切手で綴る 冒険大航海 (Adventure Voyage)

★ロジャース物語

第1章
第2章
第3章
第4章
United Kingdom

国連 1983 発行
第1章  遠征航海
ウッズ・ロジャース船長
1718/2/6、初代バハマ総督

大航海物語
  イギリス編

Bahamas
ウッズ・ロジャース船長

バハマ 1987/6/2 発行
Tazania
海賊旗を掲げる私掠船

タンザニア 1994 発行
FIJI
世界一周航海

太平洋と世界地図
フィジー 1977/4/12 発行

イングランド生まれのウッズ・ロジャーズ船長は12才で父を亡くし、ニューファウンドランド漁業船団で7年間年季奉公で修業を積んだ後、26才でブリストルの提督ご令嬢と結婚、ブリストル商人の投資々金で私掠船遠征航海船隊を編成、世界1周航海を成功させ、帰国後は一躍国家的英雄となり、その航海途上で顔を負傷し弟を亡くしましたが、体験談にセルカークの救出などを記し、出版して成功をおさめ、後のダニエル・デフォーのロビンソンクルソー漂流記の元になりました。その後、乗組員や東インド会社から略奪品の分け前を要求されて裁判沙汰になり、財政危機に陥りました。再度の私掠船遠征航海で、マダガスカル島へ遠征して成功しました。国王ジョージ1世にバハマ総督に任命され、1718年にバハマに殖民船団を率いて渡り、バハマの海賊を掃討して、海賊黒髭エドワード・ティーチ船長を海賊共和国の大統領から追放、カリブの海賊制圧に大きな役割を果たしました。海賊の多くに恩赦を与える一方で、悪名高く強力な海賊に対しては恩赦を与えず、捕らえて絞首刑で吊るしました。第2回目のバハマ総督就任で現地に渡って、本国に戻ることもなく亡くなりました。
ウッズ・ロジャース船長 (1679〜1732/7/15)
  Woodes Rogers

   イギリス私掠船々長、バハマ初代・第2代総督、バハマ諸島ナッソー53才没
ウッズ・ロジャーズは成功者の父ロジャース船長(fishing Captain Woods Rogers)の長男として生まれ、幼少時はイングランドのポール(Poole, England)で地元の学校に通いました。彼の父親は共同経営のニューファウンドランド漁業船団(Newfoundland fishing fleet)の多数の漁業船を持っており、毎年9ヵ月間も船長として船に乗り組んで出漁していました。1690年(11才)に父ロジャース船長は家族を連れて、ブリストル(Bristol、1696年迄)に移りました。1691年に彼が12才半ばの時に、父が海で亡くなり、船と家業の漁業経営を相続しました。1697/11月にロジャースはブリストルの船長ジョン・イーマンス(mariner John Yeamans)のニューファウンドランド漁業船団(Newfoundland fleet)で、船乗りの修業を積みました。1697年(18才)に年を取リ過ぎてはいましたが、7年間年季奉公(seven year apprenticeship)で見習い水夫として船に乗り、海に出ました。1704/11月に年季奉公が明けて、1705/1月に近所にすんでいた親戚の友人の提督(海軍少将)ウィリアム・ウェストーン卿(Rear Admiral Sir William Whetstone ?-1711)の令嬢(長女)サラ(Sarah)と結婚したので、ブリストル自由人(freeman of Bristol)となりました。1706〜1708年の間に男子1人と娘2人を授かりました。

ロジャーズ船長の大航海:〜
 (1)世界一周私掠船遠征大航海:1708/8/1〜1711/10/14:デューク号とダッチェス号
 (2)マダガスカル私掠船遠征航海:1713〜1715
 (3)第1次バハマ航海:ブリストル1718年出帆:殖民船7隻、護衛艦3隻〜1721/4ロンドン帰港
 (4)第2次バハマ航海:ロンドン1728年出帆〜1732年ニュープロヴィデンス島ナッソー没

ロジャーズ世界一周私掠船(海賊)遠征大航海隊
  世界一周プライヴェイティア(私掠船)遠征航海(Privateering expedition)
1701年にスペイン継承戦争(War of the Spanish Succession 1701-1714)が勃発しました。1702年イギリスの主な海の敵はフランスとスペインになり、多くのブリストル船舶に他国商船拿捕の免許状(marque:私掠船)が与えられ、敵船舶を襲撃・略奪することが許されました。ロジャース船長の持ち船の少なくとも4隻が許可状を与えられました。その一隻は叔父が名づけたウェストストンーン・ギャレイ号(Whetstone Galley 130t)というアフリカ航路の奴隷船でしたが、出帆前に免許状を受領するも、アフリカに着く前にフランスに捕獲されました。ロジャースはそれ以上の損害を出さないために、フランスとスペインの領土や船に対する海賊(私掠船)として行動することにしました。1707年遅くに父の友人で航海士(navigator)のダンピール船長が戦争中だったスペイン領への私掠船(海賊)航海の話を持ちかけてきました。 海賊旗を掲げる私掠船

