Sri Lanka

国連 1981 発行

スリランカ
Democratic Socialist Republic of Sri Lanka

大航海物語
  地図編
SRI LANKA
インド   セイロン島       スリランカ(セイロン島)の場所地図




ロンボ



インド洋
                イギリス国旗    スリランカ国旗
エリザベス女王訪問記念
スリランカ 1981/10/21 発行
シギリヤの岩絵

スリランカ 1973/9/3 発行
紅茶の茶摘み

スリランカ 1985 発行

CEYLON
コロンボ港
英国王ジ

|ジ
5世
セイロン 1936 発行
アジア・ハイウェイ(赤線)の地図

1947 国連エカフェ25年記念 1972
セイロン 1972/5/2 発行
仏歯寺 (Tooth Temple

セイロン 1947/11/25 発行
アジア象

セイロン 1938-52 発行
天然ゴムの採取
英国王ジ

|ジ
セイロン 1935 発行

スリランカ民主社会主義共和国
 Democratic Socialist Republic of Sri Lanka

面積:65,610ku(日本国北海道の約0.8倍)、人口:20,238,000人(2008)、通貨:スリランカ・ルピー(LKR)、独立:1948/2/4(イギリスより)、1番切手:1972/5/22スリランカ切手発行(英領セイロン:1857-1972発行)。首都:スリジャヤワルダナプラコッテ(Sri Jayawardenepura Kotte、旧首都はコロンボ)。国名はシンハラ語で、スリ=光り輝く、ランカ=島であり、「光輝く島」を意味しています。GDP(国内総生産)約1.360億ドル(2013)PPP:購買力平価説(64位)、1人当 6,530ドル、2012年の(国際比較はこちらを参照)。

スリランカは、南アジアのインド半島の南東にポーク海峡を隔てたところの共和制国家。1972年まではセイロンと称していました。島国であり、現在もこの国のある島をセイロン島と呼びます。国名をスリランカに改称したシリマヴォ・バンダラナイケは世界初の女性首相で、国民の7割が仏教徒。

