| Netherland  国連 1989 発行 | 切手で綴る カリブ海の島国シリーズ No.12-2(Dutch Islands) シント・マールテン Sint Maarten Island area of Netherlands Antilles セント・マーチン島の南半分はオランダ領 | 大航海物語 地図編★ | 
| SINT MAARTEN セント・マーチン島 | ||
| 南アメリカ→ オランダ領の旗→ |  | ←フランス領 ←オランダ領 | 
| シント・マールテンの1番切手 シント・マールテン(蘭領) 2010 発行 | 
| シント・マールテンの場所地図 | |||||
| カリブ海での場所地図  | リーワード諸島での場所地図  | セントマーチン島での場所地図 
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| セントマーチン島での場所地図  シント・マールテン 2011 発行 (画像:200%) | |||||
| イギリス領アンギラ切手に描かれたセント・マーチン島 | (リーワード諸島に有) | ||
| イギリス領 ヴァージン諸島→ |  |  | イギリス領 ←アンギラ島 北:フランス領 ←セント・マーチン島 南:オランダ領 | 
| アンギラ発行古地図 アンギラ 1972 発行 (画像:200%) | |||
| 飛行場のあるマホビーチ  Maho beach | フィリップスブルフの港?  Harbour | フィリップスブルフのビーチ?  Beach | 
| シント・マールテン 2011/11/11 発行 (画像:200%) | ||
| オランダ航空会社の飛行機、9機有  Winair(Windward Islands Airways International, 1961) | アルーア・オブ・ザ・シーズ号、225,282トン  豪華クルーズ客船(Allure of the Seas, 2010就航) | 
| プリンセス・ユリアナ国際空港飛行場  Princess Juliana International Airport | フィリップスブルフ港  Philipsburg | 
| ペリカン  | ホウオウボク(鳳凰木)  Flamboyant tree (Delonix regia) | 
| マンゴー  Mango | 青いボタンの花(牡丹)  Peony (Paeoniaceae) | 
| ココヤシの実  Coconatu | 
| シント・マールテンの蝶々  Butterflies | 
| シント・マールテン 2011/10/6 発行 | 
| オランダ領 シント・マールテン Island of Sint Maarten、Dutch Side ・面積:21.07ku ・人口:33,119人(2004) 39,689人(2013) ・通貨:アンチールギルダー(ANG) ・中心地フィリップスブルフ(Philipsburg) ・1番切手:オランダ領アンチール解散後、2010/10/10”SINT MAARTEN”発行。 オランダ領シント・マールテンは、カリブ海の西インド諸島の小アンティル諸島北部リーワード諸島にあるセント・マーチン島の南半分のオランダ語名です。英語ではダッチ・サイド (Dutch Side) と呼ばれています。オランダ領アンティールに属していました。コロンブスの第2回航海時に発見後、スペイン人が頻繁に訪れました。そこへオランダ人がやって来て、島に塩があったことから1620年まで島の池にある塩を採掘しました。1630年にフランス人が島に来た後に、オランダ人もやって来てアムステルダム城砦を建造。1638年にスペインの艦隊が来てオランダ人を攻撃して島を占領。オランダのピーター・スタイヴサント(Peter Stuyvesant、オランダ領ニューアムステルダムの最後の総督)指揮のオランダ艦隊が来島、スペインと島の争奪のための戦争勃発。この戦争でスタイヴサントは片足を失いました。1644年にスペインとの80年にも及ぶ島の争奪戦争の末、ついにスペインは島と東カリブから去りました。 島の北部がフランス領サン・マルタンで南部がオランダ領シント・マールテンとなったのは、その後、再びセントキッツ(セントクリストファー)島からフランス人入植者とシント・ユースタティウス島からオランダ人入植者が島にやって来て、1648年にオランダとフランスは、島をオランダ領とフランス領に2分する条約に署名し、オランダ領シント・マールテンとフランス領サン・マルタンに分かれました。1815年のパリ条約で現在の境界で決着、16回も領域の境界が変化しました。 オランダ領シント・マールテンでは塩や綿、タバコの交換の中心地として、そして19世紀の奴隷制度廃止までアフリカからの奴隷で、サトウキビのプランテーションも栄えました。後に経済不況が襲い、経済が不安になり、輸入及び輸出税が廃止され、島がフリーポートになった時に、1939年に免税港と宣言。その後、オランダ領アンチールに組み込まれました。人口は約3万5000人(2005)で、サトウキビのプランテーションのためアフリカから奴隷として連れてこられた黒人の子孫がほとんどで、クレオールやオランダ人の白人がいます。 1943年アメリカ軍の飛行場として建設されたプリンセス・ユリアナ国際空港が有。隣接しているマホ・ビーチは飛行機が通過するコースの直下にあって、滑走路端にあるため、飛行機の超低空飛行を間近で見られる場所として有名。映画「スピード2」で客船が突っ込むのは、オランダ領側のシント・マールテンの中心地フィリップスブルフの町並みを模したセットでした。国境線の全長は16kmで、1994年にオランダとフランスはセント・マーチン島国境管理条約 (Franco-Dutch treaty on Saint Martin border controls) に調印。 2017/9/6にハリケーンイルマ(Hurricane Irma)が上陸。人的被害計34人(死亡4、重傷11、軽傷23)、建物のほぼ3分の1が破壊されるなど、甚大な被害をもたらしました。 最高峰はフラッグスタッフ山(Mt. Flagstaff, 383m)。 参考HP:〜 ・セント・マーチン島の地図(シント・マールテンの場所地図) ・オランダ領アンティル諸島の地図 こちらで ・フランス領サン・マルタン ・オランダ領キュラソー島 ・オランダ領アンチール諸島 世界遺産の ・法隆寺 (日本) ・ヌビア遺跡 (エジプト) ・パルテノン神殿 (ギリシャ) をお楽しみください。 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 平成 H.20/10/19(2008)、 令和 R.3/8/18(2021) |