振は続くが改善されつつある。輸出されている農作物はバニラ、イランイラン、コーヒーなどで、その他に砂糖、ココヤシパパイヤ、バナナ、パンの木の実なども生産されている。マヨット島はフランスからの潤沢な援助や開発により、住民の生活水準はコモロ領の島々より格段に高い。

ザウジ (パマンジ島)、旧首都
  Dzaoudzi

ザウジは、フランス海外準県マヨット島の都市。人口15,339人。マヨット属島であるプチトテール(小島)西部にあって、現在の首都であるマムズとは海を隔てて対岸にある。1962年まではコモロ諸島全体の首都で、1977年まではマヨット島の首都だった。フランスが19世紀にマヨット島を領有した際にザウジに官庁を置き、コモロの残り3島をフランスが支配下に置いた際、ザウジにあった官庁に諸島全体を管轄させたた、
ザウジの景観
め、ザウジが諸島全体の首都となった。しかしザウジの位置するプチトテールは岩でできた小さな島であり、交通不便な上に手狭だったため、1962年に首都はグランドコモロ島のモロニに移転。

マムズ (マヨット島)、新首都
 Mamoudzou

マムズはフランス海外準県マヨット島の首都。人口53,022人(2007)。マヨット本島であるグランドテール(大島)東側にあり、旧首都ザウジの対岸にある。もともとコモロ全域の首都はザウジにおかれていたものの、交通が不便な上に土地が狭かったため、すでに19世紀にはマムズに行政都市を建設する構想があった。1962年にコモロの首都がグランドコモロ島のモロニに移転し、これを発端としてマヨットが1976年にフランス
マムズ港(Port Mamutzu)
にとどまることを選択した際、マヨットも新首都建設を決議し、1977年に政府がザウジより移転し新首都となる。

参考HP:〜
 マヨット環礁島の地図(日本語)
 マヨット島
 マヨット諸島の地図
 コモロ諸島とマヨット島の場所地図
 コモロ諸島とマヨット島の地図

こちらで世界遺産
富士山日本
パルテノン神殿ギリシャ
ピラミッドエジプト
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。      10/1/23、12/2/22, 2021/9/22
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