紀元前5世紀、シンハラ人が北インドから移住して王国を建国
紀元前3世紀、アショーカ王の王子マヒンダが仏教を伝えて以後、スリランカは上座部仏教
        (小乗仏教)の中心地として、現在までその信仰を守る
紀元前2世紀以来、ヒンドゥー教徒タミル人の侵攻に対し、シンハラ人は仏教を守り、文化を育てる
5世紀、アヌラーダプラ(Anuradhapura)を治めていた父王を殺した王子カッサパ1世が
     シギリアロックの岩山の頂に宮殿を築く
11世紀後半、首都は中部(アヌラーダプラ南東90km)のポロンナルワ(Polonnaruwa)におかれる
13世紀、タミル人の侵入が激しくなる
15世紀初頭、鄭和が来島し、中国・明の朝貢国となる
1505、ポルトガルアルメイダ提督がコロンボに商館を建設し植民地化(1505−1658)
     植民地都市ゴールが建設される
1518、ポルトガルのアルベリガリア船長が大艦隊で攻撃・上陸、コロンボ要塞を建設
1658、ポルトガルに代わりオランダ東インド会社が植民地化(1658−1796)
1782/1/08、イギリスがセイロン島北東部海岸の要衝トリンコマリ港を占領
1782/8/31、フランスサフレン提督がトリンコマリのイギリス軍要塞を攻撃
1796、イギリスがコロンボを占領して植民地化を始める(1796−1948)
1802、イギリス本国の直轄植民地(crown land)になり、
     アミアン講和条約でイギリスの領有が確定する
1815、イギリス軍はキャンディに入り、王権は消滅し
     ウィーン会議でオランダからイギリスへの譲渡が正式決定
1832、コールブルックの改革(〜1833)で、全土が均一に支配されるようになる
1853/3/10、アメリカペリ−提督が日本渡航の途上にセイロン港到着、〜3/15出帆
1891、ダルマパーラが大菩提協会(Maha Bodhi Society)を創立
1923、植民地支配当局がラジオ放送を開始
1931、ドナモア憲法(Donoughmore Constitution)が制定され、
     アジア初の普通選挙法が施行される
1941/12/8、太平洋戦争が勃発
1942/4/5、大日本帝国海軍航空部隊がセイロン島コロンボを空襲
1945、8/15:大日本帝国・無条件降伏(9/2:第2次世界大戦終結
     終戦後、英植民地に戻って、
1948/2/4、イギリスのインド撤退政策の一環として、国名をセイロンとして、
      イギリス連邦内で英国王を元首に頂く英連邦王国(コモンウェルス、Commonwealth)で独立
1951、サンフランシスコ講和会議において、セイロン代表として会議に出席していたジュニウス・
     リチャード・ジャヤワルダナ蔵相(後、スリランカ第2代大統領)は
     「日本の掲げた理想に独立を望むアジアの人々が共感を覚えたことを忘れないで欲しい」
     「憎悪は憎悪によって止むことはなく、慈愛によって止む」という仏陀の言葉を引用して、
     対日賠償請求を放棄する演説を行う
1959、第4代首相ソロモン・バンダラナイケが仏教僧に暗殺される
1960、シリマヴォ・バンダラナイケが世界初の女性首相となる
1972/5/22、共和制に移行し、国名をスリランカ共和国に改称
1978、議院内閣制から大統領が執行権を行使する大統領制に移行し、現国名スリランカに改称
1979/6/5、通称:家族チャンネル(Family Channel、Independent Television Network)テレビ放送開始
1984、コロンボから南東にあるスリ・ジャヤワルダナプラ・コッテへ遷都するも、
     行政庁舎は旧首都コロンボに留め置かれる
1992、民間のテレビ放送局が認可され、ニュース以外を報じ開始
1987、反政府組織LTTE(タミル・イーラム解放のトラ)が独立宣言し、内戦が続くも、インドの介入
     を受けたり、ノルウェーの調停で一時停戦したりするが、散発的なテロが続いたので、再び
     戦いが起こる。途中停戦や少数民族の自治権を認める法制定の動きもあるが結局白紙に
2002、LTTEとの停戦合意
2008、LTTEとの停戦合意を正式に破棄すると発表
2009/5月、LTTEの首謀者ヴェルピライ・プラブハカラン
      (Velupillai Prabhakaran,1954-2009/5/18)が戦死して、内戦が終結。

スリランカは9つの州(Province)に分かれている、州の人口(2001)、州都。
1)中部州(Central))、面積:5,674ku、人口:2,423,966人、キャンディ(Kandy
2)北中部州(North Central)、面積:10,714ku、人口:1,104,664人、アヌラダープラ(Anuradhapura)
3)北部州(Northern)、面積: 8,884ku、人口:1,311,776人、ジャフナ(Jaffna)
4)東部州(Eastern ))、面積:9,996ku、人口:1,460,939人、トリンコマリ(Trincomalee
5)北西部州(North Western)、面積:7,812ku、人口:2,169,892人、クルネーガラ(Kurunegala)
6)南部州(Southern)、面積:5,559ku、人口:2,278,271人、ゴール(Galle)
7)ウバ州(Uva)、面積:8,488ku、人口:1,177,358人、バドゥッラ(Badulla)
8)サバラガムワ州(Sabaragamuwa))、面積:4,902ku、人口:1,801,331人、ラトゥナプラ(Ratnapura
9)西部州(Western)、面積:3,709ku、人口:5,361,200人、コロンボ(Colombo)。

参考:〜
・キャンディ (世界遺産)
 Kandy

キャンディはスリランカ中部州の州都。16世紀後半に栄えたシンハリ朝(Sinhala Kingdom, BC543-1815)最後の都である。人口は約11万人。またスリランカ中部では最大の都市部で、地域経済の中心地です。仏教の聖地として、1988年に、「聖地キャンディ」の名前で、ユネスコ世界遺産に登録されました。仏陀の犬歯があるとされる仏歯寺(Tooth Temple:ダラダー・マーリガーワ寺院)があります。
ダラダー・マーリガーワ寺院

