★イギリス
チャールス・グリーン
1769/06、タヒチ島で「金星の太陽面通過」を観測
1769/11、ニュージランドで「水星の太陽面通過」を観測

大航海物語★
AUSTRALIA
チャールス・グリーン(天文学、左)
グリ|ン バンクス
ランダ|
1770 クック船長オーストラリア発見200年 1970
オーストラリア 1970/4/20 発行
TUVAL
タヒチ島とニュージランドで
天文観測をするグリーン


1779 クック船長没後200年記念 1979
ツヴァル 1979/2/14 発行

Norfolk Island
タヒチ島「金星の太陽面通過」観測の地図
タヒチ島の太平洋での場所地図
金星観測と四分儀

四分儀
金星の太陽面通過観測調査200年記念
ノーフォーク島 1969/6/3 発行
NEW ZEALAND
クック船長の第1回探検の乗船
エンデバー号に乗船 1768-1771


HM Bark Endeavour
ニュージランド 1995/2/9 発行

イングランドのグリニッジ天文台で働いていたグリーンは 1768年にロンドン王立協会が決定した「金星の太陽面通過」観測隊員に選ばれて、クック船長のエンデバー号による太平洋探検航海に参加し、タヒチ島で「金星の太陽面通過」観測に成功しました。ニュージランドでは「水星の太陽面通過」観測にも成功しましたが、エンデヴァー号がバタヴィアで修理中に伝染病に感染し、バタヴィア出帆間もない帰路の船上にて、赤痢にて37才で亡くなりました。
チャールス・グリーン (1734〜1771/1/29)
 Charles Green

チャールス・グリーンは1760年にイギリスのロンドンでグリニッチ(Greenwich)王室天文台(Royal Observatory)の王室天文官(Astronomer Royal)ジェームス・ブラッドリー(James Bradley)のもとで助手を務めて、その後継者ナサニエル・ブリス(Nathaniel Blis)の助手になり、ブリスが急死すると、ネヴィル・マスケリン(Nevil Maskelyne)の助手にになっていました。

1768年にロンドン王立協会(London Royal Society)が決定した「金星の太陽面通過」(transit of Venus)と「水星の太陽面通過」(transit of Mercury)観測をするため、クック船長の第一回航海(1768〜1771)に同行を命じられ、エンデバー号による南太平洋探検航海に天文学の責任者として参加しました。南太平洋地域のタヒチ島で、1769/6/3に「金星の太陽面通過」観測に成功し、ニュージーランド北島コロマンデル半島(Coromandel Peninsula)のマーキュリー湾(Mercury Bay)で、1769/11/9に「水星の太陽面面通過」観測に成功しました。帰路にバタヴィア(Batavia、現:ジャカルタ:Jakarta)出帆後間もない、1771/1/29に船上にて赤痢(dysentery)で亡くなりました。

天文学グリーンのエンデヴァー号大航海:〜
1768年:〜:
08/26、イギリスのプリマスをエンデバー号で出帆、ホーン岬から太平洋へ航海
09/14、マデイラ諸島フンシャルに到着
12/25、ホーン岬(Cape Horn)を回航、ドレーク海峡を西へ航海して太平洋を西へ横断航海
▼1769年:〜:
04/09、ポリネシアのトゥアモツ諸島に到達
04/13、タヒチ島到着、マタヴァイ湾(Matavai Bay)に投錨、上陸して砦を建設し、
     島の先住民との友好親善を深めながら天体観測の準備
04/17、画家ブッチャンが亡くなる
06/03、「金星の太陽面通過」(Transit of Venus)を観測に成功
06/05、国王誕生日(6/4)を祝って現地の王を招いて
     祝賀会を開催
06/12、水夫のサーマン(John Thurman)と
     ニコルソン(James Nicholson)が現地人の弓矢を
     奪ったことが証明されたので、鞭打ちの刑24回
06/13、パンの木の実を現地人から購入
06/14、鉄熊手の盗難で現地人と小競り合い発生
金星の太陽面通過と四分儀