タンザニア 1994 発行
ダンピール船長は2隻の私掠船々団セント・ジョージ号(26-gun government ship St. George )とシンク・ポーツ号(Galleon Cinque Ports 98t 16-gun, 1703-1704)で、第3回ダンピール遠征隊(1703〜1707)を編成して、1703/4/30にイギリスを出帆し、南アメリカ太平洋岸沖で、スペインの小型船舶3隻とガレオン船(550屯)を略奪した後に両船は別れ、シンク・ポーツ号は1704/11月に船食い虫被害の船底水漏れでコロンビアから400kmのマルペロ島(Malpelo Island)近くにて沈没しました。ダンピール船長は反乱を起こされたその遠征失敗の航海から、1707年にイギリスに帰国したばかりでした。それを知らなかったロジャースは私掠船航海に同意しました。遠征航海の資金調達は叔父の助けもあって、ブリストル商人達(Bristol community)が提供〈投資)しました。

ロジャース世界一周プライヴェイティア(私掠船)船隊:〜
  遠征計画時の編成
  ・デューク号〜フリゲート型320屯30門船、定員210人乗組(リスト
   (frigate Duke 320t 30gun:公爵号)
  ・ダッチェス号〜フリゲート型260屯26門船、定員123人乗組(リスト
   (frigates Duchess 260t 26gun:公爵夫人号)

1708/8/1にロジャース船長はデューク号に船長で、ダンピール船長は航海長(sailing master)として乗船し、ダッチェス号との2隻の船隊がティンカー(tinkers:鋳掛屋)、テイラー(taylors:仕立屋)、ハイメーカー(hay-makers:乾草屋)、ペドラー(pedlers)、フィドラー(fidlers)、黒人1人と、少年のボーイ10人など、333人の野郎共と、スペイン船への通商破壊工作プライヴェイティア(私掠船)遠征として、それはスペインにとっては海賊に他なりませんでしたが、3年間の世界1周遠征航海にブリストル港を出帆しました。折悪しく、出帆後まもなく嵐で船が傷んだので、アイルランドに寄港して修理のため1ヵ月を費やしました。その間にブリストルで乗組んだ40人の不遜な乗組員を解雇して、新乗組員を雇い入れて入れ替えました。ところが、新規雇い入れ乗組員のオランダ人(Dutch)、デンマーク人(Danish)やその他の外国人は、中立のスウェーデン船を襲撃することを許さなかったロジャース船長に反乱(mutiny)を起こしたので、鎮圧して首謀者を鞭打たせ逮捕して、イングランドに他船で送還しました。仕方なく反乱に加わった者には食料の配給を減らす軽微な罰を与えて済ませました。

アイルランドを出帆して、ホーン岬南のドレーク海峡(Drake Passage)から太平洋を目指しました。そして、両船は南アメリカ南端の凍りついたドレーク海峡へ突入しました。ところが当時は寒さをしのぐのにアルコールが良いとされていましたが、そのアルコールも、暖かい衣類も無く、船も乗組員も凍りつきました。その時に、カナリア諸島のテネリフ島(Tenerife)に寄港して、ワインを積み込んで貯蔵することも、寒い天候に備えて毛布を準備することもしなかったことに気付いても、後の祭りでした。両船は困難な海峡越えを体験して、南極圏の南緯62度に到達しました。「前人未到の南方極地海を航海して、誰も発見しなかった南極海に最接近した」とロジャース船長が航海日誌に記録しました。なお、南極海は南緯60度以南の海域です。

ロジャース船長は壊血病対策として、当時は他に方法がなくて柑橘類のライム(Lime)を船に積んで貯蔵していましたが、太平洋に着くと使い果たして、7人をビタミン欠乏性疾患としての壊血病で亡くしました。ロジャーズ遠征隊は太平洋を北上して、スペインの修道士ウルダネータ船長が発見した、フィリピン・マニラ〜メキシコ・アカプルコ間のマニラ・ガレオン船航路のスペイン船舶を狙いました。第2章セルカークへ続く。

・参考HP:〜
プール付近の地図(プールはワイト島の西に有)
プールの場所地図(プール〜シェルブール連絡船図)
ブリストルの場所地図
イングランドの場所地図
イギリスの地図(日本語、プールはボーンマス南・ブリストル・ロンドン有)

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。    11/10/11

★ロジャース物語:遠征航海、第2章セルカーク、第3章航海日誌、第4章バハマ
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