<スリランカの世界遺産>
・文化遺産
 ・聖地アヌラーダプラ (Sacred City of Anuradhapura、1982)
 ・古都ポロンナルワ (Ancient City of Polonnaruwa、1982)
 ・古都シーギリヤ (Ancient City of Sigiriya、1982)
 ・聖地キャンディ (Sacred City of Kandy、1988)
 ・ゴールの旧市街と要塞 (Old Town of Galle and its Fortifications、1988)
 ・ダンブッラの黄金寺院 (Golden Temple of Dambulla、1991)
・自然遺産
 ・シンハラジャ森林保護区 (Sinharaja Forest Reserve、1988)
 ・スリランカの中央高地 (Central Highlands of Sri Lanka、2010)。

・シギリア・ロック (シギリヤ岩) 世界遺産
  Sigiriy Lock

シギリア・ロックは火山のマグマが固まった岩で、形状は楕円柱、高さは370m、全方位垂直の赤褐色の岩が上部に張り出しています。スリランカ国内7つの世界遺産のうちの1つ「古代都市シギリヤ」(1982)。

シギリヤ(Sigiriya)はスリランカ中央部の古代遺跡で、そこのシギリア・ロックは、古代では仏教僧の修行の場だった。カシャパ王(Kasyapa、477-495)が実父のダートセーナ王(Dhatusena 455-473)を殺害して王位を奪い、シギリア・ロックの上に宮殿を建て、インドに亡命していた異母弟モッガラーナ(Maudgaanaaly)の仇討を恐れて11年間暮らすも、495年に戦いに敗れて自刃し、勝ったモッガラーナは都をポロンナルワに移しました。21世紀の現在でも岩山に登れば宮殿跡を見ることができます。

1400年後の1831年イギリスのフォーブス少佐(Major Jonathan Forbes of
ハスを持つシギリヤ・レディ

シギリヤの岩絵
the 78th Highlanders of the British army)が草に覆われたシギリア・ロックを発見。1875年にイギリス人が岩山に描かれたフレスコ画の"シギリヤ・レディ"を発見。1890年にイギリスの考古学者ヘンリー・ベル(Harry Charles Purvis Bell 1851-193)が最初に調査(1890-1912)しました。

・シリマヴォ・バンダラナイケ
 Sirimavo Ratwatte Dias Bandaranaike
  (1916/4/17〜2000/10/10)

シリマヴォ・バンダラナイケは、夫でスリランカの第4代首相ソロモン・バンダラナイケが、1959年に仏教僧により暗殺された後、政界に身を転じた世界初の女性首相であり、1960-1965、1970-1977、1994-2000年の3度首相に登板。外交政策は親ソ連。中国の協力で後にコロンボ最大の会議場として多くの重要な会議が行われるブミチャ(BMICH)バンダラナイケ記念国際会議場が建設される(そのため、毛沢東像が有)。第5代スリランカ大統領チャンドリカ・クマーラトゥンガは娘。
セイロン島 バンダラナイケ首相
国際女性年記念 1975
セイロン 1975/12/22 発行
紅茶の茶摘み 1975 世界観光年10年記念 1985

スリランカ 1985/9/27 発行
参考地図HP:〜
 セイロン島(日本語)
 スリランカ(セイロン島)の州区分Tooth Temple(参考HP)
 セイロン島コロンボ地域
 セイロン島トリンコマリ地域
 ※セイロン島の文化遺産の場所地図(HPが乗っ取られている 2011/10/30)
 ※危険なHP:→ http://www.99hero.com/?f

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。   09/6/6、11/5/15、2019/9/29、令和元年 R.1/12/13(金)

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