★イギリス
サミュエル・ウォリス艦長
1767
ドルフィン号での世界一周航海で、ウォリス島発見

大航海物語★
ドルフィン号

トケラウ 1970 発行

WALLIS ET FUTUNA
ウォリス艦長とウベア島

ウォリス・フツナ諸島のウベア島(ウォリス島)発見240年記念
ウォリス・フツナ 2007 発行

St.Helena
ウォリス艦長の乗船”ドルフィン号”(右)と
カートレット艦長の”スワロー号”(左)


セントヘレナ 1998/8/25 発行
WALLIS ET FUTUNA
ウォリス・フツナ諸島の地図

ウォリス・フツナ 1992 発行
ウォリス島

フツナ島


←アロフィ島

FIJI
太平洋  世界地図

フィジー 1977/4/12 発行
CORREOS DE CHILLE

ホーン岬はフェゴ島の下方に有



←マゼラン海峡

←フェゴ島

←ルメール海峡
←ホーン岬
←ドレーク海峡

マゼラン海峡占領100年記念
チリ 昭和19年 1944/3/2 発行

サミュエル・ウォリスはコーンウォール人の航海者で、ドルフィン号で世界一周航海をなし、その途上、マゼラン海峡を通過後、太平洋の真ん中ほどで、ウォリス・フツナ諸島のウォリス(ウベア)島を発見しました。
サミュエル・ウォリス (1728〜1795/1/21)
 Samuel Wallis

ウォリスはイングランド・コーンウォール州カメルフォード(Camelford, Cornwall)近くで生まれました。1766年に38才でバイロン艦長が乗船していたイングランド海軍のフリゲート艦ドルフィン号(HMS Dolphin)の艦長となり、ジャージー島出身のフィリップ・カートレット艦長指揮のスワロー号(Swallow)を随伴して、世界一周航海に出帆しました。マゼラン海峡を通過した2隻のイギリス軍艦は互いを見失いました。片方のウォリス艦長のドルフィン号は引き続き太平洋を西へ西へと航海するうちに、1767/4/16に現在のフランスポリネシアウォリス・フツナ諸島(Wallis & Futuna)のウベア島(ウォリス島、Wallis)に行きあたり、発見しました。島の名前は彼に因んで命名されました。なお、フツナ島はオランダのル・マール船長が1616年に発見していたので、再発見になりますね。

1767/6/18にタヒチ諸島(Tahiti)の第三番目の島を発見して、国王に因んでキング・ジョージ島と名付けました。そしてバタヴィアへと航海しましたが、壊血病(dysentery)で多くの乗組員が亡くなりましたので、運よく連絡をとることができたジェームス・クック船長へ救援を求めて、乗組員の一部をインド洋で預けました。クック船長はカナダ・ニューファウンドランド方面の測量任務を終えての帰途でした。ウォリス艦長のドルフィン号はインド洋から喜望峰経由の航海で、1768/5に約2年ぶりにイギリスに帰り着きました。

1780年にはイングランド海軍本部(アドミラルティ、Admiralty)のコミッショナー(委員)の要職に就任し、67才で亡くなりました。

・ドルフィン号の装備:〜
  HMS Dolphin
、1751
船 型 6等フリゲート艦、24-gun Sixth-rate frigate ドルフィン号(右)とスワロー号(左)
帆 柱 3本マスト
全 長 28.45m
全 幅 9.78m
深 さ 3.4m
重 量 519屯
乗組員 160人
進 水 1751年、ロンドン(Woolwich Dockyard, Eng)
最 後 1777/1月、解体
武 装 上甲板9ポンド砲20門(Upper gundeck)、
下甲板9ポンド砲02門(Lower battery)、
後甲板3ポンド砲02門(Quarterdeck)、
     合計:砲24門、2層砲列甲板

参考HP〜
 ・カメルフォードの場所地図
 ・ウォリス・フツナの場所地図
 ・ウォリスの地図

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。       08/1/25    08/9/25追記
スタンプ・メイツ
Copyright(C):Nicky
無断転載禁止