ニュージランド 1969/10/9 発行
06/26、タヒチの海図を作製のためタヒチ一周航海へ
06/27、現地のダブル・カヌーを見る
07/13、タヒチのマタヴァイ湾を出帆、ソシエテ諸島の海図を作製の探検航海のため、
     フランス領ポリネシアのソシエテ諸島へ向かう
08/10、ソシエテ諸島を出帆、
     「未知の南方大陸」を求めて南方へと航海
10/06、マスト先西北の夕陽のかなたに島影(ニュージーランド北島)を発見、
10/08、陸地(ニュージーランド北島)に接近、断崖絶壁と緑におおわれた山を見る
10/09、小さい川の川口の穏やかな湾に投錨、
     ニュージーランド北島の東岸ポヴァティー湾(Poverty Bay)に到着
10/11、多くのカヌーが近寄ってくる、ポヴァティー湾を出帆
10/14、大きな湾でトウパイアの従者ティアタ(Tiata)をカヌーが連れ去るも取戻し、
     そこをキッズナッパー岬(子さらい岬:Cape Kidnapper)と命名、そしてホーク卿
     (Sir Edward Hawkes)に因んでホーク湾(Hawkes Bay)と命名、3日間を過ごす
10/17、ターナゲイン岬(Cape Turnagain)を命名、
     北へ転舵して戻る
10/20、岬を回った湾に停泊、カヌーが来て、本船に上がってきた者に甘くて美味しい
     イギリスのトライフル(Trifles)ケーキをやって追い返す
10/31、北島の最東端をイースト岬(East Cape)と命名、
     ランナウェイ岬(Cape Runaway)と呼んだ所を回りこんだ湾を
     ヒックス(Lieutenant Hicks)が最初に見つけたので、ヒックス湾(Hicks's bay)と命名
11/09、ニュージーランド北島コロマンデル半島(Coromandel
     Peninsula)のマーキュリー湾で水星の太陽面通過を観測
     成功してそこをマーキュリー湾(Mercury Bay)と命名
▼1770年:〜:
02/13、ニュージーランドを探検航海中に南島の西南に有る湾(入江)
     への開口部を調査し、ダスキー湾(Dusky Bay)と命名
04/01、南島の北西端を航行して、ニュージーランド最後の岬を
     フェアウェル岬(Cape Farewell、お別れ岬)と命名、
     オーストラリア(New Holland)へと、西方へ航行
水星の太陽面通過の天文観測
04/18、今朝もピンタード鳥(Pintado bird)やアホウドリ(Albetrosses)などを見かける
     これは陸地が近い証拠で、タスマンの地図に有るファン・ディーメンス・ランド
     (Van Diemen's Land、タスマニア)の東岸が西方にあることを天体観測からも確信
04/19、オーストラリア東岸の陸地を望見、ヨーロッパ人で最初の発見者となる
     最初に見つけたのがヒックスだったのでポイント・ヒックス(Point Hicks)と命名
04/20、ニューサウスウェールス州とヴィクトリア州の境にあるオーストラリア最南東端の
     ハウ岬(Cape Howe)を回航してリチャード・ハウ提督(Richard Howe、1726-1799)
     にちなんで「ハウ岬」と命名
04/26、現在のジャーヴィス湾(Jervis Bay)沖を航行
04/27、海岸に現地人とカヌーを見つけてボートで接近するも、接触せずに戻る
     カプリコーン岬(Cape Capricorn)、
     ケッペル湾(Keppel Bay)を命名、投錨
     日中は海岸や島に煙を、夜間には火を見て、飲料水汲みをせず
     マニフォールド岬(Cape Manifold)命名
04/28、タウンズヘッド岬(Cape Townshend)を回って風除けに都合のよい湾を見つける
04/29、ボタニー湾に上陸
クック船長は、ボタニ−湾カーネル半島クロヌラ砂丘(Cronulla sand dunes, Kurnell Peninsula)の現:シドニー付近(シドニー・コーヴ、Sydney Cove)で上陸して「ニュー・サウス・ウェールズ」(New South Wales)と名付け、イギリスの領有を宣言しました。アカエイが捕れたので”スティングレイ・ベイ”(Stingray Bay)と呼びました。ジョセフ・バンクス男爵ダニエル・ソランダー博士ヘルマン・スペーリング氏らは大量の植物標本の収集を行ない、この湾は植物が豊かな土地であることが発見され、バンクス男爵らが採集したこれら珍しい植物標本の採集を記念して、ボタニー湾(Botany Bay、植物学の湾)と命名されました。
05/06、ボタニー湾を出帆、北方へ3リーグ(leagues=3miles=約4.83km、14.25km)航行し
     安全な投錨場所を発見、停泊してポート・ジャックソン(Port Jackson)と命名
05/07、北方へ航海、ブロークン湾(Broken bay)を発見・命名
05/15、現在のソリタリー諸島(Solitary Islands)沖で島々を発見
     南緯28°37′の所の岬をバイロン艦長に因んでバイロン岬(Cape Byron)と命名
05/25、南回帰線(Tropic of Capricorn)を越える、カプリコーン岬(Cape Capricorn)と命名
05/28、タウンシェンド岬(Cape Townshend)命名
06/08、ポイント・ハイロック(Point Hillock)、ハリファックス湾(Hallifax bay)、命名
06/10、トリニティ湾(Trinity Bay)、トリビュレーション岬(Cape Tribulation)命名

06/11、オーストラリア東岸のグレート・バリア・リーフ(Great Barrier Reef)を北上しながら探検航海している時に、現在のピッカースギル珊瑚礁(Pickersgill Reef)で珊瑚礁(Coral Reef)の浅瀬(Coral Rocks)に乗り上げて座礁して動けなくなりました。船底を大破して進水してきたので、全て
の帆を降ろし、船を軽くするために、目印の浮標を付けた大砲、鉄や石のバラスト用の重り(Ballast)、樽(Casks)の飲料水も汲みだし、樽も捨て、桶用の金輪(Hoop Staves)、オイル用壺(Oil Jarrs)その他傷んだ船舶用貯蔵品(decay'd Stores)などなどの重量物を全て放棄、海上へ投棄しました。そこをエンデバーリーフ(Endeavour Reef)と名付けて、後で回収できるようにしておきましたが大砲は回収できませんでした。翌日の満潮時に船体が浮いたので、合計5つの錨に船をボートに繋いで引いて珊瑚礁から離脱しょうと何度か試みて夕刻にやっと砂浜まで引き出して エンデヴァー号が珊瑚礁で座礁

