★スペイン ポンセ・ド・レオン
1513
”フロリダ”命名
大航海物語★

ESPANA

スペイン 1960/10/12 発行
ESPANA
”ここに眠れるは、その武勇に秀でしこと、
冠せし名に違うことなく、
これまことのレオン(獅子)なり”
と墓碑銘に刻まれている

スペイン 1975 発行

フロリダ半島 USA
ポンセ・ド・レオン

アメリカ 1982/10/12 発行
レオンは獰猛なグレイハウンド犬を連れていた
図案は英グレイハウンド犬


サンマリノ 1956/6/8 発行

Turks & Caicos Islands
スパニッシュ
・カラヴェル船
ポンセ
・ド
・レオン
タークスカイコス諸島 1972/7/4 発行
CUBA
フロリダ半島

ユカタン半島・キューバ・ハイチ
ジャマイカ島

フロリダ→



キューバ島→

ジャマイカ島→





ニカラガ→
コスタ・リカ→
パナマ→
ポルトベロ(赤丸)→

カリブ海沿岸の地図

ジャマイカ 1992 発行
←イスパニョーラ島
←プエルトリコ島






←カルタヘナ(赤丸)
←ギヤナ
←南米大陸


ポンセ・ド・レオンは、富と名声を求めて新大陸へ渡ったスペインのコンキスタドール(征服者)で、1508年にプエルトリコを征服して総督となりました。また、探検家として、1513年にはフロリダ半島の命名者となり、フロリダ海峡の発見者にもなりました。生涯に3回の大西洋横断航海をなし、キューバ島で亡くなりました。

フアン・ポンセ・ド・レオン
 Juan Ponce de Leon(1460頃〜1521)

ポンセ・ド・レオンはスペインのサンセルバス・デ・カンポスで生まれました。家柄は貴族の身分でしたが、多くの貧乏貴族の例にもれず、軍人となって富と名声を獲得しようと考え、10年におよぶスペインのグラナダ・イスラム王国に対するレコンキスタ(国土回復運動)に参加した後、コロンブスの航海成功の話に魅せられ、一旗上げるべく1493年のコロンブスの第2回航海に参加して、大西洋を横断、タークス・カイコス諸島のグランドターク島(現コックバーンタウンがある場所)へ最初に上陸し、その後に「ヒスパニョウラ島」へ渡りました。そこでインデイオの反乱を制圧した時にインディオから、東隣のポリケン(プエルトリコ)島に黄金があると聞き、4年後の1508年にプエルトリコ島に渡って島を征服しました。その時、「ペルセリ−リョ」という名のグレイハウンド犬を連れていたのが、彼に勝るとも劣らぬ大暴れをして、インディオ達を震え上らせたという逸話を残しています。そして総督として島を統治しました。1511年にはバハマ諸島のサン・サルバドル島(コロンブスが最初に到達した島)へ上陸して先住民を追っ払いました。1512年にプエルトリコ島総督を解任されました。

総督の地位は降りましたが、当時キューバの北西海上に有ると信じられていた「ビミニ島」、そこにはヨーロッパに伝わっていた伝説の不老長寿の「霊泉」と黄金郷”エル・ドラード”が有るとインディオに聞いていたので、スペイン国王と交渉して、その島の開拓権利を手に入れました。この霊泉はエデンの園にあり、その位置はアジアのどこかであるという、コロンブスの航海直後の事でもあり新大陸がアジアと信じられていたので、その話に飛びついたわけです.。

そして1513/3/3にレオンはプエルトリコを出帆し、1ヵ月後にフロリダ半島北東部のセントジョーンズ川の河口近くに投錨しました。レオンはフロリダを初めて見た1513/3/27にそこを島だと思いましたが、4/2に東海岸に上陸、眼前の土地が花咲き匂う美しい景観を呈していることに感動し、到着した日が、おりしもイースター(復活祭)の日だったので、スペイン語の”花咲き匂う復活祭”(バスクワ・フロリダ)の名にちなんで「ラ・パスクア・フロリダ」と命名しました。その後、南へ船を進めて、メキシコ湾の潮がすさまじい勢いで流れ込んでいる海峡を発見しました。これがフロリダ海峡で、後に、新大陸の財宝を積んだスペインの船隊が利用することになりました。その後もフロリダ半島の東海岸を探検したのち、メキシコ湾岸のペンサコラ湾まで航行して、プエルトリコへ帰りました。