トーゴ 1979/2/12 発行
修理にとりかかりました。修理が行われている間は、エンデバー号乗り組みの者達は上陸しました。そこはクイーンズランドのエンデバー川(Endeavour Rivwe)と名付けた川の河口で、現在のクックタウン(Cooktown)の船着き場の近くでした。修理は約7週間(6/12〜8/4)行われましたので、バンクス卿、ソランダー博士、スペーリング氏らは植物標本の収集を行ない、画家パキンソンは植物のスケッチに専念ました。オーストラリア東岸の探検航海は通算して4ヵ月(4/19〜8/20)に達しました。(注):〜青色の地名は現在も使用されていることが確認できる所。

08/05、エンデヴァー川から、タートル・リーフ(Turtle Reef)に移動、投錨、停泊に成功
08/06、エンデバー号が修理完了し、ピンネス船で探りながら離礁に成功、
     出帆して季節風(6-10月)の順風に乗って北上を開始、
     「北東々(North-East by East)に進路を取れ!」
08/10、フラッタリー岬(Cape Flattery)に投錨
08/20、ヨーク岬半島(Cape York Peninsula)北端に到着
     ヨーク半島の間のエンデヴァー海峡からトレス海峡へ
08/22、トレス諸島南端のエンデヴァー海峡の
     ポゼッション島(Possession Island)に上陸
08/23、ブービー島(Booby Island, Queensland)に上陸
08/24、ブービー島出帆、トレス海峡を通過
08/28、ニューギニア南岸を望見
08/29、サブ島(Savu or Sawu)を望見
その後、西方へ航海後、
北上してトレス海峡を通過して、ニューギニア南岸方面を探検航海。
▼1770年:〜:
08/31、ニューギニア南岸ワルシェ岬(Cape Walsche, New Guinea)を西へ航海
     ニューギニア付近の海図を作成しながら航海
09/07、ウェセルス島(Wessels Isle)を望見
09/10、チモール島(Timor)を望見
09/16、ダンピールがアナボア島と呼んだチモール南端のセマン島(Seman)に達し望見
09/17、その西のサウ島(Savu、Sawu)に投錨
     牛、豚、羊(Buffaloes, Hogs, Sheep)などの食料を購入調達
09/19、オランダ総督とサルタンとで船上会食
09/20、サルタンの王宮を訪問
09/21、サウ島を出帆、西方へ航海
10/01、スンダ海峡(Sunda Strait)に南から進入
10/10、ジャワ島のオランダ東インドの首都バタビア(現:ジャカルタ)に入港して、
     クリスマス迄滞在し、傷んだ船体を修理、海図を作成

1770/10/10にエンデバー号が修理のためにバタヴィア(Batavia)に入港すると、多くの乗組員が同地で流行していた赤痢(dysentery)とマラリアにに感染しました。グリーンもその例外ではありませんでした。

12/18、画家レイノルズが亡くなる
12/26、バタビアを出帆、
     「北西(North by West)へ進路を取れ!」
12/31、バンタン(Bantam Point)沖を航海
▼1771年:〜:
01/01、スンダ海峡の向うにスマトラ島を望見
01/02、スンダ海峡のクラカタオ島(Cracatoa)とジャワ島の間を南へ航海
01/06、プリンセス島(Princes Island, Sunda Strait)に投錨、飲料水を補給後に出帆
01/23、スンダ海峡を抜ける
01/24、植物学のスペーリングが亡くなる
01/26、画家パーキンソンが赤痢で亡くなる
01/29、天文学のグリーンが赤痢で亡くなり、海軍葬をもって丁重に水葬に付されました。

その後のエンデヴァー号は
07/12、イギリス海峡からビーティ・ヘッド(Beachy Head)通過
     サセックス州のダウンズ(Downs、Sussex)に到着、
07/15、エンデヴァー号はマラリアと赤痢で23人の犠牲者を出す苦しい航海の後に
     英仏海峡ドーバー港(Dover、Kent)に入港、イギリスに帰国しました。

参考:〜
水星の太陽面通過
  transit of Mercury

水星の太陽面通過は地球から観測すると、1世紀に13回か14回の割合で起こります。地球における水星の太陽面通過とは、水星が地球と太陽のちょうど間に入る天文現象で、最近では2003年と2006年に起こりました。次は2016年と2019年に起こりますが、日本で見られるのは2032年になります。クック船長の第一回探検でのエンデバー号航海で
衛星(Uranus)とボイジャー

USA 1991/10/1 発行
はニュージランド北島で、1769/11/9にチャールス・グリーンが観測に成功しました。

参考HP:〜
 ・ニュージランド北島コロマンデル半島の場所地図

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。   10/7/29
スタンプ・メイツ
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