1514年にスペインへ戻り、自費で”フロリダ島”を殖民する権利を手に入れ、1521/2月に植民者達を乗せた彼の一行は、フロリダ半島のシャーロット・ハーバーの近辺に上陸しましたが、すぐさまインディアンの格好の襲撃の的となり、さんざんに痛めつけられ、開拓地建設を断念せざるをえなくなりました。インディアンとの戦いで負傷したレオンはキューバに帰着して数日後61才頃で亡くなりました。遺体はプエルトリコに移されて埋葬されました。墓碑銘には”ここに眠れるは、その武勇に秀でしこと、冠せし名に違うことなく、これまことのレオン(獅子)なり”と刻まれているそうです。

参考:〜
グレイハウンド犬
  Greyhound

グレイハウンドは、ウサギなどの小動物を狩るために作出された狩猟犬種である。サイトハウンド犬種のひとつであり、俊足でスタイルがよく美しい犬種であるため、ヨーロッパでは貴族のみが飼育・所持を許された特別な犬種だった。アフリカなどにも
英グレイハウンド犬
グレイハウンドタイプの犬種が存在するが、それらはイギリス、スペインより渡航してきたものが土着化して進化したものと考えられている。ドッグレース用に使役されるものもある。

グレイハウンドは速く走るために作り出された犬種で、長い四肢とアーチがかった背中を最大限に伸び縮みさせることで、すばやく加速できる体型となっている。また、完璧ともいえるバランスの筋肉と軽い身のこなしがさらにスピードに拍車をかける。細長く伸びた足を武器に、グレイハウンドは比類なきスプリンターとして世界に君臨している。長い尾は方向を決定する舵の役割や、ブレーキの役割をこなしている。被毛は短く滑らかな手触りがする。

・体高(雄):インチ(cm) 27-30(69-76)
・体重(雄):ポンド(kg) 65-70(27-34)
・体高(雌):インチ(cm) 27-30(69-70)
・体重(雌):ポンド(kg) 60-65(27-29)
・寿命:10〜13年

(グレイハウンド犬の種類)
・イングリッシュ・グレイハウンド(English Greyhound)〜最もポピュラーなグレイハウンドで、通常は単にグレイハウンドと呼ばれている。世界各国で人気があり、日本でも飼育されている。

・スパニッシュ・グレイハウンド(Spanish Greyhound)〜スペイン原産のグレイハウンド。長毛・短毛の2タイプがあり、イングリッシュ種よりも細身。スペインの植民地にも連れて行かれた結果、土着の犬種と混血してそれぞれの土地の独自のグレイハウンドの元となった。

・アングロ=スパニッシュ・グレイハウンド(Anglo-Spanish Greyhound)〜スペイン原産の二重純血犬種のグレイハウンド。レース用にイングリッシュ種とスパニッシュ種をかけ合わせたものを元に作出された。FCI未公認だが、スペインでは公認犬種になっている。

・イタリアン・グレイハウンド(Itarian Greyhound)〜イタリア原産。古代から存在する愛玩用の小型グレイハウンド。日本でも人気があり、飼育されている数はイングリッシュ種よりも多い。

・ザンジバル・グレイハウンド(Zanzibar Greyhound)〜ザンジバル原産のグレイハウンドタイプの犬種。ザンジバル島に入ってきた移民が連れて来たスパニッシュ・グレイハンドと土着のパリアタイプの混血した犬種。現在は絶滅寸前で、既に絶滅している可能性も大きい。

・シチリアン・グレイハウンド(Sicilian Greyhound)〜チルネコ・デル・エトナ (英: Cirneco dell'Etna)の別名。イタリアのシチリア島原産のグレイハウンド。

・その他、多数あり。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。        09/11/11追記、 09/12/28

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